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建て替え直前のソニービルで時代を振り返る『It’s a Sony 展』

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December 22, 2016 | Design, Architecture | casabrutus.com | photo_Takuya Neda text_Keiko Kusano

東京・銀座のソニービルで開催中の『It’s a Sony 展』が、連日、多くの人々で賑わっている。本展は、来年春からはじまるソニービルの建て替えを中心とした「銀座ソニーパークプロジェクト」の一環として、50年余りのソニービルとプロダクトの歴史を写真や実物で一気に振り返るというもの。「あーこれ覚えてる!」と思わず声を出してしまいそうな、懐かしいソニー製品や広告など、レアなアイテムが多数登場している。

銀座・数寄屋橋交差点の見慣れた光景は、来年以降、ガラリと変わる。ソニービルは2017年3月31日をもって営業終了、その後、解体される予定だ。
ソニー株式会社の創業は1946年のこと。当時の社名は東京通信工業株式会社(東通工)。社名をソニー株式会社に変更したのが1958年のことで、銀座のソニービルがオープンしたのは、その8年後となる1966年4月のことだった。ビルオープン当時は、外壁にはめ込まれた2300個のテレビ用ブラウン管や、日本一速いエレベーターなどが話題を呼び、1日2万人を超える日もあったという。
ソニービルオープンを告げる、当時の広告。「数寄屋橋交差点の1日の交通量が約30万人」とある。
建築家・芦原義信はソニービルを設計するにあたり、「花びら構造」という独自の考え方を生み出した。ひとつのフロアを田の字のかたちに4分割し「真ん中の柱を中心に4つのセクションを少しずつ段違いにして、ひと回りでちょうど1フロア分下がる」というアイデアだ。
“ビル全体がショールーム”という、当時としては画期的なコンセプトだったソニービルは「花びら構造」という独自の考え方を使って設計された。展示では「花びら構造」について模型を使って解説している。
このアイデアの着想には、ニューヨークのグッゲンハイム美術館があった。創業者のひとりである盛田昭夫が、同美術館の「渦巻き状の通路を、絵を見ながら歩いて行くと、自然に下まで来てしまうという構造」が「お客様が次々と興味を持って見て回れるショールームの構造にふさわしい」と思いついたことが、特徴的なソニービル設計へとつながったわけだ。
50年の間に、ソニービル館内も変化を重ねてきた。竣工当初の柱や壁は展示の都合で長く覆われていたが、本展を機に部分的に取り払い、当時の姿を見ることができるようになっている。
竣工当初のタイルも見ることができる。
日本初のトランジスタラジオ《TR-55》(1955年)。このラジオにはキャリングケース、イヤホン、アンテナコードなどが付属されていた。「小型・軽量・ポータブル」という、その後のソニー製品の性格を位置づける製品だ。
『It’s a Sony展』は、前期となる「Part-1」が2017年2月12日までで、後期「Part-2」は2月17日〜3月31日までとなる。「Part-1」では、エポックメイキングとなる歴代のソニー商品やグッズなどを年代別に約730点展示しながら、ビル自体の歴史も振り返ることができる内容となっている。「Part-2」ではガラリと展示が変わり、未来を見つめる内容になるとのこと。本記事では現在開催中の同展「Part-1」から、特に目を引く展示をピックアップ。写真を中心にご紹介していきたい。
自動車に載せるテレビを目指して開発されたポータブルテレビ《TV5-303》(1962年)。こちらもキャリングケース付きだった。当時、世界最小で最軽量のポータブル白黒テレビとして注目され、ニューヨーク5番街にできたショールームには多くの人々が押しかけたという。
右:トリニトロンカラーテレビ《KV-1310》(1968年)。ソニー独自のトリニトロン方式によるカラーテレビ1号機として、ソニービルで製品発表会が行われた。左:《KV-1310》のブラウン管=トリニトロン管。発売当時、画質の美しさが話題を呼んだ。
