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白井晟一の美術館建築を特別公開!|青野尚子の今週末見るべきアート

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January 14, 2022 | Architecture | casabrutus.com

昨年、開館40周年を迎えた〈渋谷区立松濤美術館〉。それを記念した「白井晟一入門」展の第2部は、白井の作品である同館の建物そのものを見せる企画です。普段は見られない秘密の場所も特別公開! 白井晟一の建築の深さがわかります。

地下2階から建物中央の吹き抜けを見上げたところ。楕円形の空から光が降る。

1981年10月に開館した〈渋谷区立松濤美術館〉。1983年に没した白井晟一の晩年の作品だ。白井はいくつかの美術館のアイデアスケッチを残しているが、その指揮により実現したのはこの館と、同時期に建てられた〈静岡市立芹沢銈介美術館〉の2館のみ。都心で白井のレアな作品に触れられる貴重な場所なのだ。「白井晟一入門」展の第2部として行われる建物公開では通常非公開のエリアも含め、白井建築の真髄に触れられる。展示されているのも白井の書や愛蔵品だ。

〈渋谷区立松濤美術館〉正面入口。訪れた人を迎え入れるような、凹面のファサードだ。

東京都渋谷区松濤2-14-14。今、美術館が建っている場所はもともと渋谷区の土木事務所があったところだ。敷地は周囲を住宅に囲まれ、奥の方が広くなっている変形の土地だった。住宅地であるため高さ10メートル以下という制限もある。そこで白井は地上2階、地下2階、外側には窓が少なく、内部に吹き抜けを設けてそこから採光するプランを考えた。

ここを彼は単に展示するだけの建物ではなく、訪れる人の創造性を刺激するような美術館にしたいと考えていた。渋谷区民からも今でいうワークショップのための部屋や教室、図書室、映画室などの要望が出される。が、限りある空間にすべてを詰め込むことは難しい。結局、2つの展示室にホール。茶室、制作室などがある美術館が生まれた。

美術館の外壁は赤みがかった石で覆われている。もともとは白レンガのような国産の「恵那錆石」を使う予定だったが、地味で暗い、という白井の意見から韓国産のピンク色の石を輸入することになった。この石は白井自身が「紅雲石」(こううんせき)と命名する。しかしこの計画変更のため、渋谷区では徹夜で議会が開かれたという。

入口左手の楕円形の小窓。窓の向こうには小部屋があるのだが、使われていない。

入口には不思議なものがある。右側の壁にとりつけられた蛇口だ。この蛇口は群馬県前橋市に白井の設計で建てられた書店〈煥乎堂〉にあったのと同じもの。ラテン語で「PVRO DE FONTE」、清らかな泉と書かれている。この蛇口は設計図にはなく、なぜ追加されたのかはわからない。左側の楕円形の小窓はインフォメーションとして想定されていたが、使われたことはない。

エントランスの天井にはオニキスがはめ込まれ、その上にある光源からの光で来館者を出迎える。奥の扉を開くとそこがブリッジだ。

いよいよ中に入ってみよう。エントランスの天井は薄く切ったオニキス(縞瑪瑙)がはめ込まれている。いつもはここから左のロビーに入り、さらに左の階段かエレベーターで展示室に向かうのだが、一番最初の設計ではエントランスを直進して噴水のある吹き抜けのブリッジを渡ることになっていた。今回の「白井晟一入門」展第2部でもブリッジを渡る動線を体験できる。ただしここには屋根がないので、荒天時には左のロビーへと室内を迂回することになる。

第1展示室からブリッジの方を見上げたところ。いわゆるホワイトキューブではない、曲線で構成された展示室は珍しい。

ブリッジの先の扉を開くと地下1階と地上1階が吹き抜けになった「第1展示室」を見下ろす回廊に出る。この回廊も通常は入れないから、これも貴重な眺めだ。当初の案ではここは回廊ではなく、螺旋階段が2つあり、第1展示室に降りて行けるようになっていた。今は展示室ではなく左手のロビーに出られるようになっているのだが、回廊の手すりには「→陳列室」と右向きの矢印が書かれたプレートが残っている。

展示物のない第一展示室。吹き抜けの向こう側には事務室が見える。白井は運営側も観客も同等であるという民主的な思想から、このような構成にしたようだ。

今回の建物公開では回廊からロビーを通り、その先の、普段使われている螺旋階段から第1展示室へと向かうことになる。第1展示室でいつもと大きく違うのは、池のある吹き抜けに面した窓が開けられていて、時間帯によっては直射日光が入ること。現在の基準では直射日光や紫外線は美術作品の展示には適さないとされているため、普段はここに壁が立てられている。今回は作品がないかわりに、この窓から吹き抜けを見ることもできるのだ。開館以来40年ぶりに実現した眺めが楽しめる。

