February 7, 2024 | Art, Travel | casabrutus.com
かつてアートの中心地と世界でも認知されていたドイツ・デュッセルドルフが、再びその歩みを始めている。リニューアルを経て生まれ変わった街の中心的な美術館や、それを取り巻く幅広いアートの活動を現地で取材。今注目したい、ヨーロッパの知られざるアートシティ、デュッセルドルフへ!
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ロンドン、パリにつぎ、ヨーロッパで3番目に在住する日本人が多いドイツの都市デュッセルドルフ、と聞いてどんなところと想像するだろうか。実はアートの中心地であることは意外に知られていない。特に華やかなりし頃は、70〜80年代。ヨーゼフ・ボイスが独自の立体作品や社会的活動でアート界の注目を集め、ゲルハルト・リヒターやアンゼルム・キーファーらが続々とその才能を開花させていった。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊すると、安くて広いアトリエを求めて多くの主要なギャラリーやアーティストがベルリンに移転したことに伴い、デュッセルドルフは次第に求心性を失い、今世紀に入ってからはその影は薄くなる一方だった。
が、ここに来て復権の兆しが見え始めている。その中心となっているのが、3年に渡る改修を終え、2023年11月に再オープンした〈クンストパラスト美術館〉だ。
美術館の常識を覆す圧巻の展示。
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5,000平方メートル、49室、800作品……。新装にあわせ、広大なスペースを使って展開しているのがコレクション展『The New Kunstpalast』だ。11世紀から年代順に辿っていく手法は美術館や博物館ではおなじみだが、最初の部屋で展示されている数体の彫刻で気がついた、ここはちょっとほかと違うと。マリア像の隣りに仏陀の立像が並んでいるのだ。
「美術品の作られた国や地域ごとに展示するのが普通ですが、同じ時代に作られたものなので、あえて隣りに並べています」と、館長のフェリックス・クレマーは語る。
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同美術館はデュッセルドルフ市立だが、コレクションの由来ははるかドイツが一国として成る前に遡るものだ。17世紀の公爵の個人コレクションが基となっており、工芸品などの応用美術から現代美術に至るまで、13万点に及ぶコレクションは実に幅広い。それを地域やカテゴリーを超えて見せる展示手法は斬新の一言。
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中世の絵画では合戦の模様を描いたものも多いが、そのような作品の前には同時代の甲冑が、日本絵画の近くには刀や根付が展示されている。あらゆる種類の作品を時代で串刺しにする手法は現代に至るまで徹底されていて、〈フォルクスワーゲン・ビートル〉と、それをデュッセルドルフで包んだ作品を制作したこともあるクリストの絵画が並べられたりもしている。
またすべての展示物は、作品や作家の有名無名を問わず並列されており、通常は作家名が先に来る作品表示も、作品名を先にしている。
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「作家名をそれほど知らない人も多いですし、どの作家、作品が重要かなどと言うことは美術館側が優劣をつけて見せるのではなく、見た人それぞれが自分で感じとってもらえればいい。美術史上の解釈だって今の定説がずっと続く訳ではありません。カラヴァッジョが後に再評価されたように、常に変わって行く可能性があるのですから」(クレマー)
改修前、コレクションはほとんど展示されることなく、壮大なエキシビションが目玉だったと聞いたが、長い間眠っていたコレクションが新たな“編集”で、これだけ新鮮に蘇ることに驚きを禁じ得ない。全部を通して見て行くと、歴史を俯瞰しながら立体的で壮大な絵巻物を旅したような気持ちになる。
さらに美術館の新しい試みは続く。作品を説明するウォールテキスト展示はよくあるが、それが長くなると読みづらいし、すべて見て回るのには大変労力がいる。そこで美術館用のアプリを用意し、携帯電話のカメラで作品を捉えるとより詳しい作品解説が現れる仕組みを導入した。
他にも会場の中に6つの小さな隠し扉があり、中では子供たちがインタラクティブアートを楽しめたりといった工夫がたくさん。「美術館に来て“つまらない”というのが一番いけないと思います」とクレマーは言う。
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極めつけは会場内のある扉を開けると現れる伝説のクラブ〈クリームチーズ〉。これは〈デュッセルドルフ芸術アカデミー〉で学んだアーティスト、ギュンター・ユッカーのアイデアにより、ニューヨークのテイストを採りいれて、1967年にヨーロッパで初めて誕生したと言われる、この街に実在したクラブを再現しエキシビジョンの1つとして公開しているのだ。
