February 11, 2020 | Architecture, Travel | a wall newspaper
1988年に誕生したプーケットのアマンにアマンジャンキーな建築家が作った建築とは。
いまや世界を代表する一大リゾートブランドとなったアマン。アマンが探し出した秘境の地を自分らしいスタイルで “体験する” 滞在スタイルに、世界中に「アマンジャンキー」と呼ばれる熱狂的なファンがいる。そのすべての始まりが、プーケットの西岸、アンダマン海に面した半島を丸ごと使った〈アマンプリ〉である。
1988年の創業以来、アメリカ人建築家エド・タートルが設計したままの姿を保ってきたアマンプリ。だが2019年12月、31年の時を経て新たな建築が加わった。国立競技場の設計に携わったことでますます注目を浴びる日本人建築家、隈研吾によるブティック棟〈リテール パビリオン〉である。ローカル色の強かった従来のショップから、より国際的な視点でキュレーションした、これからのアマンのショップのプロトタイプだ。
「僕自身、30年来のアマンプリの大ファンなんです」
開口一番、隈は言う。
「最初来たときはすごく興奮しました。高低差を利用して段差を設けたり、なによりも土地の使い方がユニーク。環境へのリスペクトがありますね」
断崖に建ち、眼下に大きく開ける海に、来場者はみな感嘆の声をあげる。
敷地内の建築は、かつてタイ王朝の栄華をきわめたアユタヤの伝統的な建築様式を応用し、層になった切妻屋根がきわだつ。
「小さな屋根を重ねてだんだんと低く、敷地になじませていくタイの建築様式は、日本の建築様式とよく似ています」
隈のパビリオンも同様に、屋根が幾重にも重なる。
「このパビリオンは実は、5個くらいの小さな建物が隙間を開けながら立っています」
その屋根屋根をつなぐガラスの間から空が覗き、心地のよい抜けをはらんでいる。
「中から見ると、ひとつひとつの屋根が浮いているようで、我ながらおもしろくできたかなと思います。建築には薄さを求めてるので、欲をいえば屋根の先端はもっと薄くしたかったのですが……」
内装も隈が手がけた。
「アマンプリは建築もインテリアも同じ建築家が手がけているので、中と外が上手につながっているところが非常に魅力的。僕も棚を浮かしたり照明に段差を設けたりと、屋根との関連性を持たせました。建物が三角なので、家具にも三角の《KAソファ》を用いました」
そもそも隈とアマンのコラボレーションは、アマン・スパで用いるオリジナルコスメのボトルデザインに端を発する。アマンらしい深い黒にスッとしたシルエットは、アジアの美しい女性を思わせるような出で立ち。マットな手触りも手に心地よい。
「アマンらしい繊細さを微妙なくびれで表現しました。アマンはアジアとヨーロッパの文化の交差点でもある。だから日本の徳利をイメージした形を、イタリアの職人に作ってもらいました。ガラスに水転写で木目をつけて……建築よりボトルのほうが時間がかかったかなあ(笑)」
パビリオンのオープン前夜にロンドンから到着し、翌朝早くに日本へ戻っていった隈。
「せっかく来たのに。もう一泊したいなあ……」
笑いながら名残惜しそうにつぶやく姿に、アマンプリへの並々ならぬ愛情が溢れていた。