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黒川紀章のカプセル別荘が宿泊施設へ。その全貌を徹底解剖!

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July 8, 2021 | Architecture, Design, Travel | casabrutus.com

長野で長らく眠っていた〈中銀カプセルタワービル〉の”兄弟”が目を覚ましました。黒川紀章がモデルハウスとして設計した〈カプセルハウスK〉が、今夏から宿泊施設として始動すべく準備中。ひと足先に、眠りから覚めたカプセル建築の姿を見てきました!

1973年に完成した〈カプセルハウスK〉外観。建った当時はまだ木も低く、カプセルの丸窓からも遠くが眺められたという。

DOCOMOMO(モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)ジャパンにも認定されている黒川紀章設計の〈中銀カプセルタワービル〉。居住のための機能が詰め込まれたカプセルをコアに取り付け、必要に応じて脱着・交換できるという、メタボリズム(新陳代謝)のコンセプトを具現化した建築だ。そこで使われているのと同じカプセルを使った別荘が軽井沢にある。この別荘〈カプセルハウスK〉は〈中銀カプセルタワービル〉の翌年、1973年に完成している。

〈カプセルハウスK〉があるのは浅間山を望む長野県北佐久郡御代田町の別荘地の中、山の中腹にある急な斜面だ。黒川紀章は〈中銀カプセルタワービル〉よりも小規模で同じカプセルを使用した住宅タイプを構想していたという。その実験が実現したのが別荘タイプのモデルハウスとして建てた〈カプセルハウスK〉だ。この家は会社所有のモデルハウスとして作られた経緯もあり、使用頻度は少なかった。さらに2015年の会社再生時に人手に渡っていた。それを動態保存すべく黒川の長男である黒川未来夫が購入、現在、宿泊施設として活用するためクラウドファンディングなども進められている。避暑にはもちろん、木々が生い茂る緑の中、浅間山の景色を楽しんだり、ワーケーションの拠点にしたりと使い途はいろいろ考えられる。

道路からのアプローチ。手前が駐車スペース、その先はバーベキューなどを楽しめる屋上スペースとなっている。真ん中に立つのはリビングに据えられた暖炉の煙突だ。

〈カプセルハウスK〉に車で到着すると煙突が見える。建物はこの下の斜面に建っていて、敷地の外からは全貌が見えない。煙突の脇にある階段を降りていくと玄関があり、そこから中に入っていく。

コンクリートのコアの左側にカプセルが飛び出している。カプセルはコールテン鋼で覆われている。黒川は〈中銀カプセルタワービル〉でもコールテン鋼をそのまま使おうとしたが、海が近く錆びが懸念されたため白色に塗装された鋼材を用いた。

玄関を入るとリビングがある。このリビングは鉄筋コンクリートでできた四辺形のコアの1階部分にあたる。このコアに、4つのカプセルが取り付けられているという構成だ。カプセルはそれぞれキッチン、寝室が2つ、茶室となっている。

リビングには黒川のコレクションが並べられている。背後に茶室カプセルがのぞく。
〈中銀カプセルタワービル〉のものとよく似た寝室カプセル。丸窓は出窓になっており、腰掛けることもできる。

寝室カプセルのうちの一つは〈中銀カプセルタワービル〉のカプセルとほぼ同じといっていいデザイン。壁際にはソニー製のテレビやオーディオがビルトインされ、入り口付近にはバス・トイレのユニットがある。ただし窓はアクリル製で、ドーム状に張りだしたものだ。黒川は〈中銀カプセルタワービル〉でも同様のものを使いたいと考えていたが、東京・銀座という都心では火災予防の観点から許可が得られず、平面のガラスを使った丸窓になっている。もう一つの寝室カプセルは入り口と窓の位置が異なり、テレビ・オーディオユニットは入っていない。

〈カプセルハウスK〉、茶室カプセル。畳に網代天井、障子と由緒正しい茶室に宇宙船のような丸窓があいている。

茶室カプセルは小堀遠州を参照したものだという。躙り口や水屋もある本格的なものだ。天井も網代など、和の意匠で構成されている。が、障子を開くと丸窓が現れ、宇宙船で茶会をしているような気分になる。

