June 1, 2018 | Architecture | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
独特の幾何学で不思議に居心地のいい空間を作り出す建築家、平田晃久。その彼の個展が〈TOTOギャラリー・間〉で始まりました。たくさんの“からまりしろ”がある展示の秘密に迫ります!
〈太田市美術館・図書館〉やカプセルホテル〈ナインアワーズ〉など、注目のプロジェクトを次々と完成させている平田晃久。動物の巣のようだったり、森のようだったり、小さな山と谷が続く風景のようだったりする彼の建築は、どうやって作られているのだろう? 開催中の本展は、その謎を解き明かしてくれる展示だ。日本で彼の作品をまとめて見られる、初めての機会になる。
3階と4階、2つのフロアに別れた展示は「下が僕の頭の中の世界で、上がリアルな世界という感じです」と平田は言う。テラスも含めた3階の部屋一杯にひろがっているのは「ひだ」「階層」「動物的」「土」など、彼の建築におけるキーワードをもとにした“思考のジャングル”だ。実現していないものも含めて300個以上の模型やスケッチが、細い棒を組み合わせたまさにジャングルのような構造物に取り付けられている。個人住宅や集合住宅、美術館、店舗、カフェなど用途はさまざまだ。
棒でつくられた平面はそれぞれのプロジェクトやキーワードの関連性を象徴している。たとえば、平面をくねくねと折り曲げて「ひだ」にしたものは、その「ひだ」が多いほど多種の生物が暮らすことができることを表す。この「ひだ」を拡大して建築にすることで多様な人々が集う場を作り出すことができる。彼の建築ではこんなふうに、アイデアやコンセプトがネットワークのように絡み合っている。
「全体が一つの作品のようなものと考えることもできます。生物の身体ができるときのように、成長していくような形です」
「リアルな世界」である4階には、木を削り出してできた“クラインの壺”のような立体物が展示されている。もともとは台湾で計画されていたタワーの模型を横に置いたものなのだそう。中には椅子があり、同じ部屋で上映されている映像を見ながら座ることもできる。
「幾何学的なガイドラインを決めて、どんな構造を作っていけるかの実験です。これを置くことで部屋全体が海の中みたいに見えるんじゃないかと思います。見る人が水中に沈んで魚や水の流れを見ている。実際は固い空間だけれど、流れてる感じになるのでは」
平田の建築には“からまりしろ”という造語がよく登場する。何かが“からまる”ときのフックになるような物や場所だ。
「たとえば、花の周りを蝶が飛んでいるとそこに独特の場ができる。そんなふうにふんわりと何かにからまっている場を建築で作れないだろうか。それが人間の住む新しい自然なのではないかと思ったんです」
平田がそんなことを考えるようになったのは、子供の頃の体験がもとになっている。
「僕は昆虫少年で、生物学者になりたいと思っていたんです。結局生物学者になるのはやめて建築の道に進んだのですが、その理由の一つが当時ニュータウンで暮らしていたことでした。自分が住んでいる四角い箱と、そのすぐ近くにある野山では体験する空間が全然違う。四角い箱とは違う建築が作れないかな、と思ったんです」
建築は文字通りの生き物ではないけれど、生きていると考えることもできる、と平田は言う。また「生きている建築」を作るには使われなくては意味がない、とも言う。とくに公共建築ではその建物が愛され、多くの人が来てくれたほうがいい。
「そのためには建築の根本も含めて、使う人にも全体にコミットしてもらわないとダメなのでは、と思ったんです」
そこで〈太田市美術館・図書館〉では「設計のプロセスを市民に開いた」と平田は言う。「いくつかの箱の周りにスロープをからませ、その周りに建築的な家具をからませる」という建物のおおまかな成り立ちを決め、箱の配置やスロープの巻きつかせ方などをテーマにワークショップを開いて地元の人々と議論を重ねた。このワークショップでは平田さんとは別にファシリテーター(進行役)を立てたのがよかった、という。
「僕自身も一人の参加者として、自分の意見を言います。自分でもスタディ(案の検討)の段階ではアイデアが複数あって、どれがいいのかわからないことがある。みんなで話し合っていくうちに可能性や改めて気づくこともあるから、これは案外いいやり方じゃないかと思いました」
建築に限らず、何かを作っていくときに枝分かれした選択肢の中からどれかを選ばなくてはならないことがある。普通は建築家一人がそれを決めていくわけだけれど、でき上がってからユーザーが「ここをもう少し、こうしてくれればよかったのに」と思うことがある。
「それなら枝分かれする前から一緒にやったほうがいいのでは、と。それにA、B二つの選択肢があったとき、どちらかがゼロでどちらかが100パーセント正しい、ということではないんです。それぞれのバランスをどうとるかが重要になる。進化の道筋は一つではないですし。こう考えると建築をつくるのって人生のようなものだとも思いますね。きっちりと計画して決めるよりも、やってみると予想しなかったいいことが起こったりする」
実際に〈太田市美術館・図書館〉では、完成後も「いい使われ方をしている」と平田は感じている。
「美術館でも図書館でも運営者が新しい試みに積極的に取り組んでいて、人気のある場所になっていると思います。思った以上に運営が柔軟で、コアがあるけれど自分たちのプログラムとしてきっちりと着地している」
人やアイデアやプログラムがからみつき、育っていく、そんな“からまりしろ”のある建築なのだ。
展覧会では、ここ10年の作品を見せている。この間に、平田にとって何か変化したことはあったのだろうか。
「東日本大震災のとき、建築家が世の中にコミットできていないな、と感じたんです。世の中には人がいて、建築ができるわけで、人がいることが抜け落ちてしまってはいけない。そこで建築として先鋭化することよりも、どこまで広げると建築でなくなるのか、ということに興味が出てきた。〈太田市美術館・図書館〉で設計プロセスを開いたのも、僕にとっては“これまで建築ではないと思われていたようなことでも建築になる”という刺激的な実験なんです。僕自身の好奇心の対象が建築からそういうところに移っていった、ということです」
できあがったものだけでなく、作られるまでのプロセスも建築に含まれるという考え方だ。プロセスも含めて“からまる”ことができる建築ということもできる。人間も動物だから、建物に対していろいろな“からまり方”をする。平田は多様なからまり方を許容し、そこでいろいろなものが育っていくような建築を作っている。見る人が自分ならどうからまるか、そんなことを考えながら楽しめる展覧会だ。