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ジョン・ポーソンのカントリーライフ|山下めぐみのロンドン通信

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August 7, 2021 | Design, Architecture | casabrutus.com

パンデミックを機に田舎の別邸にしばし居を移した建築家、ジョン・ポーソン。その間、犬を飼い、料理本も出版した暮らしぶりをリポート。若き日に禅僧を目指して日本に渡ったというレジェンドの真相も明らかに!

元農家を増改築した別邸〈ホーム・ファーム〉でくつろぐキャサリン&ジョン・ポーソン。

ロンドンから北西に2時間ほど。風景も古い家並みも美しいコッツウォルズは政治家や有名人の別荘も多い憧れのエリアだ。「オマチシテマシタ」若い頃、日本に暮らしたこともあるジョン・ポーソンが日本語で出迎えてくれた。その横にはロックダウン中に家族の一員に加わった犬のロッキー。すっかりのどかな田舎暮らしという感じだ。

フォームハウスと納屋だった部分はガラス張りの増築で接続され、全長50メートルの建物に。

Q:こんな素晴らしい環境なら、巣ごもりも苦にならないですね。

A:2年前に完成しましたが、ここに来られるのは週末や休暇の時だけでした。そこにロックダウンが始まったので、数ヶ月間はここで完全に巣ごもりしていました。息子たちもしばらく来ていたので、ロックダウンは久しぶりに家族が長期間集まるいい機会になりました。もともと成人した子供たちが来てくれるようにとデザインしたのですが、今はなかなか帰りたがらないのが悩みです(笑)。

Q: なぜ、ここに別邸を構えることに?

A:長いことロンドンに暮らしていますが、妻も私もだんだん田舎に家を持ちたいと思い始め、この物件に出会いました。ここは近くにある、現在はナショナル・トラストが管理する屋敷〈チャスルトン・ハウス〉の農場だったところで、家の一番古い部分は1610年に建てられたもの。牛舎や納屋が隣接し、ここで生まれ育った兄弟が酪農をしながら暮らしていたものが売りに出ていました。最初に訪問したときは本当にボロボロで、蜘蛛の巣だらけのところもあって。が、景観も素晴らしく、食用の鯉のための池もあり、手を入れれば素晴らしい家になるヴィジョンが広がりました。


Q:ボロボロとはいえ、保存指定がついていますね?

A:ええ。なので、増改築にもいろいろ規制があって許可も必要です。それで完成まで5年ほどかかりました。メインの住居用の建物と隣接する牛舎や納屋の部分をつなげる接続部を増築して、一つの大きな建物にしています。端から端まで50メートルあり、その両側にキッチンを作りました。どこにいてもコーヒーがすぐに作れるように、と言ったりしますが、実際には子供たちやゲストが来たときに真ん中で家を2つに分割できるように考えてのことです。既存の建物を修復して生かしながら、断熱材を入れたり、床暖房を入れたり、屋根を葺き替えたり、新しい大きな窓を付けたり、新築より大変な作業です。

Q:その他にも別の建物がありますが。

A:池に面した二階建ての建物も古い納屋を改築したもので、ここも独立したゲストハウスになっています。あとは木製チップが燃料のバイオマスボイラーのある建物とランドリー用の小屋が別々にあります。ガーデンは妻のキャサリンの担当ですが、草花やハーブなど育てています。農地の部分は貸し出していて、牛がすぐそばまで来ることもあります。

全方向が開口した部屋。窓は合計66もある。

Q:そして、この家を舞台に、料理本『Home Farm Cooking』が出版になりました。

A:家族や友人が集まって食をともにするというのが、この家の目的の一つなので、料理本はぜひ出したかったんです。20年前にもロンドンの自邸を舞台に『Living and Eating』という料理本を出しています。その時はプロの料理家とのコラボですが、このあたりには地産の素晴らしい食材もあるし、実際にこの家で食べている家庭料理を紹介したいと。そこでキャサリンがレシピを考え、ロックダウンの間にここで彼女が実際作った料理を撮影しました。建築とインテリアほか食器なども私がデザインしたものを使っています。

Q:料理だけでなく、人が食べる様子なども盛り込まれ、ミニマリストの生活の様子がわかる楽しい本になっています。そして、今日はその本の中から、キャサリンさんがトマトタルトを作ってくださいました。こんなおしゃれな食事を毎日しているのでしょうか?

A:(キャサリン)実際にはどれもシンプルなレシピなので、意外と簡単だと思いますよ。ここにはいろんなゲストも来るし、これを機に料理のレパートリーを広げようと思っていたところ、本にしようということになって。季節ごとにおつまみからデザートまで、100のレシピを載せています。ジョン? 彼は試食専門です。今日はお天気もいいし、池のほとりのテーブルで食べましょう。夏は外で食べることが多いですが、季節によってレシピだけでなく、食ベる場所も変わります。

「トマトとオレガノのタルト」は、パイ生地にそのまま具を乗せて焼くスタイル。

Q:外の大きなテーブルもベンチもマーブル製という贅沢さ!

A:マーブルはキッチンやバスルームのシンクなどにもたくさん使ってますが、一番気に入っているのは食料庫の棚の部分。マーブルはひんやり冷たいので食料の保存にもいいから。無駄な贅沢と人は言いますが、自己満足として。床などの木はエルム材を使っています。イギリスではその昔、屋敷にはオーク財を、農家のような建物にはエルム(ニレ)を使っていました。以前はふんだんにあったエルムの木ですが、ヨーロッパでは1970年ごろからニレ枯れ病というのが広がり、ほとんどのエルムが枯れてしまった。そんななかで見つけた一本のエルムの木を製材して使っています。

Q:人が集まる場ということですが、お二人で暮らすには巨大です。仕事場も兼ねているのですか?

