February 6, 2024 | Architecture | casabrutus.com
閉館や解体を迎える、または検討されている国内の名建築を紹介する連載『もうすぐなくなる日本の名建築』。第2回目は増田友也の設計した〈鳴門市庁舎〉を訪ねます。哲学や仏教の思想を用いた建築論でも知られ、「東の丹下健三、西の増田友也」とも評された建築家の手がけた、同時代のブルータリズムとは一線を画した市庁舎建築とは。
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〈鳴門市庁舎〉を訪れたのは2023年の夏だった。建て替え工事の真最中で、新しい庁舎が、その大きさを現していた。すぐ隣には、京都大学教授だった増田友也の設計による本庁舎がまだ残っている。しかし以前に訪れたときより、なんとなく小さく見える。建物はこれまでと同じように使われているが、北側に2階の高さで付いていたペデストリアンデッキは、特徴的な玄関の庇とともに、既になくなっていた。
1963年に竣工した現庁舎は、防災拠点機能の不足、庁舎の分散に伴う業務の非効率性、施設の老朽化とバリアフリーの非対応など、様々な問題を抱えていた。その解決に向けて、市は庁舎の建て替えを計画。現庁舎が長きにわたって市民に親しまれてきた建物であり地域のシンボルになっていたこと、近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織〈DOCOMOMO Japan〉のリストにも挙がっていることなどを鑑みて、全面的な建て替え案とともに、新棟と現庁舎の改修を組み合わせた案も検討した。
しかし市民アンケートの結果からも、改修して使う案は多数の支持を得られず、現在の敷地での全面的な建て替えが実施されることになった。前田建設・吉成建設・内藤廣建築設計特定建設工事共同企業体の設計・施工による新庁舎は、2024年5月に開庁の予定。その後、現庁舎は解体されることとなる。
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市庁舎のすぐ隣には、同じく増田の設計による〈鳴門市市民会館〉もあった。これも2020年に解体されている。その隣には消防署があり、当初は警察署もあった。敷地は、JR鳴門駅から南に向かって延びる道路が、斜めに曲がる地点に位置する。駅からの軸線を受け止める格好で、これらの建物群は配置されていた。
市民会館と市庁舎は、前述のペデストリアンデッキで結ばれていた。設計者はこれを「オーバーブリッジ」と呼び、この市庁舎計画の重要なポイントととらえていた。庁舎のほかに文化会館、図書館、体育館などの文化施設を集約して、市民が集まる「都市のコア」を形成しようとする考え方は、この時代の都市計画にしばしば見られる手法だが、ここではそれらを立体的な経路で結ぶことによって、機能をより高めることが意図された。
市庁舎の竣工パンフレットに寄せた設計者による文章には、次のように書かれている。
「われわれが強く主張し、市民・理事者各位の十分な理解と賛同を得て実現をみたオーバーブリッジは、今後の構内整備を待って全体の構造的、有機的な完成の背骨となり、将来にわたって区域全体に生命を与え続けるべき動的な機能を期待される」
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日本では、市町村統合を促進する法制度の後押しもあり、1950~60年代にかけて、全国各地で庁舎が建設された。〈鳴門市庁舎〉もそのひとつにあたるが、建築のデザインは少し異質と言える。
この時代の庁舎建築は、コンクリート打ち放しを表現として採用した、いわゆるブルータリズム建築が主流なのだが、この建物はガラスのカーテンウォールで南北両面のファサードを平滑に覆ってしまうという手法を採っているのだ。外観に現れた鋼材の塗装で、建物全体が青く彩られている点も、同時代の建築の中で異色である。
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一方、市庁舎から道路を挟んで南側には、〈鳴門市職員共済会館〉が建つ。こちらも増田友也の設計により、1973年に竣工した。市庁舎の分室のほか、職員のための食堂、売店、会議室などを内部に収める。
