November 13, 2023 | Architecture, Culture, Design, Food, Travel | casabrutus.com
静岡県浜松市天竜区の二俣町は、古くから交通の要衝として栄えた土地。明治時代には、旅籠宿や料理屋が建ち並んでいたという。登録有形文化財の〈本田宗一郎ものづくり伝承館〉や〈天竜二俣駅〉、味わいのある洋館や看板建築と、建築的な見どころもあまた。今回は、建築家・藤森照信が手がけた〈浜松市秋野不矩(ふく)美術館〉を中心に、浜松の建築を巡りました。
⚫︎日本画と建築が調和する藤森照信建築〈秋野不矩美術館〉。
浜松市・二俣町を見晴らす小高い丘の上に建つ〈浜松市秋野不矩美術館〉は、二俣町生まれの日本画家・秋野不矩さんが、藤森照信の建築家としてのデビュー作〈神長官守矢史料館〉に惚れ込んで設計を依頼し、1998(平成10)年に開館した。
「西洋絵画の特質を取り入れ新しい日本画を創造してきた不矩さんは、54歳のときにインドの大学に日本画の客員教授として招かれて以来、人々の生活や動植物の強く逞しい姿に心打たれ、インドの風景・人・寺院などをモチーフにした作品を制作しました。不矩さんの作品は、岩絵具を用いることで表面がざらざらしているものが多く、この建物も、不矩さんの作品をより美しく引き立てるよう、ざらざらとした質感を取り入れています。ホールの柱や梁をチェーンソーで削ったり、上部をバーナーで焼いて炭化させたり。モルタルの外壁にも内部の白い漆喰にも、藁を混ぜることでざらざらとした質感を出しています」。
こんなふうに案内してくださったのは、館長の鈴木英司さん。チェーンソーやバーナーを使う作業には、藤森氏とその友人から結成される「縄文建築団」や、不矩さんの息子さんも参加したという。
藤森氏はインテリア全体が不矩さんの作品のキャンバスと化すように、展示室の形はできるだけ簡素な四角形に設計。キャンバスの一部である床を土足で歩くことはできないと、展示室に至る前に履物を脱ぎ、裸足で鑑賞できるようにと考えた。第1展示室の床には籐ござを、第2展示室の床には大理石を敷き詰めている。直に床に座って作品と向き合うことができるよう、通常の美術館よりやや低い位置に展示されているのもここならでは。足の裏から全身で、不矩さんの作品を感じることができる。
丘の上の美術館の入口まで続く、緑の景色の坂道のアプローチを歩くのも楽しい。擁壁のコンクリートブロックには杉板を張り、排水溝には木製の蓋。坂道を照らす街灯は、古い木製の電柱に傘がついた白熱灯が取り付けられている。その先に待っているのが、藤森氏の故郷である長野県諏訪産の鉄平石で葺かれた屋根に、地元の土や藁を混ぜた着色モルタルと天竜杉の板で外壁を覆った建物。手前には、天竜産の杉やヒノキ、近隣の小中高校生にも手曲げ加工や取り付けを手伝ってもらった銅板など、地元の材料を採り入れた藤森氏設計の茶室「望矩楼(ぼうくろう)」も、周囲の自然と馴染んで展示されている。
鈴木館長から「黄土色の外壁は不矩さんの絵の作り方とよく似ています。不矩さんは、インドに行ったらインドの土をすりつぶして絵の具にして作品に取り入れ、アフリカだったらアフリカの土を、というふうに制作していました。それを知って藤森氏も外壁に地元の土を混ぜて色付けしたのです」と伺い、建物が作品や周囲の風景に溶け込む理由を解することができた。
⚫︎カフェ、餃子店、無人駅ホテル……巡って楽しい二俣町。
浜松市天竜区二俣町のメインストリートは、「クローバー通り」と呼ばれる、4つの町が集まった商店街。かつてはあたり一帯に、旅館、料理店、劇場、銭湯などがいくつもあって、大変な賑わいだったそう。それが次第にシャッターを下ろす店が増え、静かな街並みに。
そこに新たな風を吹き込んだのが、天竜で生まれ育った中谷明史さん。大学への進学後もそのまま東京で働いていたところ、帰省時にクローバー通りのコーヒー焙煎所が空き物件になっているのを見つけて、地元に戻りカフェ〈Kissa&Dining 山ノ舎(いえ)〉を開店。バーテンダーや不動産業という職歴を持つ中谷さんの元には地域の個性的な人が集まり、定期的にイベントも開催されるように。客席だったカフェの2階はシェアオフィスに姿を変え、中谷さんのように天竜で事業や個人活動をおこなう人たちの拠点として開かれている。
現在のクローバー通りは、週末になると浜松市内外から多くの人が訪れ、再び賑わいを取り戻している。山ノ舎の数軒隣にあるアイスクリームショップ〈包(パオ)商店〉では、横浜の〈青果ミコト屋〉の、個性豊かな食材を使ったアイスクリームが味わえる。さらにそのお隣にある、元電気屋だったというビルと、その裏手の古民家も、オーナーの個性が光るユニークな空間。餃子屋〈餃子スラッピー〉、カフェ〈plaque(プラーキュ)〉、自転車修理・販売〈HAPPY&SLAPPY〉、3つの店舗が営業をおこなう。