音楽を街に持ち出す文化を生み出した《ウォークマン》シリーズの展示の一部。初代ウォークマン《TPS-L2》(1979年)が画期的だったことのひとつに、イヤホンジャックを2つ装備したことが挙げられる。これは盛田昭夫の発案によるもので、恋人や友達同士などふたり一緒に音楽を共有できるようにという配慮からだった。
コピーライター・一倉宏による「音が進化した。ヒトはどうですか。」というキャッチコピーとともに、音楽に聴き入るような猿の表情がとても印象的だった《ウォークマン》のテレビコマーシャル。
ポータブルLPプレイヤー《PS-F5》(1983年)。プレイヤーを壁にかけながらレコードを再生できるもので、今見ても非常に斬新なデザイン。「フラミンゴ」という愛称とともに、多くのファンに支持された。
8mm方式ビデオカメラ《CCD-TR55》(1989年)は、パスポートサイズのハンディカムとして爆発的なセールスを記録したシリーズの第一号機。ソニーとして初めてグッドデザイン(Gマーク)大賞に輝いた、記念すべきプロダクトでもある。
音楽や映像の記録メディアも、小型化の歴史をたどった。オープンリールの時代から、カセットテープ、CD、DAT、MD(ミニディスク)、メモリースティック、ベータマックス、VHSからブルーレイディスクまで。ハードとソフトは表裏一体の関係で進化を遂げてきた。
世界初の家庭用エンターテインメントロボット“AIBO(アイボ)”。ソニーはロボットの商用化も早かった。“AIBO”はプログラムの働きによって機嫌や反応など感情の進化があり、個体別の個性を発揮したため、生きているペットと同じように家族の一員としてかわいがるユーザーが多かった。
“AIBO”と並行して開発していた二足歩行のヒューマノイドロボット“QRIO(キュリオ)”と“AIBO”。“QRIO”はテレビコマーシャルにも登場するなど、ソニーのキャラクターとしても広く知られていた。
PlayStation のコーナーでは、コントローラーボタンが椅子になっていた。ご存知PlayStationは、1994年、家庭用ゲーム機の次世代機として登場し、ゲーム業界の勢力図を一変させた。従来のゲームビジネスとは異なる、ソニーの音楽事業での手法を持ち込んだことが成功の一因だったと言われている。
パーソナルLCDモニター“グラストロン”《PLM-50》(1996年)。ヘッドマウントディスプレイの先駆けとして、当時、大きな話題を呼んだ。 “My Favorite Sony”と冠した展示コーナーでは、著名人らによる思い出のソニー製品が愛あるコメントとともに紹介されているが、ピエール瀧の思い出のソニー商品は、この《PLM-50》だった。
ソニーのロゴの変遷がひと目で分かる図も登場。“SONY”という名前は誰にでも発音できる世界共通の商標として、1955年、ソニーの前身、東京通信工業株式会社が生み出した。
三宅一生のデザインによる、ソニー社員のユニフォーム。盛田昭夫の提案で1981年に誕生したものだが、ユニセックスで、軽いナイロン系布地を使用し、肩口からファスナーで脱着できる袖のデザインなど、今見てもスマートな一着となっている。
「銀座ソニーパーク」のイメージ模型も登場。2018年夏のオープンが楽しみだ。
『It’s a Sony 展』のサブタイトルには「Goodbye Sony Building, Hello Sony Park.」とある。現在のソニービルは2017年3月31日をもって営業終了し解体される予定だが、2018年夏には同じ場所に「銀座ソニーパーク」がオープンする。2020年までは街に開かれた情報発信基地として機能し、その後、2022 年には新たなソニービルが竣工される予定だ。東京オリンピックに向けて新築ラッシュが続く東京だが、ひととき、交差点近くの“公園”が人々の憩いの場となるのかもしれない。

『It’s a Sony展』【Part-1】

〈ソニービル(1〜4階)〉
東京都中央区銀座 5-3-1
【Part-1】~2017年2月12日。【Part-2】2017年2月17日〜3月31日。11時~19時(ただし12月23、24、30は20時まで。12月31日、1月2、3日は18時まで)。入場無料。2017年1月1日、2月20日は全館休館。公式サイト

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