左上の玄関扉から三和土と木の螺旋階段が続く。黒川は当初、土足のまま地下の「遊技室」「アトリエ」まで降りていくことを想定していた。

リビングから階段を降りるとコア内の地下1階に出る。ここには直径2メートルを超える大きな丸窓がある。「遊技室」「アトリエ」などとして、イーゼルを置いて絵を描いたりと、多目的に使用することを想定していた。1997年に改修した際、黒川自身の主寝室に変更された。

コアの地下1階の丸窓は直径2メートル以上もある。森の中に浮かんでいるような気分だ。上に見えるのは2つの寝室カプセル。

〈カプセルハウスK〉、〈中銀カプセルタワービル〉に共通するのは黒川紀章が唱えた「ホモ・モーベンス」と「カプセル建築」という思想だ。「ホモ・モーベンス」とは「移動する人間」の意味。1969年に黒川は『ホモ・モーベンス 都市の人間の未来』(中央公論社)という本を上梓し、土地や建物に縛られずに自由に動き回る人の姿を構想している。さらに工場で大量生産できるカプセルを使った「カプセル建築」でより自由な移動が可能になると説いた。状況に応じてカプセルを移動させることもできるからだ。こうして従来の家族とは異なる個人という単位による社会が可能になる、と彼は唱えた。

もう一つの寝室カプセルではユニットバスと丸窓が並んでいる。カプセルは当時、製造してくれるメーカーがなかなか見つからず、ヨットなど船舶の内装も手がける会社に依頼したという。

黒川が1970年の大阪万博で展示した〈空中テーマ館住宅カプセル〉は「カプセル建築」の思想を具現化した最初の例だ。お祭り広場で丹下健三が設計した大屋根に吊された〈空中テーマ館住宅カプセル〉ではまずリビングに入り、その周囲に取り付けられたそれぞれの家族のためのカプセルへと進む。〈カプセルハウスK〉とも似た構成だ。大阪万博では黒川は他にも〈タカラ・ビューティリオン〉をプロデュース、格子状の構造体にキッチンやバスルームなどのカプセルを組み込んだ”未来の建築”を提案している。

クラウドファンディングのリターンでもある書籍『黒川紀章の作品』(1970年、美術出版社)より、カプセル建築の一つ〈EXPO'70空中テーマ館住宅カプセル〉。書籍にはレコードやポスターが付録についている。巻末には編集校正スタッフの筆頭にデザイナーの粟津潔の名前があり、おそらく粟津のデザインだと推測できる。 photo_Keiko Nakajima
〈カプセルハウスK〉の厨房カプセル。流しや戸棚などの設備はオリジナルのもの。こちらでは窓は四角い。黒川紀章のカプセルとしては珍しいタイプだ。

1979年には大阪で眠ることに特化した最小限のカプセルを積み上げた、カプセルホテルの第一号〈カプセル・イン大阪〉が誕生した。この〈カプセル・イン大阪〉は黒川が設計したカプセルに新しいデザインのカプセルも追加して、今も泊まることができる。最近では柴田文江デザインによるカプセルを使った〈ナインアワーズ〉など、進化したカプセルホテルも人気だ。

黒川が「ホモ・モーベンス」や「カプセル建築」といったコンセプトを唱えたのは今から半世紀以上前のことだ。残念ながら〈中銀カプセルタワービル〉のカプセルは新陳代謝(交換)することなく現在に至る。〈カプセルハウスK〉も50年近く、ほとんど使われることはなかった。しかし、「移動」をキーワードにした黒川の思想は半世紀たった今、インターネットや携帯電話の発達によって実現可能なものになっている。NTTドコモ元会長の大星公二は携帯電話やiモードの開発にあたり、黒川の著書『ホモ・モーベンス』を参照していたという。〈カプセルハウスK〉でワーケーションに励むことができるのも、元をたどれば黒川紀章のアイデアのおかげなのだ。

〈カプセルハウスK〉

設計/竣工期間:1971〜1973年、建築面積:75.82平米、延床面積:103.32平米、構造規模:鉄筋コンクリート造・地下1階地上1階、バスルーム:FRP一体成型。民泊を含めた事業開始は今夏に向けて現在準備中。

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