February 28, 2019 | Fashion, Architecture, Design | casabrutus.com
”ファッション界の帝王” カール・ラガーフェルドがこの世を去った。メンフィスやアール・デコの家具コレクターであり、建築への造詣も深かった彼のデザイン愛を振り返る。
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巨星墜つ。ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドが2月19日の朝、この世を去った。訃報が流れるや否や、私のインスタグラムはカールの写真と彼へのメッセージで埋め尽くされ、グッチのアレッサンドロ・ミケーレからヴァージル・アブローまで、ブランドも世代も超えたデザイナーたちが彼の死を惜しんだ。
享年85歳。1958年に自らのブランドの最初のコレクションを発表して以来、60年以上にわたって現役のデザイナーだった。予兆は昨年からあった。2018年10月に行われたシャネルのプレタポルテのショーで、最後に登場したカールの姿はかつてない憂いを帯びていた。奇しくもショーの演出は、〈グラン・パレ〉に人工のビーチを作るというもので、海辺のロッジから会場を見渡すカールは、さながら映画『ヴェニスに死す』のラストシーンを思わせた。そして今年1月に開催されたシャネルのオートクチュールのショーには、カールが現れることはなかった。
カール・ラガーフェルドのファッション界における功績を讃える記事はこれからも数多く生み出されるであろうが、ここでは彼の家具や建築、そして本への愛を振り返りたい。
カールは家具コレクターとしても有名で、80年代にはモナコにメンフィスの家具で埋め尽くされた「メンフィス・アパートメント」も所有していた。2002年5月号の『カーサ ブルータス』ではパリのアトリエを取材しているが、パレ・ロワイヤルにほど近いアパルトマンにあるプライべートな空間には、メンフィスのデザイナーであるアンドレア・ブランジの椅子からアール・デコを代表するジャン・ミッシェル・フランクのテーブル、倉俣史郎の引き出しなどが 所狭しと置かれていた。時代もスタイルも異なるものが、カール・ラガーフェルドの審美眼のもとに集められると、ひとつのハーモニーが生まれるから不思議だ。近年ではデザインにも挑戦し、昨年10月にはパリのカーペンターズ・ワークショップ・ギャラリーで、彫刻作品のような大理石のテーブルと鏡、そして噴水盤を作り発表していた。
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建築への造詣も深く、2008年に東京でも行われたシャネルの『モバイルアート』展では、パビリオンのデザインをザハ・ハディドに依頼した。「アンビルトの女王」と謳われた彼女を抜擢するのはリスクも大きかっただろう。丹下健三の名作〈国立代々木競技場〉の隣に出現した巨大な白い建物は、未来都市のような景色をそこに創出させた。またロベール・マレ=ステヴァンスの〈ヴィラ・ノアイユ〉や安藤忠雄の〈ヴィトラ・セミナーハウス〉を自ら撮り下ろし写真集を作ったこともあり、安藤には別荘の設計も依頼していた。その後も石上純也に図書室の設計を頼み、これらのプロジェクトはいずれも実現されなかったが、もし出来上がっていたら、カールはそこにどのような空間を作り上げたのだろうかと思いは尽きない。
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最後に振り返りたいのは、彼の本への愛だ。読書家で30万冊以上を蔵書していたカールは、パリのサンジェルマン・デ・プレにある書店〈7L〉を経営し、名出版人ゲルハルト・シュタイデルとともに「7L Edition」という出版社も創設した。「7L Edition」のホームページには次のような言葉がある。「7Lは毎シーズン数冊の本だけを作ります。美しい本作りには時間が必要です。スクリーン時代において、本はこれまでよりも美しく印刷されるべきであり、よりよく書かれるべきです」。
新しもの好きで、スピードが重視されるファッション界に生涯身を投じたカールだが、ファッションデザインと並んで情熱を注いだのは本作りだったのかもしれない。1999年に出版された「7L Edition」の最初の出版物は、バウハウス出身の建築家・山脇巌の写真集。1930年代に撮影された山脇のプリント作品をコレクションしていたカールは、オリジナルプリントに忠実に再現し、『IWAO YAMAWAKI』としてまとめた。“ファッション界の帝王”カール・ラガーフェルドは、突出した才能を見出し、引き上げる優れたキュレーターでもあったのだ。