May 18, 2017 | Architecture | casabrutus.com | photo_Manami Takahashi text_Yuka Uchida editor_Keiko Kusano
“建築界のノーベル賞”として絶大な影響力を持つ、プリツカー賞。その創立者であるプリツカー家の代表、トム・プリツカー氏が来日。2017年度の受賞者や、5月20日に東京・迎賓館赤坂離宮で開催される授賞式について話を聞きました。最後はプリツカー賞の誕生秘話も飛び出し……!?
A 残念ながら、私は詳しい選考理由は知らないのです。プリツカー賞には、建築家や建築に造詣の深い見識者によって構成された選考委員会があるのですが、我々スポンサーとは完全に切り離されています。選考は彼らの仕事であり、私はそこで何が話し合われているのか全くと言っていいほど把握していません。
Q ということは、あなたにも選考が終わってから、結果のみが知らされるのですか?
そのとおり。今年は、最終選考の会議が終わった午後4時ごろに知らせを受けました。正直なところ、その瞬間まで私は〈RCRアーキテクツ〉の作品はおろか、彼らの名前すら知らなかった。つまり、そのくらい選考に関与していないのです。大切なのは優秀な選考委員を集め、独立性を保ちながら、誠実に受賞者を決めること。この考えはプリツカー賞を創立した当初から変わっていません。
A とても興味深い受賞者だと思っています。今、世界ではグローバルとローカルのせめぎ合いが起こっています。ただ、彼らはそのふたつをうまく両立させている。自分たちの共同体を大切にし、ローカル性を保ちながらグローバルな取り組みをしています。受賞をきっかけに、彼らは世界から研究される対象となるでしょう。彼らの存在を世界に知らせる手伝いができたことに意義を感じています。
A いいえ、授賞式の会場は受賞者が決まるずっと前に決まっています。プリツカー賞は毎年、ざまざまな国を訪れ、その国の重要な建築物で授賞式を行うのですが、そうすることが異なる文化について知るきっかけとなるのです。受賞者と開催国に関係性があるわけではありません。その意義を実感したのが、1989年に開催した東大寺での授賞式でした。それ以前は、ほとんどアメリカで開催していたのです。東大寺を会場に選んだ理由は、シカゴで開催された東大寺展に感動し、その時に関係者と知り合えたから。この年を境に、プリツカー賞そのものも急速に成長していきました。日本で授賞式を行うのは今回が2度目。1989年以来、ご無沙汰していたので迎賓館赤坂離宮で開催できることをとても嬉しく思っています。
A そうです。まだ皆さんの知る“フランク・ゲーリー”になる以前のゲーリーです。当時は、いま私たちが彼の代表作として思い浮かべる建築はなにひとつ完成していませんでした。私自身、彼の建築がまったくわからなかった。正直、嫌いでした(笑)。彼が受賞した際も「Not like」とはっきり述べています。受賞をきっかけに、私なりに彼と彼の建築を知ろうと努力をしましたが、それでも掴めませんでした。ようやく理解できたのは〈ビルバオ・グッゲンハイム美術館〉が完成したとき。子供たちと一緒に美術館を訪れ、建築によって彼らの目が輝きだす瞬間を見ることができました。今、ゲーリーは大親友のひとりです(笑)。
Q 若き日のゲーリーがプリツカー賞受賞をきっかけに、次々と大きなプロジェクトを手がけ、世界が認める存在となったのは象徴的な出来事でした。それだけ、毎年の受賞者に注目が集まるわけですが、ここ数年は「社会問題への取り組み」を評価された建築家の受賞が続いているように思います。
A 確かに、2015年の受賞者である坂茂は被災地で取り組みを続けていますし、2016年の受賞者のアレハンドロ・アラヴェナは家を建てる経済的余裕のない人々のために新しい集合住宅のあり方を提案しています。ただ、そういった受賞の状況を「トレンド」として読み解くのは注意した方がいいでしょう。実際、選考委員会は年ごとに少しずつメンバーが入れ替わっていますし、今後もどのような方向性で選考が行われるのかは分かりません。ここで再確認しておきたいのは、選ばれる建築家は多様な条件を満たしていなければいけないということ。環境問題や社会問題への喚起を促すのはそのひとつですが、重要なのはエクセレンス。つまり、抜きん出て優れたものに対する賞でなければならないのです。
A 父は1967年に開業した〈ハイアット リージェンシー アトランタ〉のアトリウム空間に感動したことがきっかけで、建築に興味を持つようになりました。あのホテルを通じて、建築は人々の心を動かせると知ったのです。その後、あるきっかけを経て1979年にプリツカー賞を立ち上げました。
Q そのきっかけとは?
A ある人物が父に提案をしたのです。「ノーベル賞には建築の部門がない。ならば、建築界のノーベル賞と呼ばれる賞をつくってはどうか?」と。その男は父とは何の面識もなかったのですが、突然電話をかけてきて、父を説得しました。そうして、父の建築への思いを後押ししたのです。この話で素晴らしいのは、ひとつの小さなアイディアが父の建築への愛を刺激し、その結果、世界を変えたということです。
その後、我々プリツカー家は、一年かけてじっくりと選考方法を話し合い、賞のコンセプトを固めました。プリツカー賞を通して我々が目指すのは、人々や社会にとって建築がいかに重要かを意識させるということです。5月20日に迎賓館赤坂離宮で行う授賞式でもそのことを伝えていきたいと思っています。