March 31, 2016 | Architecture, Art | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
半世紀以上、建築写真を撮り続け、建築家たちが絶大な信頼を寄せる写真家、藤塚光政。独自の視点で建築史を語る藤森照信。構造設計者の腰原幹雄。彼らが共著『日本木造遺産』で発見した、日本の木の名建築の秘密に迫る写真展が開かれる。外から中から、そして空からの撮影にも挑んだ藤塚さんに聞きました。
藤塚光政さんの個展「日本木造遺産ー千年の建築を旅する」に出品されるのは〈平等院 鳳凰堂〉〈成巽閣〉〈厳島神社〉など全国23か所で撮影したもの。ものによっては1,000年以上の時を超えている。撮影した藤塚さんは、専門家とは、また違う見方をしている。 「〈大瀧神社〉に行った時はものすごくいい天気で、神主さんが『最悪の時に、おいでになりましたね』だと。俺だってそう思ってんだよ。日本は雨が多いから屋根が発達したのだ。特に、この大瀧神社の屋根は雨に濡れてなきゃダメなんだ。福井に泊まって、一晩中、大瀧様どうか雨に濡れたお姿を、と願いし続けた。しかし、福井は翌朝も晴天。でも、気象情報では越前市には微かな雨の望みがある。かんかん照りの福井から現地に問い合わせると、『快晴です』だと。それでも自分の予想と大瀧様を信じて越前に向かった。晴れてるときにもう撮ったのに、まだ撮るのか、と編集者はオカンムリだ。ところが近づく程に雲は増し、現地に着く前からものすごい夕立が降りだした。大瀧様は霊験あらたかだった。5層になった檜皮葺きの屋根を雨がすべり降り、木々の緑、地の苔すべてが神様一体となって香気を放って『神様は本当に、そこに御座(おわ)しました』と思った」神の恵みを得た藤塚さんのレンズには、瑞気まで写し取られている。 奈良・吉野にある〈金峯山(きんぷせん)寺 蔵王堂〉では1階と2階の同じ位置に柱があるのだが、実は地面から2階の天井までつながった「通し柱」ではない。 「1階の上に2階を載せてるだけだから、地震でずれてるんだ。これが意識した昔の“免震構造”なのかはわからない。でも、ここに限らず日本の木造建築って『置いてるだけ』っていうのがわかってきた。布基礎に土台をボルトで固定したり、掘っ立て柱で造った建築以外、特に伝統の木造建築は、礎石を置いて、その上に柱を載せて建て、自重で安定させている。だから、曳き屋なんかもできるんだね」 一方、京都の〈蓮華王院 三十三間堂〉では、敷地は地震の揺れを吸収する版築(はんちく・土や小石を交互に詰めて突き固める工法)を採用し、壁は土壁ではなく板倉造りにしている。板倉は両側の柱に刻まれた溝に板を落とし込み、そこで揺れを逃す工法だ。さらに梁も「虹梁(こうりょう)」と呼ばれる、弓なりに反ってアーチのように地震に強い自然木を使っている。しかも二重にしている。日本は地震国だが、他の建物ではここまでしつこく耐震策をとっているものはない。 「なんでこの建築だけ、こんなに念を入れて免震を考えたんだ、と不思議に思った。でも、どこにも書いてない。どうしてかなー、と考えた。たぶん、千体並んでる千手観音像が、ほんのちょっとの揺れでも、ドミノ倒しになっちゃうから。だって、あの細い光背や錫杖がぽきぽき折れてしまったら大変。無論、観音像は置いてあるだけじゃなく、杭を並べて差し込んでいると思う。そうじゃなければ、あの整列はできない。あの映像的な仕掛けを持つ仏教のメディアとしての建築は実に素晴らしい。資財協力したという平清盛は、東大寺を再建した重源とは3歳違い。両者とも偉大な建築プロデューサーだね」 「載せるだけ」だからできることもある。神奈川県川崎市にある〈菅(すげ)の船頭小屋〉は茶室の傑作〈待庵〉と同じ、面積わずか一坪の小屋。船頭が客を待つ間に使う、川べりの小屋だ。この船頭小屋には四隅に鉄の輪がついている。川が増水してきたら輪に丸太を通して、お神輿のように小屋ごと担いで安全なところまで運ぶ。できるだけ軽くするために屋根には瓦を載せていない。本体と連結した基礎をがっつり土中に埋めていたらこんなことはできない。木造のモバイル・ホームだ。 とてもじゃないけど簡単に近づけなさそうなロケーションに建っている〈投入堂〉を藤塚さんは、「倉俣史朗を感じる」という。ガラスやエキスパンドメタル、透明なアクリルにバラの造花を封じ込めた椅子などで知られたインテリア・家具デザイナーだ。1991年に56歳で夭折した天才デザイナーと藤塚さんは仲がよかった。 「〈投入堂〉のはかなさ、危うさは、クラマタのデザインに通じると思う。クラマタの美には、気高くせつなく、やるせない儚さがあったからね」 書籍に収録された写真の中には空撮もある。
「〈投入堂〉は北壁にあるんだよ。だから絶対に陽がささない。積雪期の厳しさを知るために空撮したかったんだ。雪が積もったあと、晴れた日に対岸の雪をレフ板(反射板)にして撮った。しかも飛行機から〈投入堂〉まではそんなに距離がないし、旋回したら、絶壁に激突しちゃうし、直線飛行だから、すぐに通り過ぎちゃう。何度か往復してようやく撮ったんだ」 有名な清水寺の舞台は「三方懸造(かけづくり)」という工法で造られている。崖などに細い柱を立て、その上に建物を造る工法だ。千葉県の〈笠森寺 観音堂〉は日本で唯一の「四方懸造」でできたお堂。それにしてもなぜ、四方を懸造にしたのだろうか。 「撮影したときに縁の下に潜ってみたら、蟻地獄がいっぱいあるんだよ。蟻地獄は獲物が滑り落ちてきやすいように、乾いててさらさらした砂に巣を作る。調べたらここら辺は笠森層っていう地層で、崩れやすい泥砂岩なんだ。山の頂上におわす観音様を守るために、山に屋根をかける気持ちで作ったんだね」
藤塚さんにかかると昔の人の知恵が生き生きと蘇る。藤塚さんは「生まれ変わったら大工になりたい」と言うが、すでに大工の魂が乗り移ってるんじゃないかと思うほどだ。 山口にある〈瑠璃光寺 五重塔〉では、内部も撮影することができた。4段目の四重で三脚を構えていると地震とは違う、妙な揺れを感じたという。五重塔が風などの外力をわずかな揺れで受け流す機能を体感することができたのだ。外からきれいに撮影しようなんてしていたら決してわからない。 「俺は美しく撮ろうとは思ってない。建立者の構想を思考しながら追跡し、現場でかぎとる、いやらしい楽しみ方なんだよ、でも、昔の人と話をしているみたいだぜ(笑)」
そんな楽しみ方ができるのは長年、古今東西の建築を見つめてきた藤塚さんならでは。個展会場でぜひ、その“いやらしい”楽しみをちょっと分けてもらおう。