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小澤征爾の名言「ぼくのもっているテクニックを使って、…」【本と名言365】

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April 26, 2024 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。日本だけでなく世界のクラシック音楽を牽引した小澤征爾。指揮者として、教育者として、多くの人がこの人の周りに集まり、影響を受けてきました。みなが口を揃えるのは、その魅力的な人柄。若い頃に記した名著からその人となりが窺えます。

小澤征爾/指揮者

ぼくのもっているテクニックを使って、必ずみんなのアンサンブルを整えることができるという自信を持っている

1973年にアメリカ5大オーケストラのひとつ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任したとき、小澤征爾はまだ38歳だった。そこから2002年まで、実に約30年間にわたって小澤はその職を全うする。古典を扱う芸術ジャンルの中でも、特に分厚いカーテンの向こう側にあるイメージが強いクラシック音楽の世界で、彼はライバルも聴衆も圧倒し続けた。鋭い眼光、振り上げられた長い髪。全身が指揮棒になったような威圧感。かと思えば時折、お茶の間のテレビに顔を出して、老獪な言葉を発する。そしてそのすべての側面で人々を魅了した。我らが「マエストロ」は、今思えば本当に若くして出来上がっていたし、長い間そうであり続けた。

しかし、自伝『ボクの音楽武者修行』には、そんなマエストロのイメージは見当たらない。スクーターのバイクとわずかな荷物を持って、神戸の港から貨物船に乗りヨーロッパへと向かった、希望だけしか抱いていないひとりの青年の物語。貧乏もトラブルもなんのその。時にはでたらめ、時には旅の女神に微笑まれて珍道中を繰り広げる青年の、人間味あふれる旅の記録だ。

行き当たりばったりの旅の道中では、人づてに偶然聞いた指揮者のコンクールに出場しようとするも締切に間に合わず、日本大使館に駆け込んで支援を請うが却下。ところが小澤はめげずにアメリカ大使館に駆けつけ、なぜか(!?)便宜を図ってもらう。そうして、世界的に伝統のあるブザンソン国際指揮者コンクールに出場し、あっけなく一位をとってしまうのだ。

「ぼくはどんなオーケストラへいっても、そのオーケストラが、あるむずかしい曲で合わなくなったり、アンサンブルがわるくなったりしているときに、ぼくのもっているテクニックを使って、必ずみんなのアンサンブルを整えることができるという自信を持っている」

これは我々の知るマエストロの言葉ではなく、世界の片隅で音楽を志す情熱しか持ち得ない無名の若者の言葉だ。途轍もない自信家が、その闇雲な自信を頼りに世界を渡り歩いていく姿は、眩しく、頼もしい。

小澤征爾はこの海外での修行を2~3年ほど行い、帰国後の26歳のときにこの本を著した。そのためかどのエピソードの記憶もヴィヴィッドで、文章も衒いがなく瑞々しい。文庫は手元にあるもので49刷(令和5年11月5日)。年輩者が学生や新卒社会人に贈る本としてもロングセラーとなっている。

フランス政府給費留学生の試験に落ちた小澤が、友人知人の援助を得て、1959年に貨物船で単身渡欧。約2年半の間、フランス、そしてアメリカを訪問し、音楽はもちろん、人との出会い、訪問地の印象など、未知の世界に一喜一憂する若者の姿に共感する1冊。『ボクの音楽武者修行』著:小澤征爾、新潮文庫 649円/1962年、1980年(文庫初版)。

おざわ・せいじ

1935年、満州生まれ。歯科医の父親のもとで育つ。成城学園中学高時代に、ラグビーとピアノを習う。高校では斎藤秀雄の指揮教室に入り、斎藤が教授を務める桐朋学園短期大学音楽学部へと進学。1959年に単身でフランス、アメリカへと渡り、カラヤン、バーンスタイン、ミュンシュら世界屈指の指揮者に師事。音楽監督としては、トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場など。サイトウ・キネン・オーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団の創立に携わるなど、後進の育成にも精力を注いだ。2024年、都内にて88歳で逝去。

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