March 1, 2019 | Art, Architecture, Design | casabrutus.com
1918年にル・コルビュジエが提唱した芸術運動「ピュリスム」にスポットをあてた展覧会が、彼が本館を設計した〈国立西洋美術館〉で2月19日からはじまりました。本当は画家になりたかった彼の、絵画と建築の関係が見えてきます。
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「ピュリスム」とは第一次世界大戦後の1918年末にル・コルビュジエと画家のアメデ・オザンファンが提唱した概念だ。オザンファンはル・コルビュジエより1歳上の画家で、2人はヨーロッパ各地を遍歴した後、1917年にパリで出会った。彼は建築家のオーギュスト・ペレと親しく、ペレの下で働いていたル・コルビュジエとそこで接点があった。この頃、ル・コルビュジエは本名のシャルル=エドゥアール・ジャンヌレを名乗っている。オザンファンはル・コルビュジエに油絵を教え、1920年からはともに雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を刊行した。ル・コルビュジエはジャンヌレが『エスプリ・ヌーヴォー』で使っていたペンネームだ。
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「ピュリスム」は、あえて訳せば「純粋主義」となる。戦争中のフランスでは本来フランスの文化に備わっていた理性や秩序、合理性が戦前の時代に外国の影響で失われてしまったという主張が広まった。戦争の終結を機に、失われたフランスの精神を取り戻し、構築と統合を重視した芸術を打ち立てよう、というのがピュリスムだった。
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秩序や機能性・合理性を重んじるピュリスムでは形が優先され、色彩は形態に従属するとされる。強い色を使うと絵の中の空間を壊してしまうので白や茶、灰色、ベージュといった淡い色が中心だ。モチーフにはコップやワインボトルなど、身近な日用品が多い。それらは長い時間を経て機能的にも経済的にもムダのない、洗練された完全な形になったと考えられるからだ。
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こうして絵画を重視していたル・コルビュジエだが、その内容は少しずつ変化していく。1921年にル・コルビュジエとオザンファンは、2人を支援していた銀行家でアート・コレクターであるラ・ロシュのために、オークションでピカソやブラック、レジェらの絵を購入する。彼らはそれまでキュビスムに対して批判的だったが、ル・コルビュジエはその良さを改めて認識することになった。これをきっかけに彼は、規則に縛られたピュリスムのあり方に疑問を持つようになる。
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彼はオザンファンを師としてあおぎ、ピュリスムの原則に忠実に従っていたが、もっと自由な色や形の可能性を試したいと思うようになったのだ。2人は次第に不仲になり、1925年にはオザンファンが『エスプリ・ヌーヴォー』を離脱する。ピュリスム運動は終わりを告げ、ル・コルビュジエはその後40年間にわたって建築家として活躍することになったのだ。
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この頃のル・コルビュジエは、毎日午前中は自宅で絵を描き、自身の建築設計事務所には午後になってから出かけるのが日課だった。1930年にはすでに建築家として知られていたのに、イヴォンヌ・ガリと結婚した際の届け出の書類には「職業・画家」と書いている。
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ル・コルビュジエの絵画の変遷は、彼の建築の変遷を先取りしているともいえる。彼にとっては絵画も建築も芸術の一ジャンルであり、対等なものだった。彼は建築を実用的な機能を満たすだけでなく、人を感動させるものでなくてはならない、と考えていたのだ。しかし絵画は自分ひとりで好きなように描くことができるが、建築はそうはいかない。クライアントがいるし、実際に建てるには強度やコストや工期などさまざまな制約がある。ル・コルビュジエは自分のアイデアを絵画で実験し、後に建築に応用していた。
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たとえば、彼の絵画の初期にあたる「ピュリスム」の時代には、前述したように色彩は控えめ、形も円や直線など幾何学的なものが多い。建築でも初期の作品は“白い箱”と称される、白くてシンプルな形態を追求している。
またル・コルビュジエとオザンファンは絵を描くのに「トラセ・レギュラトゥール」(規整線)を使っていた。対角線や黄金比などをもとにした“補助線”を引き、その補助線に沿って画面を構成するというやり方だ。この「トラセ・レギュラトゥール」はル・コルビュジエの建築にも応用される。彼の著書「建築をめざして」にはファサードに「トラセ・レギュラトゥール」をひき、窓の位置などを決めたスケッチが掲載されている。
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オザンファンと決別した1925年代の後半から1930年頃にかけて、ル・コルビュジエはピュリスムから離れる。また建築家として世に出ることを優先し、絵画の発表もやめてしまったが、制作は続けていた。その絵は直線を多用したピュリスムとは異なる、曲線を多用した有機的な線へと変わっていく。コップや瓶はぼってりとした量感を持ち、ふくらんでいくようだ。ピュリスムでは描かなかった風景や人体を描くなど、モチーフも変化する。女性の体や骨、バイオリンなどはとくに曲線が強調され、官能的な香りさえ漂う。
「ただし彼の絵が180度転換したというわけではなく、彼の中では、この2つは本質的には一貫したものととらえられていました」と国立西洋美術館副館長の村上博哉さんは言う。
「彼は、自然は表面的には不規則で有機的な曲線でできているけれど、その本質には幾何学があると考えていました。この変化は〈ロンシャンの礼拝堂〉など、有機的な曲線を多用した彼の後の建築にもつながります」
この展覧会で見られるル・コルビュジエの絵は後の彼の建築を予言している。彼の頭の中で絵画と建築がどのように結びついていたのかが見えてくる。
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会場にはル・コルビュジエの絵画のほか、ピカソ、ブラックなどの作品も並ぶ。彼と同時代に活躍した画家たちだ。ル・コルビュジエはもともと、この美術館が「近代の精神を普及する拠点になってほしい」と考えていた。いつもはルネサンス絵画などが並ぶ本館でル・コルビュジエを含む近代美術を展示することは彼のコンセプトにも合致する。普段よりは照度も上げていて、白い壁がより輝いて見える。近代絵画との対比によって、建物のディテールにもあらためて気づくはず。ル・コルビュジエの空間を改めて体感できる展覧会だ。
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●ル・コルビュジエが作った理想の美術館建築を味わおう!
ピロティ、スロープ、建築的プロムナード、無限成長美術館。ル・コルビュジエが本当に作りたいと思った美術館建築のエッセンスを改めて堪能しよう。
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