November 14, 2018 | Art, Architecture, Travel | casabrutus.com
世界遺産である〈ヴェルサイユ宮殿〉で杉本博司の大規模な展示が開催中だ。日本の能の表現を借りて、この地に縁のある歴史上の人物たちを蘇らせ、マリー・アントワネットのためにはガラスの茶室を設置した。

世界のどこかで同時多発的に展覧会が開催されていることも珍しくない杉本博司。自身が所有する〈江之浦測候所〉をプロデュースし、たとえばこの秋は現代美術作家として熱海、テルアビブ、長崎で展覧会を開き、さらに主宰する建築設計事務所の展示を東京で展開している。今年から来年にかけて最も大規模な展示となったのが、フランス、パリ郊外〈ヴェルサイユ宮殿〉での『SUGIMOTO VERSAILLES』である。
世界遺産である〈ヴェルサイユ宮殿〉では毎年、現代美術の展示が行われていて、これまでジェフ・クーンズ、村上隆、李禹煥、オラファー・エリアソン、アニッシュ・カプーアらがそれぞれにこの場を使い、サイトスペシフィックな見映えを競い合ってきた。
そして今回は杉本博司の出番である。杉本に与えられたのは宮殿の本館ではなく「トリアノン区域」だ。ヴェルサイユを観光で訪れる人は多いが、ここまで足を運ぶ人は少ない。〈ヴェルサイユ宮殿〉の北西に位置し、ルイ14世の構想に基づく大理石の城である彼の私邸、現在呼ぶところの〈大トリアノン宮殿〉、ルイ15世が建設した〈小トリアノン宮殿〉がある。そして、ルイ16世はこの場所を妻に贈った。だから、私たちはここをマリー・アントワネットの隠れ家的な場所として知っている。彼女は、さらにここに建物や劇場、田舎風の風景の庭園を作らせたのだ。〈小トリアノン宮殿〉は2008年に家具調度品も含め、全面的に復元されている。

杉本がこの地に立ったとき、歴史上の人物が現れ、行き来したのが見えたのだろうか。まるで映画のラッシュを見るかのように。彼はこんなことを語っている。
「〈ヴェルサイユ宮殿〉の歴史の中では多くの貴顕の紳士淑女達がこの宮殿を訪れ、そして去っていった。私は日本の中世以来の演劇形式である“能”が、舞台上に死者の魂を亡霊として呼び出し語らせるように、この〈小トリアノン宮殿〉を能舞台に見立てて、ヴェルサイユを訪れた過ぎ去りし人々の霊を蝋人形として呼び寄せることにした。ウェリントン公爵、ヴィクトリア女王、サルバトール・ダリ、昭和天皇、エリザベス2世、フィデル・カストロ、プリンセス・ダイアナたちだ」(杉本博司)

エリザベス女王、ダイアナ妃、フィデル・カストロ、昭和天皇裕仁。彼らに共通しているのは、かつてこの宮殿を訪れたということ。エリザベス女王以外は皆、鬼籍に入った人たちである。この宮殿を舞台にした霊界との交信。この展覧会は杉本の言うように“能の一番”なのである。
〈小トリアノン宮殿〉2階のマリー・アントワネットの居室には映画『マリー・アントワネットの生涯』(1938年、アメリカ)でマリー・アントワネットを演じているノーマ・シラーのモノクローム写真が展示されている。正確に言えば、ノーマ・シラーの蝋人形の写真だ。ここに暮らした歴史上の人物が絵に描かれ、それを元に映画が作られ、女優が演じたシーンが蝋人形のセットになり、それを杉本が撮った。時間、記憶、伝達のメディアである写真にはそんな役割があり、時に芸術にまで高められる。

●幾何学模様の意匠と数式に導き出された立体作品を対比で見せる企み。

〈小トリアノン宮殿〉から見て、池の向こう側に建つ八角形の〈ベルヴェデール亭〉。近くに配置された岩とも合わせ、まるでカントリー風の趣ある風景を醸し出している。
壁の植物模様の装飾、床の幾何学模様のモザイクが美しいこの小さな建物の内部に、数理模型から想を得て杉本が制作した立体作品を置いた。それは美しい双曲線関数で示すことができる形だ。この建物のインテリアが「ユークリッド幾何学」を反映した模様を持っているのに対し、そこに「非ユークリッド幾何学」に基づく立体作品を杉本は置くことにしたのだ。ユークリッド幾何学を元に非ユークリッド幾何学が模索されていたのは、まさにこの建物が完成したのと同じ18世紀後半。しかし、非ユークリッド幾何学が成果を見せるのは19世紀初頭のことである。

ところで、この展覧会タイトルは『SUGIMOTO VERSAILLES – Surface de Révolution』という。このことに触れておきたい。「Révolution」は一般には「革命」だが、回転という意味もある。回転式装弾機構を持った小銃を「リボルバー」と呼ぶように。だから、このタイトルの訳は「革命の表層」であり、またこの杉本の回転で出来上がったような立体作品が見せる表面、つまり有り様でもある。この宮殿の主たちは、革命の犠牲者になり断頭台に消えた。抜け殻になった場所での展覧会に、そんなダブルミーニングなタイトルを杉本は与えたかったのだろう。
●マリー・アントワネットが作った劇場を、杉本が「劇場」シリーズの手法で撮った。