今回はそのうちのひとつ、餃子スラッピーで昼食を。もっちり厚みのある皮の中には、野菜がぎゅぎゅっと詰まって、一皿でも十分食べ応えあり。肉汁とニンニクの香りもほどよく、ラー油や自家製花椒オイルをつけて味わう。持ち帰り用も販売しており、二俣みやげとしても喜ばれる。おもしろいのが、オーナーの伊藤幸祐さんは、父と父方の祖父は自転車屋を営み、母方の祖母が餃子とお好み焼きの店を開いていたということ。伊藤さんはどちらの才も受け継いで、自転車と餃子、二足のワラジを履いている。
伊藤さんのパートナー・花山弥沙さんのセンスが輝くビル2階のカフェ〈plaque〉は、台湾のデザート「豆花」が名物。甘さを控えた華やかな香りのジャスミンのシロップに、豆乳で作る豆花と、ピーナツ、緑豆、もちむぎ、タロ芋団子、レモンで味付けしたオーギョーチーがたっぷりと。週末の営業日は朝9時からオープンしており、朝食として豆花を味わいにやってくる人もいるほど。花山さん自身の手仕事で作られた銅板のカウンターや、花山さんが集めたアンティークの食器や家具も心地よい風景を織りなす。
〈plaque〉や〈包商店〉と、週末のみ営業の店もあることから、まとめて二俣町の店巡りをしたい方には週末がおすすめ。けれども天竜川の自然に恵まれた二俣町では、古いまちをぶらっと散策したり、夏には川で釣りや川遊びもできる。
そんな、ゆったりとした時間にさらなる彩りを添えてくれるのが、天竜浜名湖鉄道の無人駅・二俣本町駅の駅舎の一部を改装したホテル〈INN MY LIFE〉。山ノ舎と同じ中谷さんが経営する1日一組限定のホテルで、ディレクションを手がけるのは包商店のオーナーであり、STUDIO CALMという名義で店舗や家具のデザインを手がける西村紀彦さん。床材に、柔らかな足触りの地元の杉やヒノキを使っていたり、パジャマや寝具に浜松市名産の遠州織物を採用したり、ホテルを通して地元の魅力もじんわり伝わる。宿泊には天竜浜名湖鉄道のフリーパスチケットも含まれるので、ローカル電車を乗り降りしながら、浜松各所を巡るのも贅沢な過ごし方だ。
⚫︎おとぎの国の世界のような〈ぬくもりの森〉。
浜松市街から30分ほど車で進み、舘山寺温泉に続く舘山寺街道沿いの小道を入ると、木々に囲まれた森の中に、童話の世界に登場する小さな村のような一帯に辿り着く。そこは〈ぬくもりの森〉と名付けられた複合施設で、チーズケーキ&カフェ、レストラン、雑貨店、ジェラート店などが点在している。
その原点は1992(平成4)年。建築家・佐々木茂良が、もともと祖父母が暮らしていたこの土地に、建築事務所と家具工房を建てたことに始まる。その後、自らの建築とのトータルコーディネートを提案するために、うろこ屋根の雑貨店を作り、それが浜松市都市景観賞を受賞した。同時期に、自宅として暮らしたコテージや、スペインから取り寄せた瓦やイギリスの古いレンガを用いたガレージも完成。現在、元自宅のコテージはアロマ製品やナチュラルコスメを扱う店に、ガレージはボトルチーズケーキ専門店に形を変えている。
2001(平成13)年には、それまで培ってきた建築技術とセンスを集めたレストラン〈ドゥスール〉が完成。内部は複雑な7層構造。年月を経たように見せるため緩やかにカーブを描く屋根からは、各階に設けた薪ストーブの煙突が突き出ている。佐々木氏が一時期、暮らしていたことがある3階の空間も、現在は建築ギャラリーカフェ〈ぬくもりガレリア〉として公開。30年間の建築ヒストリーをまとめた映像を見るだけでなく、スタッフによる施設の案内もあり、中庭を見下ろすテラスでもゆったりとお茶を味わえる。2005(平成17)年頃から建物が増えて、「ぬくもりの森」と呼ばれるようになったそうだ。
佐々木氏は自然界に存在しない色や形をよしとせず、ナチュラルな形での湾曲やたわみの再現に努めた。そこにアンティークやブロカントの家具や雑貨を配置する。様々な国から取り寄せた窓や扉をここに入れたい、この壺をここに置きたいというふうに、ものありきで建築を進めることもよくあったそう。
ひらめきを実現する力を持ち、小さな建物をこよなく愛していた佐々木氏だからこそ作り上げることができた、おとぎの国のような空間。説明を聞いたり、自分の目で探し当てなければ気が付くことができないしかけがたくさん詰まっているので、浜松を訪れたら足を伸ばしてみてほしい。