茶室ではまず水屋が出迎える。右手の火灯口(上部がアーチになった開口)を通って中に進む。

第1展示室を出たら螺旋階段かエレベーターで地下2階に向かおう。ここでは初公開の茶室が見られる。扉を開けると水屋があり、奥に進むと炉や床の間もある。白井自身はここがとくに気に入っていて、開館前、できたばかりの館を訪れるとここでくつろいでいたという。しかし、開館してから一度も茶室として使用されたことはない。白井は茶道をたしなんでいたわけでもなく、お茶に詳しい人は炉などの配置がイレギュラーだと指摘する。若い頃ドイツに学んだ白井は建築も和風、洋風を自在に行き来していた。ここでも伝統にとらわれない自由さが感じられる。

2階の第2展示室。壁はヴェネツィアンヴェルヴェッド、床にもカーペットが敷かれている。右に見えるタペストリーは白井の愛蔵品。家具も白井が選んだもの。
特別陳列室に展示された白井の書と硯などの道具類。
硯は正方形、墨池が正円という珍しい形をしている。

2階の第2展示室はアーチの開口部がある壁で2つに仕切られ、大きい方が「サロンミューゼ」、小さい部屋が「特別陳列室」となっている。天井の高さはどちらもおよそ3メートル前後、天井高が6メートル以上ある第1展示室とは対照的だ。「サロン」とあるのは開館当初、ここが喫茶室を兼ねていたため。スイスのデ・セデ社製のソファに座り、絵を眺めながらコーヒーをいただくことができた。第2展示室の入口にある小さなカウンターで注文するとその奥の厨房でドリンクが用意され、運ばれてきたのだ。作品保護の観点から今ではそういったサービスは行われていないが、自宅のようにくつろぎながらアートを鑑賞するなんて贅沢の極みではないか。

螺旋階段(大)。照明器具も白井のデザインだ。

この建築では楕円が主要なモチーフとなっている。限られた敷地で広がりを感じさせたいとの思いから採用されたようだ。正面の壁もブリッジのある吹き抜けも、地下1階の第一展示室も楕円かその一部を切り取った形になっている。通常使われている大きい方の螺旋階段も、ロビーの窓も楕円だ。楕円では真円と違って見る位置や方向によって見え方が変わるから、限られた空間でも景観のバリエーションが楽しめる。

吹き抜けのブリッジを見下ろす。現在、ギリシャ神殿の列柱のように見えるところはハニカム状の窓とする案もあった。

この美術館でもう一つ面白いのが、構造のように見えてそうではないデザインだ。池のある吹き抜けを取り囲む柱はギリシャ神殿のように溝が切られているが、これはコンクリートの柱の周りにアルミの板を巻いたもの。コンクリートの柱は建物を支えているが、アルミ板は単なる装飾だ。

第2展示室の天井には木の梁のようなものが放射状に取り付けられていて、ドイツやスイスの住宅か山小屋の天井のようにも見える。しかしこちらもダクトなどの表面に薄い板を貼ったもので、木材が天井を支えているわけではない。見る者を惑わせるトリッキーな形態だ。構造と意匠のねじれた関係だけでなく、神殿から住宅まで多様なデザインが混在しているのも興味深い。

2階のエレベーターホール。館内にはほかにもあちこちに鏡がある。白井が建物の完成間近にヨーロッパ製の枠を使った鏡を多数取り付けさせた。

今回の「白井晟一入門」展・第2部では通常使われている螺旋階段のほかにもう一つある、小さめの螺旋階段も一部が見学できる。週末を中心に行われる「館内建築ツアー」では館長室も特別に公開される。地下2階のエレベーターホールの照明が星座のようなランダムな配置になっているのも見逃さないでほしい。第1展示室なども同様の照明が設置されていたのだが、現在は規則正しく並ぶよう改修されているのだ。こういった建物のディテールだけでなく、展示されている白井のコレクションも彼の嗜好を伝えてくれる。知られざる白井晟一に肉薄できる。

普段は非公開の螺旋階段(小)と呼ばれている階段。職員の動線として使われている。

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渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念 『白井晟一 入門』第2部「Back to 1981 建物公開」

〈渋谷区立松濤美術館〉東京都渋谷区松濤2-14-14。2022年1月4日~1月30日。月曜、1月11日休(ただし1月10日は開館)。一般 1,000円。

白井晟一

しらい せいいち 1905年京都生まれ。京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科卒業後、ドイツ・ハイデルベルク大学に留学、林芙美子らと交流した。帰国後、独学で建築家の道に進み、個人住宅や公共建築を手がける。代表作に〈親和銀行本店〉〈ノアビル〉〈渋谷区立松濤美術館〉など。中公新書などの装丁デザインや書に取り組むなど、建築以外にも活動の場を広げた。1983年没。 ※《白井晟一 ポートレイト》 白井晟一研究所蔵

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