October 5, 2023 | Art | casabrutus.com
昨年、姫路市立美術館で開催された「本歌取り」展が構成を一新して東京へ。会場は杉本博司が私淑する建築家、白井晟一が設計した〈渋谷区立松濤美術館〉です。
有名な古歌の一部を自作に意識的に取り入れてオリジナリティを持たせるという「本歌取り」は、和歌のみならず、日本の美術や工芸の世界にあった手法だ。その概念をテーマとした作品制作に邁進している杉本博司。東京での個展では初公開の新作が数多く発表された。
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今回の展覧会が行われた〈渋谷区立松濤美術館〉を設計した白井晟一(1905-1983)は、そのユニークな作品群で孤高の建築家として知られ、杉本はその哲学的思考に興味を抱いていたという。いわゆるホワイトキューブとは大きく異なり、空間構成もデザインも建材も独特としか言いようがない建築と、杉本作品の共鳴も見どころになっている。
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まず近年、杉本が熱心に取り組んでいる屏風の作品。葛飾北斎作《富嶽三十六景 凱風快晴》(通称:赤富士)を「本歌」として制作された六曲一双の《富士山図屏風》。北斎が富士を眺めた場所の一つとされる山梨県三ツ峠山の山頂にカメラを据え、数センチずつアングルを動かしながら撮影し、合成・レタッチを経て和紙にプリントし屏風にしたものだ。
「デジタル化したプラチナプリントで制作した《月下紅白梅図》で開眼して以来、春日拝殿図屏風や江之浦春日社図屏風ではデジタル技術を駆使して屏風を作ってきました。屏風には和紙が必須で、和紙にプリントするにはデジタルが適している。屏風制作の魅力には抗えず、ならばとことんデジタルを利用しようという気持ちになりました」(杉本博司)
長らく銀塩写真にこだわっていた杉本だが、近年のデジタルカメラや出力プリンターの性能向上により、作品によっては積極的にデジタルを採用する方針へ転換したと言う。街の明かりや遠景のビルを消去し、本来なだらかな山の稜線を北斎作品のような急勾配に整えたそうだ。
「書における本歌取り」としての新作《Brush Impression》は、暗室内で現像液や定着液に浸した筆で印画紙の上に文字を書いたもの。コロナ禍を経て久しぶりに戻ったニューヨークのスタジオで、使用期限切れの印画紙を作品に活用できないかと考え、生まれた作品だという。
「コロナ禍を経て戻ったスタジオで、使用期限切れの印画紙を破棄するのはもったいないと感じ、ふと書いてみたのが始まりです。現像液で書いた部分が明かりを点けると黒く浮かび上がり、もう一度現像液に浸すと周りの部分がグレーになります。定着液で書いた場合は文字が白く出ます。液は透明なので、書いている最中は文字が見えません」(杉本)
燃えさかる炎の姿から「火」という象形文字を生み出した古代人の想念を、暗室内で杉本が追体験した作品群だ。定着液や現像液は透明な液体なので、書いている最中は杉本自身には文字が見えず、照明をつけて感光して初めて文字が浮かび上がる。
これらの「本歌」として、杉本が収集したシュメール朝時代の楔形文字や古代エジプトの死者の書断片(軸装)なども展示されている。人間の意識や言語の発生に強い関心を持つ杉本の思考の跡が見て取れる。
杉本は「写真における本歌取り」にも余念がない。写真の祖のひとり、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800-1877)の初期写真のネガからポジを作成してプリント。現実を本歌取りした写真(ネガ)が約180年を経て、再び本歌取り(反転ポジ)されたという入れ子状態がなんとも面白い。
また、これまで文楽や狂言、オペラに至るさまざまな舞台芸術の脚本や演出を手がけてきた杉本は、「芸能における本歌取り」にも挑戦している。近年、杉本が入手した室町時代の作と考えられる《法師物語絵巻》、その8メートルに及ぶ全場面を一挙に公開。この絵巻に描かれた物語の一場面が、狂言演目「附子(ぶす)」に酷似していることから、杉本はこの絵巻を「附子」の本歌と捉えた。そして11月9日には「杉本狂言 本歌取り『法師物語絵巻 死に薬〜「附子」より』『茸(くさびら)』」の公演を渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールで開催する(出演:野村万作、野村裕基ほか、チケットは販売終了)。
おなじみ《海景》シリーズを本歌とすれば、その本歌取りとなるのが最新作の《宙景》だ。杉本の指示に従って、人工衛星に取り付けた小型カメラで地球の姿を撮影。漆黒の宇宙と円弧を描く青い星が画面を二分する作品だ。これはソニー・JAXA・東大の共創プロジェクト「STAR SPHERE」の一環で実現された。
「2023年1月に打ち上げられた人工衛星は約2年間地球の周りを回り、活動を続けるのですが、その予想航路をシミュレーターで私が念入りに確認し、画角や構図を決定した上で撮影したのが《宙景》です。閉所恐怖症なのでロケットに乗り込みたいとは思わないのですが、宇宙には興味がありました。今後また機会があれば、地球とは反対側の漆黒の宇宙や銀河を撮影してみたいですね」(杉本)
ついに杉本の目が地球圏外に飛び出したという点で話題になりそうだ。
「時間」を重要なテーマの一つとしてきた杉本の、ロマンティックな一面がうかがえるのが、初公開の作品《時間の間》。文字盤は、1976年に杉本が古い電気時計を分解してシャガール風の絵を描いたものだという。それ以来、数十年の間スタジオの地下室に眠っていたものが近年発見され、今年、南北朝時代のものと思われる春日厨子にはめ込んで作品化した。
会場では〈カリフォルニア科学アカデミー〉のジオラマを撮影した杉本の名作シリーズの一つ《カリフォルニア・コンドル》や、杉本が所蔵する白井晟一の書も展示されている。今後のさらなる展開として、白井が最晩年に手がけた個人邸〈桂花の舎〉(1984年竣工)を小田原文化財団が譲り受けることになり、〈江之浦測候所〉のある甘橘山に移築される予定だ。その一部は杉本流に新規に設計するという。その模型も会場では展示されている。
写真、書、工芸、建築、芸能、古物蒐集と多岐にわたる杉本の世界を見渡すことができる展覧会だ。
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