August 3, 2021 | Architecture, Culture, Design, Food, Travel | casabrutus.com
山口県最古の温泉と言われる長門湯本温泉の立ち寄り温泉〈恩湯(おんとう)〉。古の時代から滔々と湯が湧き「神授の湯」として伝わる名湯が、2020年の春、長門湯本温泉の温泉街と合わせてリニューアルを果たした。音信川(おとずれがわ)を中心に広がる風情ある街並みには、建築的な見どころを備えた施設や店舗が点在する。やわらかな温泉に包まれたあと、宿でゆったり寛ぐひとときと、外に出てそぞろ歩きに興じる時間を、それぞれに楽しんだ。
●住吉大明神像が鎮座する、心休まる神聖な浴場。
今からおよそ600年前の室町時代、曹洞宗の名刹〈大寧寺〉の住職が境内を歩いていると、大きな石板上で座禅修行をする高貴な老人と出会った。その老人の正体は、下関にある〈長門国一宮 住吉神社〉の住吉大明神。住職が仏教の真理を住吉の神に伝授した礼として、「温泉を湧かせておきました」とお告げを残し、老人は龍となって空に飛んでいった。こうして「神」から「仏」に湯が贈られた神仏習合の伝説により「神授の湯」と称されるのが、長門湯本温泉の起源となる温泉〈恩湯〉だ。そんな温泉街のシンボルだった昔ながらの公共浴場が、2020年の春にリニューアルされたと聞いて旅に出た。
恩湯の歴史や伝説を踏まえて設計を担ったのが、香川県高松市の〈仏生山温泉〉、2021年8月末にオープン予定の湯河原〈湯河原惣湯 Books and Retreat〉も手がける建築家・岡昇平。全国的にも珍しい源泉の真上に建つ、木材をふんだんに使用した恩湯は、温泉街を見守るように高台に祀られる〈住吉神社〉と隣り合わせにあり、神社と湯屋が一体となるように、さらにはのどかな温泉街の景観と馴染むように、高さを抑えた平屋の造り。
特質すべきは浴場の神々しさ。浴槽と対等する、温泉が湧き出る岩盤上には、袈裟姿の石像の住吉大明神像が鎮座し、岩盤と浴槽の境界には長門国一宮住吉神社から授かったしめ縄が。最初は一般的な立ち寄り湯のにぎやかさとは異なる、静謐で神秘的な雰囲気に圧倒されるも、深さ1メートルある浴槽の湯に浸かるうち、次第にじんわり心が休まる。
実際に深風呂はしっかり全身に水圧がかかることで血行がよくなり、むくみや冷えの解消につながる。大きさだけで言えばこぢんまりとした浴槽も、源泉掛け流しにこだわるがゆえ、湯量に合わせて計算されたサイズなのだそう。泉質はアルカリ単純泉、36~39度と人の体温に近い低温で柔らかな源泉は、足元湧出泉といって浴槽の下に位置し、純度が高い状態で化粧水をそのまま浴びているようにトロンと優しく体中を包み込む。耳を澄ませば岩肌を静かに伝う温泉の音が耳に届き、心の内側まで洗われるようだ。湯質から建築までが記憶に刻まれ、次は暮らすようにゆったり滞在してみたいと、再訪を誓った。
●湯治モダンがコンセプトの、素足で寛ぐ温泉リゾート。
こんもり豊かな緑が視界に広がる山あいの長門湯本温泉は、街の中心を流れる音信川の両岸に、〈恩湯〉をはじめ宿や商店が建ち並ぶ。そんな温泉街のメインストリートから少し離れたところに、大型の温泉旅館がいくつか点在しているが、そのうちの一軒が、明治14年創業の老舗〈大谷山荘〉。山口を代表する温泉宿と誉れ高く、天皇皇后両陛下や、日露首脳会談時にはプーチン大統領も宿泊したという。
