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ブルーノ・タウトの名言「われわれは完全な釣合いを、…」【本と名言365】

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April 19, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。新素材への挑戦から1万戸を超える集合住宅まで幅広い仕事をこなした建築家、ブルーノ・タウト。建築の要諦を日本で書き残しています。

ブルーノ・タウト/建築家

われわれは完全な釣合いを、妬み心を去り、大らかな気持ちで享受すべきである。

1880年生まれの建築家ブルーノ・タウトは、33歳になる年に鉄の記念塔を、翌年にガラスの家を立て続けに発表する。かたや鉄、かたやガラスと、近代工業が大量に生み出す新素材を駆使し、これまでにない建築を作り上げた。40代に入ると市庁舎や集合住宅に原色に近い鮮やかなペンキを施し、「色彩建築」を実践。その後52歳になる年までベルリンで1万2千戸ものジードルング(集合住宅)の設計を手掛ける。

1933年にヒトラー内閣が誕生すると、パリへ逃亡。のちに日本へやってくる。1933年5月3日に京都へ入り、36年の10月までの約3年半を日本で過ごした。この期間、タウトは様々な文章を残している。「<建築は、釣合いの芸術>である。」と綴る小論「建築に関する省察」もこの時期に書かれたもののひとつ。そのなかで次のように語る。「われわれは完全な釣合いを、妬み心を去り、大らかな気持ちで享受すべきである。」

実は、この小論のなかでは「釣合い」とはなにか、明確に語られることがない。それどころか美しい釣合いそのものについては詩人さえ言葉を持たないとすら言う。それでも先の言葉が素晴らしいのは、「完全な釣合い」の実例をタウト自身が様々に語っているからだ。例えば、カントやヴォルテール、建築なら桂離宮といった具合に。「釣合い」という言葉に誘われて、本や建築をじっくり味わいたいと思わせる一文なのである。

1935年から36年までに執筆された小論が2編収録。どちらも当時のタウトの住まいである群馬県高崎市少林山で書かれたものだ。解説は建築史家の長谷川堯。『建築とは何か』鹿島出版会SD選書、ブルーノ・タウト著、篠田英雄訳、2,200円/1974年。

ブルーノ・タウト

1880年、東プロイセンのケーニヒスベルク、現在のロシア、カリーニングラード生まれ。建築家。鉄の記念塔(1913年)、ガラスの家(1914年)で世界的に評価される。1919年から20年にかけて『アルプス建築』をはじめとする著書を立て続けに出版し、「表現主義」を代表する一人になる。1933年、ナチスの迫害から逃れるため上野伊三郎率いる日本インターナショナル建築会の招聘で来日。約3年半を日本で過ごす。1938年、トルコで没。

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