March 18, 2016 | Architecture | a wall newspaper | photo_Shinichi Ito text_Megumi Yamashita coordination_Yujiro Watanabe
スターリンによる粛清終了後、70年代から80年代にかけ、ソ連各地で花咲いた前衛的な建築を旧グルジアに追った。
ロシア革命を経て誕生した、世界初の社会主義国家、ソビエト連邦(1922〜91)。それと並行して興ったのが前衛的芸術運動、ロシア構成主義だった。建築分野でも自由なフォルムが提案されるが、スターリンが政権を握ると、権威を誇示する左右対称的なスターリン様式の時代に入る。長らく抑制されていた創作表現が再び可能になったのは70年代からのこと。ソ連崩壊までのこの間、社会主義下の公共建築として、幾何学的かつ未来的なフォルムの建築が一気に花咲いた。 ソ連の一部だったジョージア(旧グルジア)の首都トビリシを訪れた際も、そんな建築に出くわした。例えば〈旧交通局ビル〉 (BANK OF GEORGIA)。丹下健三のフジテレビ本社ビルを彷彿とさせるメタボリズムを体現した建物といった感じだ。くしくも丹下はスターリンが計画した〈ソビエト・パレス〉のコンペにル・コルビュジエが提出した案を見て建築家を志したという。幻となったこの案は代々木体育館にも影響を与えた。不思議な巡り合わせが感慨深い。この建物と〈パレス・オブ・セレモニー〉(PALACE OF CEREMONIES)のように企業や富豪が買い取って修復したものもあるが、廃墟化しつつあるものも少なくない(INDUSTRIAL COLLEGE&ARCHAEOLOGY MUSEUM)。時代を代表するこうした建築が修復保存されていくことを願いたい。