A:いや、キャサリンのオフィスはありますが、私のはあえて作らず、家の中、外、場所を変えながら仕事をしてます。とはいえ、こういうのどかな環境だと仕事をする気も失せますね(笑)。パンデミックでは所員もみんな遠隔で仕事をするようになりましたが、自分も仕事の仕方がリラックスしたと思います。隠居する気は全くないですが、70歳になって大英帝国勲章(CBE)もいただき、人生について色々考えるようになって。そこにパンデミックですから。次に何が起こるのか予測はつきませんが、まだいろんなことをやってみたい。料理本もその一環です。デーヴィッド・チッパフィールドはスペインでバーを始めたって聞いたし。実際、彼がカウンターに立ってるって話だけど……。

元牛舎だった部分。屋根裏に貯蔵してある干し草を下に落とすための開口部が左側に。その部分もあえて残してある。

Q:ポーソンさんの人生を振り返ると、「たまたま」という偶然や直感によって道を切り開いてきた印象があります。日本との不思議な縁もあります。

A:若い頃、日本のドキュメンタリーを見て、美しい寺や剣道、茶の湯などの世界観に魅せられました。それで、当時、高校を出て父のテキスタイルビジネスを手伝っていたのですが、近くにあった空手道場に入門したんです。師匠はハヤカワアキラという人で、メキシコ人にも見える風貌を生かしてマカロニ・ウェスタンにも出ていたりで、とにかくカッコよかった。彼の忍耐強い指導である程度は上達したんですが、それ以上の才能はなく......。

Q:その後、禅僧を目指して日本へ?

A:若気の至りと言いますか。24歳の時に初めて訪日し、帰国していたアキラを頼って名古屋に行きました。アキラの父は地元の寺の住職で、禅寺なら福井の永平寺でしょう、ということになって。アキラが車で送ってくれて、実際に永平寺の門を叩いたわけですが…。修行の厳しさに半日でこれはムリだ、という悟りに至りました。アキラはもちろんそのことを見越して待っていてくれました(笑)。

Q:そして名古屋に戻ったのですね。英語教師をしていたと聞きましたが。

A:それがまた別の偶然の導きで。その数年前にイギリスの湖水地方で観光客として来ていた日本人夫妻に出会い、連絡先を交換してたんです。日本人観光客はまだ珍しかった時代です。彼らもたまたま名古屋に住んでいたので、連絡して喫茶店で待ち合わせました。で、奥さんの方のジュンコさんが「向こうに見えるのが父の店です」というので、あ、あの呉服屋さんですか?と言ったら、いえ、その後ろって指さしたのが大きなデパートで。ジュンコさんの父は松坂屋創業家の当主、伊藤次郎左衛門だったんですよ。彼の誘いで京都の別邸に招待いただいたり、日本独特のハイカルチャーが見聞できたのはかけがえのない経験になりま した。また、ジュンコさんの義父から名古屋商科大学で英語教員を探してると聞き、ここで3年間、英語を教えることになったんです。資格も英語を教えた経験もなかったのですが。

田舎暮らしで、以前よりリラックスした様子のミニマリスト、ジョン・ポーソン。

Q:そんなことが! その後、東京に?

A:名古屋の仕事を辞めてから、東京にしばらくいました。それで、ドムス誌で見て気になっていた倉俣史郎のオフィスの門を叩いたんです。これが私にとって決定的な転機になりました。倉俣さんの仕事ぶりを間近に見て、やっと本当に自分がやりたいことに気が付いた。建築を目指すようにと言ってくれたのも倉俣さんです。それで、イギリスに帰り、AAスクールで建築を学ぶことになります。

Q:禅寺の門を叩かなかったら、倉俣の門も叩くことはなかったかもしれません。

A:そうかもしれませんね。もう一つ人生を変えたのは、カルバン・クラインとの出会いです。当時無名だった私の作品の写真を見た彼が、突然、ロンドンのスタジオのそばから電話をかけて来た。すぐそばにいるけどいるかって。それで、彼のニューヨーク旗艦店をデザインすることになりました。そして、このショップの写真を戒律の厳しいシトー派の修道士が雑誌で見て連絡してきて、チェコの〈ノヴィー・ドヴール修道院〉をデザインすることになったわけですから。

Q:あなたのミニマルな作品は、しばしば日本の禅やワビサビの世界観とともに語られてきました。

A:そうですね。が、実際には私の出身地のヨークシャー気質や、祖父母や両親が信仰していたキリスト教のメソジストは、装飾性や儀式を排したシンプルなものをよしとするものなので、その影響もあると思います。シェイカー教徒のスタイルや南仏のル・トロネ修道院などにも共通する装飾を排除した美しさには常に惹かれてきました。

Q:禅寺での修行は半日だけでしたが、一期一会を大切にされて来たという意味で、とても禅的だと思いました。日本との縁を感じる貴重なお話をシェアいただき、ありがとうございまいした。

ジョン・ポーソン

1949年生まれのイギリス人建築家。1981年にロンドンにスタジオを創設し、無駄を削ぎ落としたミニマリストというスタイルを確立。住宅、店舗、美術館、教会、橋、ヨット、ホテル、舞台美術、家具や照明、食器まで多岐に渡りデザインする。https://www.johnpawson.com/

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