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日本建築の巨人、丹下健三の足跡を追う展覧会。

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July 24, 2021 | Architecture | casabrutus.com

1964年東京オリンピックや1970年の大阪万博で大きな役割を果たした建築家、丹下健三。日本の風景を作ってきたといってもいい彼の前半生にスポットをあてた展覧会が開かれます。これまであまり紹介されてこなかった資料も見られる、貴重な展覧会です。

〈国立代々木競技場〉。うねる大屋根は二重の吊り屋根という構造の冒険の結果だ。国立代々木競技場|1964年頃|撮影:石元泰博|高知県立美術館©高知県、石元泰博フォトセンター

〈広島計画1946-1953〉に〈香川県庁舎〉、〈国立代々木競技場〉、〈日本万国博覧会お祭り広場〉。丹下健三の歩みはそのまま戦後日本の都市と建築の歩みでもある。時代をつくり、時代とともに歩んだ彼の存在感は没して16年になる今も薄れていない。

〈広島計画1946-1953〉。広島平和記念公園コンペに1等当選した翌年の1950年にまとめられたもの。『Peace City Hiroshima』所収。

彼が建築を目指したのは高校生のころ。学校の図書室でル・コルビュジエの〈ソビエト・パレス〉案を見たのがきっかけだった。戦後間もない1946年、東大建築学科の助教授となり、「丹下研究室」を構える。丹下は戦後復興院の依頼で多くの都市復興計画を手がけたが、中でも原爆で大きな被害を受けた広島の復興計画〈広島計画〉は大きな転機となった。ここで彼は〈慰霊碑〉や〈広島平和開館原爆記念陳列館〉を設計、猪熊弦一郎の紹介で知り合ったイサム・ノグチともコラボレーションしている。〈広島平和開館原爆記念陳列館〉の太い柱で持ち上げ足られたピロティにはル・コルビュジエの影響が見られる。

〈成城の自邸〉増改築案。1階がピロティ、2階に和室の居室がある自邸の、実現しなかった幻のプラン。1964年頃、個人蔵。

戦後、アメリカ文化が流入する中で日本人は自らの歴史やアイデンティティについて考えざるを得なくなった。そんな中、戦前に訪れたブルーノ・タウトが感動の涙を流し、アメリカのニュー・バウハウスで写真を学んだ石元泰博が撮影した〈桂離宮〉に注目が集まる。人々は日本の古建築である〈桂離宮〉にモダニズム建築の要素を見出したのだ。〈成城の自邸〉は丹下自身も撮影した〈桂離宮〉に重なるものがある。丹下は石元が撮影した〈桂離宮〉の写真集もプロデュースしている。

〈香川県庁舎〉を見つめる丹下健三。丹下は自作も含め、多くの写真を撮っていた。個人蔵。

1958年に完成した〈香川県庁舎〉ではコンクリートによって神社の柱や梁を思わせるファサードが表現された。ここでも日本の伝統と現代の技術とが融合している。〈香川県庁舎〉の庭と一体化したピロティは市民に開かれた場ともなっている。

〈東京カテドラル聖マリア大聖堂〉。〈国立代々木競技場〉と同じく構造設計家の坪井善勝と協働したもの。東京カテドラル聖マリア大聖堂|1964年|撮影:石元泰博|高知県立美術館©高知県、石元泰博フォトセンター

1964年は〈東京カテドラル聖マリア大聖堂〉と〈国立代々木競技場〉という2つの代表作が完成した重要な年だ。〈東京カテドラル聖マリア大聖堂〉では「シェル」と呼ばれる、鉄筋コンクリートの曲面で大空間を生み出した。内部では十字架の形をしたトップライトから光が落ちる。

〈国立屋内競技場〉模型(1/600)。大小2つの競技場が呼応するように並ぶ。1963年|秩父宮記念スポーツ博物館蔵。

直径120メートルほどの大空間の内部に1本も柱がない〈国立代々木競技場〉の大体育館は2本の柱にケーブルを渡し、そのケーブルからさらにケーブルを張りだして屋根にするという大胆な構造で作られている。この画期的な吊り屋根構造は世界中に大きなインパクトを与えた。

〈国立代々木競技場〉配置図(1962年)。メインの競技場ではJR原宿駅側と反対側の2カ所に出入り口を設け、非常時に避難しやすくした。The Kenzo Tange Archive [Yoyogi Gymnasium]. Gift of Mrs. Takako Tange, 2011. Courtesy of the Frances Loeb Library, Harvard University Graduate School of Design.

1970年の〈日本万国博覧会〉(大阪万博)で丹下はマスタープランと〈お祭り広場〉のプロデュースを手がける。〈お祭り広場〉では大屋根を突き破るように岡本太郎の《太陽の塔》がそびえ立ち、万博のシンボル的存在となった。太郎はこれに先だって〈国立屋内総合競技場〉や有楽町にあった丹下設計の〈東京都庁〉にも陶板画を制作している。

東京オリンピックや大阪万博での仕事で世界に認められた丹下は、その後、ヨーロッパや中東など海外に軸足を移し、実現しなかったものも含めて多くのプロジェクトを手がけた。この展覧会は国内で重要な仕事をした1970年までの彼の歩みに着目している。会場には〈成城の自邸〉の増改築案や構造資料など、これまで紹介されてこなかった貴重な資料も登場する。スケールの大きな彼の思考を改めて見ることができる。

丹下健三 1938-1970 戦前からオリンピック・万博まで

〈文化庁国立近現代建築資料館〉東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内。2021年7月21日~10月10日。10時〜16時30分。会期中無休。※7月26日〜30日の5日間は、旧岩崎邸庭園芝庭復元工事のため、同庭園は休園を予定しており、同庭園側からの入館はできない。上記期間中の入館は、湯島地方合同庁舎正門から。

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