〈クリームチーズ〉の常連にはボイスやリヒター、電子音楽のパイオニアであるクラフトワークらが名を連ね、ジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリン、フランク・ザッパらが訪れたこともあるという。店内の一面の壁はリヒターが描き、ハインツ・マックによるフューチャリスティックなライトアートなど、至るところにアート作品があった。1978年に閉店するや否や、〈クンストパラスト美術館〉は店ごとすべて買い取ることを決め、今回の改修にあたって、美術館内に再現したのだ。
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驚くのは、金曜日と土曜日の夜に実際にクラブとして、60〜70年代の音楽をかけて営業すること。このクラブが夜な夜な賑わいを見せていた頃がデュッセルドルフのアートや音楽界の全盛期であり、その復活は何か新しいムーブメントが起こりつつあるのを感じさせる。(クラブとしての営業は金・土の19時〜25時。入場料無料、ドリンク代別)
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異なる役割でアートを支える層の厚さ。
〈クンストパラスト美術館〉がここまで新しい試みができるのは、デュッセルドルフにはいくつもの美術館やアート・インスティテューション、ギャラリーなどがあり、それぞれが重なる事なく独自の分野をカバーし、全体として非常に幅広く層の厚いアートの世界を構築しているからに他ならない。
「高額な有名作家の作品を購入するのは資金の豊富な個人コレクターなりに任せればいいし、美術史に則った有名作家のエキシビションは市内の別の美術館で見られますから」(クレマー)
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その主だった美術館とは、デュッセルドルフ市を有するノルトライン=ヴェストファーレン州の州立アートコレクションによる〈ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館〉の本館〈K20〉と分館〈K21〉だ。前者は近代まで、後者は現代美術を主にカバーしている。
更にデュッセルドルフには個人のコレクターが発展させたアートインスティテューションが複数あり、作品購入で若手アーティストを積極的にサポートする〈フィラーラ・コレクション〉、ビデオアートやデジタルアートの先駆的なコレクションで知られる〈ユリア・ストシェック財団〉などが定期的にエキシビションを開いている。
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また今年オープンして早くも注目を集める個性的なギャラリーもあり、これらが相互作用し補完しあって、デュッセルドルフのアート界を形作っている。若手が作品を発表できるギャラリーがあり、それを購入してくれる個人コレクターがいる。そしてやがては美術館で展示する好機に恵まれる作家もいる。
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この循環の出発点となっているのが〈デュッセルドルフ芸術アカデミー〉だ。2024年に創立250周年を迎えた同校の存在なしに、デュッセルドルフのアートは語れない。
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才能を生み出し続けるヨーロッパ有数の芸術大学。
1773年の創立以来、18〜19世紀にはすでにヨーロッパのアート界でデュッセルドルフを重要な位置に押し上げた〈デュッセルドルフ芸術アカデミー〉は、現在に至るまで世界的なアーティストを輩出し続けている。冒頭に言及したボイス、リヒター、キーファーの他にも、ジグマー・ポルケ、ハインツ・マック、カタリーナ・フリッチュ、トーマス・シュッテ、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ……と枚挙にいとまがない。
彼らのうち少なくない者は後に同校の教授となり、また80年代以降、ナム・ジュン・パイク、ダニエル・ビュレン、トニー・クラッグら世界のトップアーティストを教授に迎えている。ボイスを始めとするアカデミーゆかりのアーティストが、世界的な注目をデュッセルドルフに集めたのは当然の流れだ。
一方、ハインツ・マックがオットー・ピーネ、ギュンター・ユッカーと共に、デュッセルドルフに展開した前衛芸術運動のグループ〈グループ・ゼロ〉は、日本を含む世界数十カ国と連携する巨大な国際アートネットワークとなり、多くの影響力のあるアーティストがデュッセルドルフに移り住むきっかけとなった。
「当時(デュッセルドルフには)ヨーロッパ有数のギャラリーもあったので、結果(デュッセルドルフの位置する)ノルトライン=ヴェストファーレン州の収集家とアート機関は西ヨーロッパで最も強力になり、デュッセルドルフはニューヨークに次ぐアートセンターとなったのです」(デュッセルドルフ芸術アカデミー教授ロベルト・フレック)
東西ドイツが統合してからの衰退は前述した通りだが、2000年代後半から復調の兆しが見え始め、2009年に学長に任命されたトニー・クラッグがより自由な裁量を教授や学生にもたらしたことで、その傾向は一層高まったと言われる。現在、アカデミーには35カ国の学生が学び、かつての栄光の上に新たな歴史を刻もうとしている。
再び歩み始めた芸術の街、デュッセルドルフを訪れ、数世紀にわたって収集された貴重なコレクションの数々と、今まさに起こりつつある新たなアートに出会ってみたい。
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