November 6, 2018 | Architecture | casabrutus.com | text_Yoshinao Yamada editor_Keiko Kusano
パリを拠点に活動する建築家・田根剛。その初めての大型個展『田根剛|未来の記憶 Archaeology of the Future』が、初台の〈東京オペラシティ アートギャラリー〉と乃木坂の〈TOTOギャラリー・間〉で同時開催されています。両館の展示の見どころを追ってみました。
幅広い分野で注目を集める若手建築家、田根剛。フランス・パリを拠点に活動する田根は、大学在学時から海外を拠点とし、わずか26歳で国際的なコンペを勝ち取る。それが、2006年にイタリア人建築家のダン・ドレル、レバノン人建築家のリナ・ゴットメとともに挑んだ〈エストニア国立博物館〉の国際設計競技だ。それまで設計事務所の一スタッフだった彼らは、急遽パリで事務所を立ち上げることに。そうして設立されたDGT.は10年の歳月をかけて〈エストニア国立博物館〉を完成させ、2016年に開館を果たした。
この間、田根は日本でも「新国立競技場 国際デザイン・コンクール」で古墳スタジアム案を発表。木々に覆われたスタジアムという大胆なアイデアが話題を集めたことは記憶に新しい。〈エストニア国立博物館〉の完成を機にDGT.は解散し、田根はそのままパリで「Atelier Tsuyoshi Tane Architects」を開設。現在は、ヨーロッパや日本をはじめ、ニューヨークなどでもプロジェクトを進めている。
そんな田根が、都内で初の大型個展、それも、〈東京オペラシティ アートギャラリー〉と〈TOTOギャラリー・間〉の2館同時開催。タイトルは『Archaeology of the Future ─ 未来の記憶』とされ、この共通テーマに基づき、2館で田根の活動と思考の一端を紹介する。
「Archaeology」とは、考古学、または遺跡のこと。「建築は未来の記憶」と話すように、田根の建築をユニークなものにしているのは、建築を考えるうえで考古学者のように遠い時間を遡って、場所の記憶を発掘する点にある。そんな姿を反映するように、展示はさながら古くヨーロッパで発展した「驚異の部屋」を思わせるものとなった。自然物や絵画、標本などさまざまなものを集め、後に大英博物館をはじめとする博物館へと発展していった「驚異の部屋」。田根が何に出会い、何を思い、何に着想を得たのか。時に考古学者のように、時に哲学者のように、建築が生まれる場所の記憶を探る田根らしい多様な要素が会場に提示されている。ではさっそく、〈東京オペラシティ アートギャラリー〉の展示から見ていこう。
●記憶を発掘し、建築を形作る。〈東京オペラシティ アートギャラリー〉
〈東京オペラシティ アートギャラリー〉では副題を「Digging & Building」とし、田根の代表作から最新プロジェクトまでを大型模型や映像で体感できる。まず田根は、現在進行中のプロジェクトにまつわる古材や旅先で手に入れたオブジェの数々で来場者を迎える。たとえば床に置かれたガラスの塊はスリランカのガラス工場を訪れた際に放置されていたものを譲り受けたもの。レンガの塊は弘前で進められるプロジェクトのなかで強度試験に使われた欠片で、ローマで拾った石なども置かれている。
そこを抜けると、無数の写真や図で壁と床が覆い尽くされた展示「記憶の発掘」が広がる。「IMPACT(衝撃は最も強い記憶である)」や「TRACE(記憶は発掘される)」など12のテーマに基づく「記憶」自体の「Archaeological Reseach」(=考古学的リサーチ)が空間的に展開される。クラウド上にアップされた記憶に関する田根の思考を実空間で体験するかのようだ。たとえば「FICTION(幻想は記憶である)」はこれまでに人々の想像力が生み出した幻想のイメージを取り扱うが、「それは人々が理想(ユートピア)を形にして、目に見えないものを形にしていた時代。大切なのは、その先に未来があること。記憶には未来の原動力となる起点があるんです」と田根は言う。
「ここでのテーマは“未来の記憶”。これらは具体的なプロジェクトに直結するものではなく、僕自身がまだわかっていない部分やこれから何をやりたいかを探るリサーチの内容です。そこで記憶をリサーチすることにしました。考古学的に“未来の記憶”を探ることで、より深く記憶の意味へとたどり着くことができました。いまはその模索段階ですが、今回の展示ではその姿を表現しました。12のキーワードをスタッフとともにリサーチをすることで一つのスタイルに類型化せず、僕自身もリサーチの結果に驚き、そして次のステージへ向かいたいと思って取り組んできました」