マリー・アントワネットは演劇に対し、情熱を傾け、敷地内に劇場も建設している。建築家は〈ベルヴェデール亭〉と同じくリシャール・ミーク。1780年春に竣工した。革命までの5年の間に、マリー・アントワネットはこの劇場のため何人かの作曲家に制作を依頼した。そして、ごく少数の観衆を前に、彼女自ら芝居を演じたのだという。
杉本はこの劇場に仮設のスクリーンを張り、自身の「劇場」シリーズの撮影法(映画1本の上映時の光を長時間露光で1枚のフィルムに収める。その照り返しによって劇場のインテリアが描写される)で撮影した。上映した映画は、ソフィア・コッポラ監督、キルスティン・ダンスト主演の映画『マリー・アントワネット』(2006年、アメリカ)。マリー・アントワネットは21世紀の映画監督に描かれた自分を見て、何を思うのだろう。

杉本は現代美術作家としてのキャリアを写真作品からスタートした。そのため、2000年くらいまでは写真家と呼ばれていた。その後、建築の仕事、立体作品の制作、古典芸能のプロデュース、作庭、さらに『ロスト・ヒューマン』展(東京都写真美術館)や『信長とクアトロ・ラガッツィ』展(MOA美術館)のように単なる作品の陳列ではなく、展示全体でストーリー性を色濃く押し出したり、インスタレーション形式で見せるようになった。そんな杉本だが、写真による作品シリーズの一つに「ポートレート」がある。
ポートレート(肖像)といっても、杉本の被写体は生身の人間ではく、蝋人形だ。「ポートレート」シリーズは、杉本の仕事としてはさらにさかのぼる「ジオラマ」シリーズの延長、または応用である。「ジオラマ」シリーズでは撮影されるシロクマやオオカミは剥製だが、杉本の手にかかると剥製であることは忘れられ、リアルなものに見えてくる。その驚異と愉悦。しかも、時間の静止している被写体(剥製やジオラマ)を写真という装置でもう一度静止させる。

すでにこの世にいない人間であっても、蝋人形を撮影することによって、そこにいるかのように甦らせることができる。本人と見紛うリアルさで。そんな仕事に、杉本は1999年から取り組んできた。ヴェルサイユで展示することが決まった時、杉本はこの場所にゆかりの深い3人の人物を“呼び戻そう”と考えた。ルイ15世に仕えた啓蒙主義者ヴォルテール、そして、フランス共和国成立後の初代アメリカ大使として赴任したベンジャミン・フランクリン、そしてもう1人は皇帝ナポレオン・ボナパルトである。彼らは皆、〈ヴェルサイユ宮殿〉にやってきている。
杉本は彼らの肖像をすでにロンドンのマダム・タッソーの蝋人形館で撮影していたが、今回、それをまさにこの地で展示するという奇縁に恵まれた。そもそも「マダム・タッソー」ことマリー・グロシュルツはフランス革命前、ルイ15世お抱えの蝋人形師にして、子どもたちの美術教師としてヴェルサイユに滞在していた。フランス革命に巻き込まれ、ギロチンで処刑される側にいたが、蝋人形の技術を買われ、処刑は免れ、犠牲者のデスマスクを作る側にまわったという。
●池の上にミニマルなガラスの茶室を設置した理由。

2014年、「ヴェネツィア・ビエンナーレ 国際建築展」の時にヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に設置し、話題になった杉本設計のガラスの茶室《聞鳥庵(もんどりあん)》が、〈大トリアノン宮殿〉から伸びるプラ・フォン池の中に設置されている。
マリー・アントワネットはロココ趣味の宮殿よりも、自ら望んで建てさせた「Maison de la Reine(王妃の家)」と呼ばれる田舎風の建物で暮らすことを望んだとも言われる。権勢と豪奢を知った上でたどり着いたところがそれなのか。そして、杉本はそんなことから、村田珠光が「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」と言い、また、千利休が侘び茶を完成させたことに連想が及んだらしい。王妃の清貧を思う時、その地にこの利休らから影響を受けた杉本のミニマルな茶室を設置してみたのは当然のなりゆきにも思える。

記者会見で杉本自らが語っていたのだが、この展覧会は準備期間なんと4カ月で作ったとのこと。「ポートレート」シリーズや数理模型、茶室をこの地にまつわるストーリーに沿う形で見事に配置し、劇場の撮り下ろし新作を見せてくれるなど高度な展示を作り上げた。世界遺産であるヴェルサイユの建物や庭園という得難い空間。そこに斬り込むのは現代美術から始まり、建築、演劇領域での活動、能や茶の知識を備えた杉本。この組み合わせでしかあり得ないハイレベルで洗練された仕上がりの展覧会である。