April 4, 2021 | Architecture, Art, Design | casabrutus.com
東京・世田谷の緑豊かな庭園に佇む〈静嘉堂文庫美術館〉。国宝《曜変天目》など数々のお宝で知られるこの美術館は来年、丸ノ内に移転します。4月から開かれる「旅立ちの美術」展は、所蔵の国宝全7点を含む至宝を庭園とともに見られる最後のチャンス。建物とあわせて紹介します。
〈静嘉堂〉は三菱第二代社長の岩﨑彌之助が設立し、その子である第四代社長の岩﨑小彌太によって拡充された文庫(図書館)と美術館からなる。「静嘉堂」の名は中国の古典『詩経』中の「籩豆静嘉」(へんとうせいか)というフレーズから採られた。先祖の霊前にお供え物が整う、といった意味だ。
収集は明治10年前後から始まり、現在国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍と約6500点の東洋古美術品を収蔵している。このうち古典籍は文庫に収められており、主に研究者のため、予約により閲覧を受け付けている。2022年、丸ノ内に移転するのは美術館の展示機能のみ。美術品の保存研究や文庫機能は現在の地に残る。庭園にも出入りは可能だ。
移転前の最後の展示となる展覧会はタイトルもそれにふさわしい「旅立ちの美術」というもの。旅をモチーフにした絵画だけでなく、美術品がたどった”旅”の軌跡も追う。前期展示では、同館所蔵の国宝7点が勢揃いするのも見どころの一つだ。この世田谷のギャラリーでは初めての機会になるという。
その国宝の一つ、《曜変天目》は、完形品は世界に三碗しかないと言われる神秘の輝きを放つ茶碗。宇宙の星のようなきらめきはどのようにして作られるのか、完全には解明されていない。この茶碗は徳川将軍家から三代将軍家光の乳母、春日局を経て稲葉家に伝来、昭和9年に岩﨑小彌太が入手した。彼は「天下の名器」として自らの茶事に使うことはなかったという。名碗への小彌太のリスペクトが伺える。
極楽へ旅する列車という、SF的な情景を描いたのが河鍋暁斎《地獄極楽めぐり図》だ。パトロンの愛娘・田鶴(たつ)の冥福を祈って描かれた。不幸にして亡くなった田鶴は諸仏の案内で地獄を見物、最後は蒸気機関車で極楽に到着する。この絵は新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通する直前に描かれている。当時の最新テクノロジーである鉄道への関心の高さが伺える。
せわしない日常を離れ、郊外で自然に親しみ、ゆっくりと思いを巡らせたい。川端玉章の《桃李園・独楽園図屛風》は現代の人々も憧れるユートピアの光景を描いたもの。右隻は李白の詩に基づき、春の宵に月や酒、花、詩を楽しむ李白たちを描く。左隻に描かれているのは庭園でのどかな暮らしを楽しむ北宋時代の政治家、司馬光の姿だ。
移転後も建物の外観は見学が可能だ。〈静嘉堂文庫〉はイギリスで建築を学んだ桜井小太郎の設計。ケンブリッジ大学に留学するなど、イギリスびいきだった岩﨑小彌太の好みにあわせてイギリスの郊外住宅風のスタイルに仕上げられている。スクラッチタイルの外壁や入り口のアーチが木々に映える。
庭園を少し入ったところにある廟は桜井小太郎の恩人であるジョサイア・コンドルが設計した。イギリスから建築の教官として来日したコンドルは三菱の顧問も勤め、丸ノ内の〈第一号館〉(後に取り壊し、復元して〈三菱一号館美術館〉に)などを設計、「一丁倫敦」と呼ばれるロンドン風の街並み形成に寄与した。〈旧岩崎邸庭園〉として公開されている旧・岩崎久彌邸など岩崎家の人々の邸宅も多く手がけている。〈静嘉堂文庫美術館〉の庭園内の廟は現在も岩﨑家の墓所として使用されている。見学は外観のみ、お宝を残してくれた人々への感謝と畏敬の念を忘れないようにしたい。
来年、展示機能が移転する先は、丸ノ内の〈明治生命館〉内だ。岡田信一郎・捷五郎兄弟の意匠設計で1934年に建てられた、古典様式の重厚な建物が堂々たる構えを見せる。現在の建物が建てられる前はジョサイア・コンドル設計の建物が建っていた場所でもある。この移転事業は2020年に三菱が創業150周年を迎えたのを記念して行われるもの。岩﨑彌之助は当初、丸ノ内地区に美術館を建設することを夢見ていた。100年以上の歳月を経て彼の夢が実現するのを、私たちも楽しみにしていよう。