田根の脳内に潜り込んだかのような展示の先は、一転して映像の世界に。アーティストの藤井光が撮影した〈エストニア国立博物館〉の映像には、オフィスや収蔵庫など、一般には見られない空間までが映し出される。壁面の大きな映像は、まるで実際の空間を体験するかのような臨場感をもつ。
その先に広がる最も大きな展示室では、これまでとこれからの7つのプロジェクトの模型と資料を展示する。まずは映像で見たばかりの〈エストニア国立博物館〉の10メートルにおよぶ巨大模型が来場者を迎える。長くソビエト連邦に占領されていたエストニアが独立し、ようやく国の歴史とこれからを伝えるための国立博物館を建てるというプロジェクトだ。負の遺産として残っていたソ連占領時代の旧軍用滑走路を博物館に再生させる提案が高く評価されて実現へと向かうことになった。
このプロジェクトを進めるなかで田根は「場所の記憶」を強く意識することになる。そして完成後、この建物はエストニアの人々の新たなアイデンティティの象徴として愛されるようになった。人口わずか130万程度の国ながら、開館から2年足らずで50万人の来場者を数える。場所の記憶というのは過去を指すだけでなく、未来をつくっていくことだと田根が繰り返すのはここでの体験が大きい。
また、2012年の「新国立競技場 国際デザイン・コンクール」で話題を呼んだ〈古墳スタジアム〉、2020年開館予定の〈(仮称)弘前市芸術文化施設〉、さらに初めて公表された京都十条で進行する複合施設〈10 kyoto〉などの模型と資料が展示される。
「建築展は、最大の成果である建築そのものを持ち込むことはできません。けれどこれまでの建築展で多く見られるシンプルな模型、図面、写真を持ち込まないことをルールとしました。バイオリンと楽譜を置いて音楽を想像させることが難しいように、模型と写真では建築がわからないと思うんです。会場の模型は縮尺を明示せず、人や家具などを入れずに純粋に建築を見てもらうものにしました。能動的に歩き回らないと把握できないような展示を目指しています」(田根剛)
展示を締めくくるのは田根の軌跡だ。2004年以降、田根が手がけてきた建築、インテリア、会場構成、舞台美術など多数のプロジェクトが並ぶ。実現しなかった案も網羅され、短い期間に濃密な作品制作に挑んできた彼の姿を知ることができる。そして田根が現在オフィスを構える元印刷工場を再生した空間も映像で楽しめる。若く、多国籍なメンバーが集う事務所で、こうした刺激的なアイデアが生み出されているのだ。
●会場を埋め尽くす、「Search & Research」の痕跡。〈TOTOギャラリー・間〉
一方、〈TOTOギャラリー・間〉では展示の副題を「Search & Research」とした。会場にならぶ21の棚には、田根のリサーチや思索の痕跡が並ぶ。模型やサンプルの数は600点以上で、中には一見建築に結びつかないようなものも。また作品脇の壁は、研究と考察を重ねた他の建築や風景などの写真、絵画、図版
などで埋め尽くした。いずれも説明文はなく、それを読み解くヒントの一つが壁の所々に書かれた田根による手描きのメモや文字だ。
展示は部屋に留まらない。ラックはそのまま中庭に広がり、大胆にも陽の光のもとで展示物を見せる。本来、建築は外部環境にさらされるもの。雨風をしのぐように一部の作品はアクリルケースに入るが、開放された空間で建築の模型は実際に建つであろう姿をより想像させる。
中庭奥に並ぶシェルフはフランスからの運搬用コンテナ。事務所のスタッフがDIYで製作したものだ。これは展示を予定していなかったがギャラリーサイドの要望で展示されることになった。あくまで運搬用と田根は苦笑するが、これを展示したいといったギャラリーの気持ちもよくわかる。上階は靴を脱いで体感できる映像コーナー。ここでも実空間のような臨場感を楽しむことができる。
「展示には3年近く準備を要しました。建築家は思考で未来を創っていく仕事です。オペラシティではスケール感、ギャラ・間では密度を念頭に、両会場で1000近い模型や資料を展示しています。言葉ではなくものを見ることによって好奇心を刺激したい」と田根は言う。
2つの会場を見て回ると、どちらか一方でも完結する展示でありながら、両方を見ることでより深く伝わってくるものがある。未来につながる建築を展開させる田根だが、展覧会は彼自身の未来を予感させるものとなっている。大きなプロジェクトを経て次なるフェーズに進む田根のいまを、両方の展示で感じてほしい。