そのすぐ隣にあり、大谷山荘の別館として2006年に完成したのが、今回滞在した〈別邸 音信〉。家族で過ごす人が多い〈大谷山荘〉に対して、〈別邸 音信〉に宿泊できるのは中学生以上から。もともと湯治場としての歴史を歩んだ長門湯本温泉の原点に立ち返りながら、旅先の温泉宿ならではの開放感や高揚感を得られるように、「粋」や「モダニズム」を取り入れている。館内では靴を脱ぎ素足で歩けるようになっているのも、広々とした空間ながら客室を18室に限っているのも、エントランスや客室が周囲の自然や山々と一体化しているのも、訪れた人がしみじみ安らぎ、心身を整えるためのおもてなし。ライブラリーの書物やギャラリーに並ぶ萩焼を通して、山口の伝統や文化にも触れることでも心が豊かになれる。
ホームシアター、バーカウンター、メゾネット、畳スペース、森と隣り合わせにあるテラス……和モダンを基調に部屋ごと異なるしつらえの客室は、全室に設置された露天風呂と、ゆったり寛げる室内とを悠々と行き来しながら、ひとときこもって過ごしたくなる心地よさ。温泉街を気ままに歩く時間も外せない長門湯本温泉で、街と宿と半日ずつ、どっぷり温泉に満たされた。
●「オソト天国」と称し、温泉街を歩いて楽しむ仕掛けが随所に。
ホテルや旅館に滞在するだけでなく、音信川沿いに広がる温泉街に出て、ぶらり気ままに過ごす時間を楽しめるように。〈恩湯〉を中心に、竹林の階段、音信川周辺の川床や飛び石、空家にいたるまで、あらゆる設備や景観が整備された長門湯本温泉。食べ歩きも楽しめる名物を用意した新旧の店鋪とともに、ベンチや川床、足湯などが点在している。
恩湯でじんわり体を温めたあとは、各所で配布している「オソト天国」マップを手に、風情ある温泉街の風景、新たに設置された建築的なおもしろさ、山口県ならではの地元の名物を、たっぷりと味わった。
●「萩焼 深川窯」の作家の作品を展示販売するカフェ・ギャラリー。
温泉街では、空き家をリノベーションして、新たな店舗やスペースに活かすプロジェクトが立ち上がっているが、その1号目として誕生したのが〈cafe&pottery 音〉。音信川に面した築50年の木造住宅にウッドデッキを設置し、風通しのいいギャラリー兼カフェに再生。萩藩の御用窯として誕生し、360年の歴史を誇る「萩焼 深川窯」の作家、坂倉正紘さん、田原崇雄さん、坂倉善右衛門さん、3人の作品を展示販売している。カフェで味わえる手作りのデザートや飲み物も、3人の異なる皿やカップで提供されるので、その都度どんな作品に出合えるか楽しみだ。
●築60年の元薬局がクラフトビールの醸造所として新名所に。
最後に、長門湯本温泉の新星として期待を集めるクラフトビールの醸造所〈365+1BEER(サンロクロクビール)〉に立ち寄った。実はこのとき、数日後にオープンを控え(2021年7月17日オープン)、内装仕上げの真っ只中。オーナー夫婦・有賀敬直さんと彩香さんは、もともと内装デザインの仕事をしていたことから、主に彩香さんが店舗デザインを行い、DIYは夫婦二人の共同作業。築60年の元薬局を解体し、ビール工場らしくものづくりの場という雰囲気を出せたらと、1階のカウンターやタップの壁面に胴板を使用。テーブル席が並ぶ2階に続く支柱のない階段は、鉄鋼のアーティストに依頼した。
「僕は前職で長門湯本温泉のまちづくりに携わっていたのですが、仕事が落ち着いたところで、夫婦ともに好きなビール醸造への挑戦と、空き家を活かそうというタイミングが重なって」と敬直さん。地元の人たちの毎日(365日)と、温泉街を訪れる人たちの特別な日(1日)、どちらにも楽しんで味わってほしいと「365+1(サンロクロク)」という名前をつけたという。
まずは3種類のビールを醸造し、おみやげに持ち帰りできる瓶入りとともに、できたての生ビールを提供。湯上がりに川辺で味わう地ビールはさぞやおいしいことだろう。近いうちに長門湯本を再訪する理由が、さらに一つ増えた。