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石田潤の In the mode|まもなく開館! 田根剛に聞く〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉の見どころ

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August 31, 2016 | Architecture, Art, Travel | casabrutus.com | text_Jun Ishida editor_Keiko Kusano

建築界はもちろん、ファッション、アート界も含め、現在最も注目される若手建築家といえば、パリを拠点とする建築事務所DGT.を率いる田根剛だろう。それまでは無名の存在だった田根が注目を集め、そしてDGT.結成に至るきっかけを作ったのが〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉のコンペティションだ。

ミュージアムの西側。全長335mという巨大な建物だ。 photo_Takuji Shimmura
2005年、エストニアの国、民族の歴史や文化を集約する博物館を作るべく、国際コンペティションが開催された。田根は、他の建築事務所で働いていた友人のダン・ドレル、リナ・ゴットメとともに、コンペに参加した。そして2006年、26歳の若さで見事最優秀賞を勝ち取り、DGT.を設立。それから10年、〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉がこの秋ついにオープンする。建物の竣工を終え、開館を目前に控えた田根に現在の心境を聞いた。
敷地の航空写真。第二次大戦後、旧ソ連の軍用地内滑走路として使用されていた敷地の記憶を思い起こさせる。 (c)DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS
Q いよいよ10月1日にオープンが迫りました。現在の心境は?

A 言葉がみつかりません。20代後半からの10年間、自分の人生を注いだ仕事がいよいよ出来上がる。それがまだ実感として掴めていないのです。ここに辿り着くまでの間、あまりにもたくさんの事がありました。完成する喜び、そして恐怖、不安と緊張、期待、感謝、それから別れと始まり……。オープンを考えると、いろいろな思いが交錯し、それらが感情を掻き立てます。それでも、ミュージアムがオープンすることで何かが変わる、それは確かだと思っています。
竣工前のミュージアム。大地から立ち上がったかのようなダイナミックな形状だ。 photo_Arp Karm(ERM)
Q 竣工した建物を見て、どのように思われましたか?

A 驚きました。そして建築ができることに感動しました。このミュージアムは本当に大きく、さらに暴力的なくらい長いんです。10年前には何もなかった手つかずの地に、多くの人が携わり作り上げました。それは文明の始まりのように、何もないところに建築を作り上げるような光景でした。36か月かかった現場でも、どんどん建物が出来上がって行き、そしてそれを人々が作ってゆく姿に何度も心を動かされました。ここからエストニアの歴史が変わる。完成した建物の中に入り、そう感じました。

Q 途中、EUの経済破綻によるプロジェクトの長期休止など多くの紆余曲折があったと思います。コンペから竣工にいたるまでの間に起きた出来事で、最も心に残ることは?

A 国際的なプロジェクトでは多々起こる問題なのですが、エストニアでは、設計者とエンジニアの進め方が違う点がいくつもあり、かなり悩まされました。またエストニアにとって初めての国家プロジェクトでしたが、それをまとめるには自分たちはあまりに若く経験や実績がありませんでした。エンジニアとの打ち合わせが前に進まないこともたびたびありましたし、施主からの予算削減に対する設計変更などが続いた2009年は、月に2度の打ち合わせに出席するのが苦痛な時期もありました。

しかし、ある打ち合わせの後、4年に一度、3万人が合唱するエストニアの伝統的なイベントを見に行く機会がありました。野外劇場で行なわれる会場に集まった10万人以上のエストニアの人々の顔を見た時、「この人たちのために建築を作っているのだ」と、自分の仕事が考えていた以上にエストニアの人々にとって大切で大きなことなのだと思え、そこから吹っ切れました。
ミュージアムエントランスに設置された大庇。 photo_Takuji Shimmura
Q 建物を訪れた人に、特に注目してもらいたい建築的見どころは?

A ミュージアムのエントランス広場となる幅70m奥行き42mの大庇は圧巻です。風景を切り取ったかのようで、ミュージアムに入る時、そして出る時に、異次元を抜けてきたような時間の感覚を与えてくれます。また、建物の一部は42mの大スパンで湖を横切りながら空中を浮いています。そこにはレストランや図書室などのパブリックな用途を配し、湖上から夏の森を眺めたり、冬の雪景色の中に佇むことのできる空間として特別な場所となりました。

もうひとつは、長い展示室を抜けた先にある出口を出ると、そこから突然滑走路に出くわします。森の中を切り裂くようにコンクリートがあり、外に出て傷ついたコンクリートの地面の上をただただ歩んでいくだけで、そこにある場所の記憶を痛感します。過去の空間と時間に向き合うようで、ここは何度歩いても強く感情が揺さぶられます。

Q エストニアには何度も訪れていると思いますが、エストニアという国の印象は?

A 10年の間にエストニアには100回以上は行きました(笑)。その間に、この国は大きく変わりました。ポジティブに未来へと向かっているかのようです。まず人々が明るくなり、街が変わり、食が変わり、ファッションが変わりました。最初にエストニアに行ったときは、こちらが話しかけても、一言二言くらいの反応しかしてくれなかった。それが今は、向こうからどんどん話しかけてくるくらい元気です。また国家規模のデジタル・プロジェクトが進行し、日常の生活の中でデジタルを使う新しい試みが行われています。ソ連が崩壊し、91年の独立から25年を経て、エストニアの生活が急速に変化する最中に立ち会ってきたように思えます。
建物のガラス面にはエストニアの伝統的なシンボルが印刷されている。 photo_Takuji Shimmura
Q 〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉は田根さんの建築家としてキャリアの中でどのような作品になるのでしょう?

A 原点であり、基点であり、自分を建築家にしてくれたプロジェクトです。このコンペに参加していなかったら、優勝していなかったら、エストニアとの出会いがなかったら、パリに拠点を構えていなかったら……全てにおいて現在の自分はなかったと思います。独立してからずっと〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉を考え続け、自分たちの建築を作っていこうと、“場所の記憶”から建築を考えるようになったのもこのプロジェクトとの出会いからです。

完成するまで10年かかったことは結果的に良かったと思っています。もしこれだけの大きなコンペに勝ち、エストニアにおいても重要な建物を運良く数年で完成させていたら、建築を勘違いしていたと思います。10年の間に建築家としての喜びや厳しさ、葛藤や苦闘を経験し、それでも前に進んでいきたいと思える力を身につけることができました。不思議なことに、自然の大きな力は必ず物事をしかるべき結果に導いてくれるのです。〈エストニア・ナショナル・ミュージアム〉が完成することで、これからさらに大きな扉が開くと思っています。次に進む道、それが今楽しみです。

田根剛

たねつよし 1979年東京生まれ。アジェイ・アソシエイツ等を経て、2006年パリにDGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立。現在進行中のプロジェクトとして、パリ13区の再開発プロジェクト『RE-ALIMENTER MASSENA』、NYのブティックなど多数。京都でもミュージアムとホテルなどを兼ねた大プロジェクトが進行中。 photo_Alexandre Isard

石田潤

いしだじゅん 『流行通信』『ヴォーグ・ジャパン』を経てフリーランスに。ファッションを中心にアート、建築の記事を編集、執筆。編集した書籍に『sacai A to Z』(rizzoli社)、レム・コールハースの娘でアーティストのチャーリー・コールハースによる写真集『メタボリズム・トリップ』(平凡社)などなど。

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