November 9, 2023 | Art | casabrutus.com
光や風に満ちた空間を歩いていくと、次々に異なる景色が現れる。東京・六本木の〈国立新美術館〉での大巻伸嗣の個展には観客を包み込むようなダイナミックな作品が並びます。闇と光がせめぎあう、ここでしか味わえない空間です。
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各地の芸術祭などで作品を見る機会も多い大巻伸嗣。10月9日まで行われていた〈弘前れんが倉庫美術館〉、開催中の中国〈A4 ART MUSEUM〉に続き、今年は3つめになるという個展には「真空のゆらぎ」というタイトルがついている。
「真空とはそこにあったものが抜きとられたときに起こる現象です。失ったものに対して新しい運動が生まれる、それが『真空のゆらぎ』なのではないか」と大巻はいう。
「私たちの存在、不在が攪拌され、停滞することなく、うねりながら真空の中に注ぎ込まれたりする。あるいはスポンジのように柔らかくぐにゃぐにゃしていて、呼吸するように何かを吸い込み、吐き出す」
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今回の大巻伸嗣の個展会場はあらゆるものが動きを止めた真空ではなく、常にいろいろなものが流れ込み、吐き出されるような場なのだ。
会場ではまず大きな壺の形をした《Gravity and Grace》が目に入る。この作品は奥行きのある空間に展示されているので、入口からはささやかなものに見える。しかし、歩を進めていくと見上げるばかりの大きさで迫ってくる。黒く塗られた床をよく見ると、テキストが書かれている。これはこの個展の図録のために詩人の関口涼子が書いた詩の一部だ。
「僕が自分の口で説明してしまうとつまらない。詩はイメージにつなげてくれるのがいいと思って、関口さんにお願いしました。ただきれいなだけではなく、問いをなげかけられるようなキーワードだと思います」
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関口の詩を断片化して作品とともに使ってもいいか、大巻が尋ねると彼女は「ぜひ、ばらばらにして使ってください」と答えた。《Gravity and Grace》に向かって歩いていくと「瞼の裏で休む影。」「光に何度でもひっくり返されて。」といったテキストが床に見える。
「ある行為を指示するようなテキストもあるので、気づいた人はそのとおりに体を動かしてみるのもいいかもしれません」と大巻は言う。
ただし、テキストは黒い床に黒い文字で書かれている。《Gravity and Grace》からの光があたったほんの一瞬だけ、床から浮かび上がる。
「影の世界から立ち上がって消えていく、ささいな『気配』です。一つひとつの言葉はばらばらでも、その光で自分の言葉と関口さんの言葉が結びつく」
《Gravity and Grace》には花々や動物にまざって、線で世界地図が描き込まれている。つながったその線の上を動物たちが歩いているのだが、こちらも言われなければわからない「気配」のような地図だ。
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その隣の展示室では暗闇の中、薄い布が風で舞う《Liminal Air》が展示されている。「気配」が形をとったかのような作品だ。波のように大きく揺れたかと思うとしばらく空中にとどまったりと、見ていて飽きることがない。
「これまでに発表した《Liminal Air》よりももっと気配が強く感じられたり、弱く感じられたりすると思います。大波がくると生地の表と裏、上と下がひっくり返ってねじれる。その瞬間に表も裏もなくなって、ゆらぐように価値観が変わってくる」
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今回の個展にはあまり発表されてこなかったドローイングも見られる。展覧会準備のためアトリエを訪れたキュレーターはその数の多さに驚いた。大巻は「描いても描いてもわからないんです」と答えたという。
「いつもままならないものがあって、悩みまくっている。わからない気配のようなものをぐちゃぐちゃにかき混ぜていくと重なった線が立ち上がる。ふだんは展覧会にドローイングを出すことはないのですが、作家も迷っていることを知ってほしいと思って出品しました」
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展覧会には暗闇の中、キャンバスの上の黒い絵の具を7時間も8時間もかけてかき混ぜ続けた「闇のドローイング」が展示されている。
「谷崎潤一郎の『陰影礼讃』で暗闇を羊羹(ようかん)にたとえる記述があります。黒い絵の具を羊羹になるまで、固まるまでかき混ぜ続けました。運動によって身体と世界をどうつなげるかを考えながらつくった作品です」
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彼の作品では観客やその動きも作品の一部だという。観客がつくる影や彼らが起こすわずかな風が作品とともに新たな気配を生む。作品も気配もつねに移ろっていって、とどまることはない。