July 27, 2019 | Design, Architecture | casabrutus.com
フランスのハイエンドなヴィンテージ家具を扱うギャラリーとして国内外で知られる広島の〈GALLERY - SIGN〉。東京にオープンした彼らの新しいスペースは、日本のモダンデザインの未知の魅力を掘り起こす。
ジャン・プルーヴェ、シャルロット・ペリアン、ピエール・ジャンヌレをはじめとする、フランスのミッドセンチュリーに活躍したデザイナーたち。その貴重なヴィンテージ家具の中でも特に上質なものを扱うギャラリーとして、多くの顧客に信頼されているのが〈GALLERY - SIGN〉だ。2005年に東京でオープンし、2015年からは拠点を広島に移したが、待望の新しいギャラリーが六本木に完成した。オープニングと同時に『シャルロット・ペリアン&坂倉準三』展が開催されている。
「新しいギャラリーも、20世紀のフランスの優れたデザインを扱うのがベースなのは変わりません。それに加えて、日本のモダンデザインをきちんと発信したいと考えています。フランスと日本のデザイナーが、ルーツの部分でつながっていることも多い。特に坂倉準三は、パリのル・コルビュジエの建築事務所で働いていた時、同僚だったシャルロット・ペリアンに大きな影響を受けていました」
〈GALLERY - SIGN〉の溝口至亮さんは、そう語る。1930年代にル・コルビュジエに師事した建築家で、帰国後は日本に近代建築を根づかせていった坂倉。自身の設計事務所に家具工房を設えて専門の職人を雇うほど、彼は家具のデザインにも力を入れていた。ル・コルビュジエの事務所でインテリアや家具を手がけたペリアンのプロフェッショナリズムによって、坂倉は建築における家具の大切さに気づいたようだと、溝口さんは説明する。
1940年、ペリアンは商工省の招聘により、日本を訪れてもの作りの現場を見て回った。坂倉はその人選にかかわるとともに、来日した彼女の視点や創造性にあらためてインスパイアされたらしい。ペリアンが来日の成果を披露した1941年の展覧会『選擇 傳統 創造』では、竹を使った家具などが発表されたが、後に坂倉も竹製の家具に取り組んでいる。
「今回の展覧会では、坂倉が設立した三保建築工芸が1947年から翌年にかけて製造した竹の家具も展示します。量産を目指したものの、わずかな数しか出回らなかったものです」と溝口さん。当時のペリアンの来日は、デザイナーの柳宗理にも影響を与えたことが知られている。しかし彼は竹を用いた家具はデザインしていない。実は建築家である坂倉のほうが、ペリアンとの交流が長く、親交も深かった。
「ペリアンの作品については、1955年開催の東京でのグループ展『ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展』で発表された家具など、日本から影響を受けてデザインされた家具を展示します。また1953年頃、彼女は坂倉と共同で東京のエールフランスの仮オフィスをデザインしました。そのために彼女がデザインした世界地図もあります」
〈GALLERY - SIGN〉は、フランスの家具を数多く扱う一方で、オープン当初から日本の近代建築やモダンデザインに関する資料を収集し、坂倉が手がけた現存する公共建築のほとんどに足を運んできた。また坂倉事務所の元所員など当時の状況を知る人々からも、積極的に話を聞いているという。
「パリやニューヨークのヴィンテージ家具のギャラリーも、こういう活動を草の根的にやっていて、きちんと情報を発信しています。僕らはそれを日本でやっていきたい。日本のモダンデザインは海外でも注目されつつありますが、正確な情報が行き渡っていないという課題があります。この展覧会では、坂倉準三をテーマにしたフリーペーパーを作り、今まで集めてきた文献も公開(アポイント制)しています」
〈GALLERY - SIGN〉では今後、ル・コルビュジエとともにインドのチャンディーガルの都市計画を手がけたピエール・ジャンヌレの家具や、イサム・ノグチと剣持勇という同時代を生きたふたりにフォーカスする展覧会を予定。ジャンヌレ展も、チャンディーガルの完成当初に現地を訪れた丹下健三ら日本人建築家の足跡を調べるなど、新しい切り口を構想している。
自国のミッドセンチュリー・デザインの価値が、美術館やオークションで高く認められる欧米に比べ、日本での再評価の取り組みは十分でない。近代建築を保存する動きはあるが、内部のインテリアや家具は残されないこともある。その点で、〈GALLERY - SIGN〉のように地道な活動は重要だ。新しいギャラリーでは、歴史に裏づけられたアイテムを、ミニマルなホワイトキューブをきわめた空間で組み合わせて見せていく。それほど広いスペースではないが、これから担おうとする役割にはとても大きな意義がある。