February 12, 2022 | Art, Architecture | a wall newspaper
作品の背景に潜む膨大な歴史的資料をもとに、建築家の人生を再検証する企画展がバルセロナで開催。
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幼少の頃から自然より造形と構造を学び、数々の名作とともに未完の大作〈サグラダ・ファミリア〉を残した天才建築家。現在バルセロナの〈カタルーニャ美術館〉(MNAC)で開催中の企画展『Gaudí』は、アントニ・ガウディに対するそのようなステレオタイプな見方を覆すべく、建築だけでなく当時の社会背景や作品に対するメディアの反応などを徹底的に検証し、彼をその時代の申し子の1人として正しく理解し直そうとする、新しい試みである。
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初めて建築の潮流を意識して作った学生時代の作品、後にパトロンとなるエウゼビ・グエルと出会うきっかけとなったパリ万国博覧会用に制作した展示ケース、当時はまだ更地だったイルデフォンソ・セルダによる都市計画を埋めるように建てられた高級住宅群とその調度品。そこから見えるのは、独自の幾何学形態への探求というよりも、クライアントの趣味と富を表象するという政治的な役割だ。そして驚くことに、ガウディの建築は当時かなり批判さえされていたのである。
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彼の名作の一つ〈カサ・ミラ〉は、地元で「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼ばれているが、その愛称にはかつて侮蔑的な意味合いが含まれていたことを、飛行物体が虫のごとく集まる不気味な巣として描かれた風刺画(1912年)によって知ることができる。
かの『錯乱のニューヨーク』にも、ガウディがマンハッタンに計画した幻の高層ホテルが登場するが、コールハースも「ガウディがこのときマンハッタニズムが成し遂げていた飛躍的進化や発明に気がついていたとはとても思えない。したがって、ビジネスマンたち自身がガウディの病的な傾向とマンハッタンの狂気の間に親近性を認めていたに違いない(鈴木圭介訳)」と、その風刺画と一致する記述を残している。
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生涯家庭を持たず、晩年を〈サグラダ・ファミリア〉の制作に捧げ、トラムに轢かれて亡くなったガウディ。私たちはその100年後の未来から、ここに改めて1人の生身の男の姿を見出して、その真摯な創造者に黙祷を捧げるのだ。