August 18, 2016 | Vehicle, Architecture | Driven By Design | photo_Tatsuya Mine
text_Hiroki Iijima
自らも山を愛したモダニズム建築の巨匠、吉阪隆正。氏が学生のために設計した山小屋とその物語を追って、愛嬌たっぷりの新生ジープで夏の蓼科を目指します。
やや高床の基礎は石積みで、当時の学生たちが蓼科町の許可をもらい、あちこちから運び込んだもの。山小屋の土台作りに汗水流して関わったことは、忘れ得ぬ思い出として今なお語り継がれている。
この山小屋が建ったのは1965年、半世紀前にしてはいやにハイカラだと驚く。これは早稲田大学の登山サークル〈山岳アルコウ会〉のもので、今なお現役生からOBOGまでの合宿や飲み会に使われており、その名を〈対山荘〉という。この建設を企画し実際に竣工まで成し遂げたのは、実は昭和30年代後半のサークル員の学生たちだった。設計を依頼した先は、なんとル・コルビュジエの下で学んだモダニズム建築の巨匠、吉阪隆正。当時吉阪は早大理工学部建築科の教授。サークル顧問と山を通じて親しかったことから設計を引き受けた。自身も登山家で日本山岳会理事を務めたほどの本格派だった吉阪は、イヌイットのイグルーにヒントを得て柱のない円形小屋を設計したが、何より金銭的に、そして建築工法的にも「まさか本当に建つとは思わなかった」と後で語ったそうだ。
約100万円(当時の大卒男子の初任給は平均およそ2万4000円)の費用捻出のため、会員各自が土木関係のバイトに励み、ダンスパーティーや映画の上映会を開いて資金集めに奔走、不足分は関係者からの寄付で賄った。吉阪はそれに応え、設計料を辞退したという。そんな青春物語が本当にあったというだけでもじんと来る。
まさに建築中の貴重な写真も大切に残されていた。
足元のペダル類にはアルミ打ち抜きのXマーク。シートの縁にあしらわれたポップな色彩もヨーロッパ風。
若々しい気分に合わせ、今回乗ったのはジープ・レネゲード。ジープ・ブランド初のカジュアル&ポップ路線。ジープは第二次大戦で活躍した創生期から丸目のヘッドライトと7本スリットのラジエーターグリルをデザインのアイデンティティーとしてきたが、今回もかくも人懐こい顔で攻めてきた。
「ジープ初」といえば、資本提携を結ぶフィアット社との完全共同開発車であることがいちばんのニュースだろう。しかし本当に面白いのはこのクルマの成り立ちである。4WDと2WDが選べるのはほかにもよくあるが、その2つが同じ車種とは思えないほど違っているのだ。エンジンも全然違うし、乗り味はまるで別物。4WDはジープとは思えぬ無国籍な感覚に驚かされ、対する2WDは全きヨーロピアン、それも快活さよりも、しっとりと落ち着いた感じに仕上げてある。伊×米共作のこの車の今後が楽しみだ。
テールライトにもXマークがあるが、これはジープが軍用として活躍した40年代、米軍の手持ちの燃料タンク(ジェリー缶)のシンボルだったもの。
巡礼車:ジープ・レネゲード LIMITED
この取材車は2WD(FF)で、中身はフィアット500Xとほぼ同じ。1.4リッター・ターボ+6速ATの2WDに対して4WDは2.4リッターNA+9速ATと、驚くほどの違いがある。もちろん4WDモデルにはジープご自慢の悪路走破システムを装備。3,348,000円(大型サンルーフ仕様。ジープ・フリーコール TEL 0120 712 812)。
巡礼地:対山荘
設計/吉阪隆正。長野県の蓼科リゾート近くに建つ。右写真のように屋根を三角形の組み合わせによる構造とし、室内には柱を置かず広々とした空間を実現した。通常は20〜30人規模で使っているが、竣工50年を祝った際には100人近くがここに集ったというから驚きだ。長野県北佐久郡立科町芦田八ケ野1443 。