こちらはコンクリート打ち放しで、片持ち梁で2階部を出してバルコニーをめぐらせていて、この時代を席巻したブルータリズム的なデザインのお手本ともいうべき出来栄えとなっている。屋上に三角形のオブジェのような塔屋を配して、スカイラインに変化を付けたところは、都市景観を形成するものとして建物群を捉える設計者の考えが表れたところだろう。この建物も現庁舎とともに解体される予定だ。
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市庁舎は3階建てで、1・2階に市の各課事務室、3階に市長室や議場と議会関係各室を収める。内部を見ると、構造的な合理性を追求し、それを平面の計画と巧みに統合した設計だったことが随所で見てとれる。
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各階の中央を東西に貫く通路の両側に柱が並び、そこから外側へと片持ち梁が延びて、その下に無柱の執務空間を生み出す。窓側は構造を負担しないカーテンウォールになっているため、梁は柱側から徐々に細くなっている。階段も片持ち梁で踏み板がつくられ、必要最小限の材料で構造を成り立たせようとする工夫が細部まで凝らされている。
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この〈鳴門市庁舎〉を設計した増田友也(1914〜1981年)は、京都大学の建築学科で教鞭を取り多くの建築家を育てるとともに、マルティン・ハイデガーの哲学や仏教の思想を基にした建築論を考究した。その成果は、全5巻の『増田友也著作集』にまとめられている。
建築家としても各地に作品を残し、〈尾道市庁舎〉(1960年)、〈蹴上浄水場〉(1962年)、〈智積院会館〉(1966年)、〈豊岡市民会館〉(1971年)、〈京都大学総合体育館〉(1972年)などを設計した。「東の丹下健三、西の増田友也」とも謳われた、戦後の一時代を代表する建築家のひとりである。
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市庁舎のほかにも鳴門市内には、増田友也の作品が数多く存在する。最初に設計したのが1961年竣工の〈鳴門市市民会館〉で、その後は庁舎、文化施設、学校、幼稚園など、合わせて19件もの建築を市内で手がけた。
増田が鳴門市で多くのプロジェクトを手がけた背景には、当時、市長だった谷光次が、増田と同じ京都大学の出身であり、互いに意気投合するところがあったからとされる。また、増田の出身地が鳴門市と鳴門海峡を挟んで向かい側に位置する淡路島の八木村(現・南あわじ市)だったことも大きく関係していたに違いない。
市庁舎から歩いて5分ほどの場所にある〈鳴門市文化会館〉は、1982年に竣工。増田友也の遺作とされる作品である。同じく増田の設計による〈鳴門市勤労青少年ホーム〉(1975年)と〈鳴門市老人福祉センター〉(1977年、現在は2つの建物を合わせて〈鳴門市健康福祉交流センター〉となっている)とともに建っており、こちらも複数の公共施設によって文化ゾーンをつくり上げている。コンクリート打ち放しによる建築造形の組み合わせは、撫養川に面した敷地に美しい都市景観を生み出した。また、ブルータリズムの名建築が1980年代までつくられ続けていたことの証左としても重要だ。
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鳴門市内に点在する増田作品は、それぞれが魅力的な建築だっただけでなく、全体として都市の文化的な質を高めていた。ひとつの都市の主要な公共建築を、ひとりの建築家がまとめて手がけたという意味では、チャンディーガル(インド)でのル・コルビュジエや、ブラジリア(ブラジル)でのオスカー・ニーマイヤーの役割に比べられるべきものだろう。
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現在では発注方式が変わっていることもあり、建築家と都市がこのように深く結びつくことは難しい。それだけに、鳴門市の増田による建築群は、優れた建築家が設計者として継続的に都市と関わることで何をもたらすことができるのかを示す、日本では貴重な場になっていた。
市民会館や市庁舎といった初期の作品が失われることで、増田と鳴門市のかかわりを全体として見渡すことはできにくくなるが、〈鳴門市文化会館〉など、これからも使われ続ける建物を通じて、建築家の果たした文化的役割について、後世にも伝えるようにしたいものである。
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