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【本と名言365】清家清|「「私の家」をよいhouseであると同時に…」

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November 6, 2023 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。戦後まもなく、都市に息づく住宅のケーススタディともいえる名作住宅を次々と発表した建築家の清家清。なぜその住宅は名作となったのか。建築家としてはもちろん、家族を愛した清家だからこそ発せられた言葉とは。

清家清/建築家

『私の家』をよいhouseであると同時によいhomeにつくりあげたい。

日本における名作住宅のなかでも傑作の一つに数えられるのが建築家、清家清の自邸〈私の家〉だ。清家は第二次世界大戦後まもない1950年代初頭から、戦後日本における都市住宅の可能性を提示する住宅群を次々発表したことでよく知られる。〈森博士の家〉〈齋藤助教授の家〉〈宮城教授の家〉に続くのが自邸〈私の家〉だ。

1954年に完成した〈私の家〉はわずか50平米のワンルーム。50平米という面積は1950年に制定された住宅金融公庫の融資条件による上限で、同時期にさまざまな狭小の都市住宅も発表されている。清家はそこに、居間、寝室、書斎、台所、洗面所のすべてを収めた。玄関は横開きのガラス戸、トイレを含めて室内にドアはなく、構造壁とカーテンがわずかに空間を仕切る。しかし広い庭から連続する室内は実際の床面積よりもはるかに豊かな空間性をもっている。ここは清家にとって建築の実験場であるとともに、家族の時間を紡ぐ大切な場所となった。やがて清家は同じ敷地内で、1970年に〈続私の家〉、1990年に〈倅の家〉を建て、私の家コンプレックスともいうべき広がりを見せた。これらの住まいは清家亡きあとも、すべて現役だ。

清家は〈私の家〉の竣工から3年ほど経過した1957年、雑誌『新建築』に「『私の家』をよいhouseであると同時によいhomeにつくりあげたい。」と文章を寄せている。なぜ〈私の家〉は豊かに成長を続ける家となったのか。先の言葉を含め、清家自身が執筆した自邸にまつわるさまざまな年代の文章、著名建築家たちの〈私の家〉評を含む『「私の家」白書―戦後小住宅の半世紀』は〈私の家〉の歩みを克明に記す。そしてその歩みを追うことで、清家がどのようにhouseでありhomeである我が家を作り上げていったかが学べる。そこには建築的な挑戦に限らず、生活を真摯に捉える視点があった。家族を愛し、その営みが紡ぐ時間を愛した建築家だからこそ、名作はいまという時代をも生きる住宅となった。いまや四世代にわたって清家の家族とともにあり続ける〈私の家〉は、まもなく築70年を迎えようとする。清家は晩年、自邸を振り返って〈私の家〉は〈私たちの家〉であったと語っている。「よいhomeをつくりあげたい」という清家の思いは作品とともに不変の輝きを放っている。

竣工間もない時期から、多様な時代の清家の自邸論とともに、林昌二や宮脇檀などの建築家による論などを含む〈私の家〉をさまざまに語った一冊。『「私の家」白書―戦後小住宅の半世紀』清家清著 住まいの図書館出版局 絶版 1997年初版発行

せいけ・きよし

1918年京都府生まれ。建築家。日本の伝統とモダニズムを融合した住宅で、戦後日本の現代住宅のあり方を牽引した。1954年には来日したヴァルター・グロピウスが〈斎藤助教授の家〉などを見学し、その招きで翌年に渡米。欧州を回って帰国。1960年代以降は大規模な建築も次々と手がけ、現在まで愛される名作も少なくない。東京工業大学、東京藝術大学などで教鞭をとったことでも知られ、数多くの優れた建築家も輩出した。2005年没。

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