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構想から60年。故・二川幸夫最後の写真集が完成。

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March 24, 2017 | Architecture, Culture | casabrutus.com | text_Ai Sakamoto editor_Keiko Kusano

日本を、いや世界を代表する建築写真家・二川幸夫。優れた出版人でもあった彼の最新写真集が刊行。御所と離宮の庭園、そして建築のみにフィーチャーした一冊には長年探求した、現代へと続く日本建築の精神が詰まっている。

フランク・ロイド・ライトの全作品集など近現代の名建築を、確かな批評眼を通して写真として表現。世界で高く評価された建築写真家・二川幸夫が突然この世を去ったのは、2013年3月5日のこと。「自分は写真家ではない」と言い切り展覧会というメディアを固辞してきた彼にとって、80歳にして国内美術館では初となる展覧会『日本の民家一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点』展(パナソニック 汐留ミュージアム)の会期中であったことから、鮮烈な記憶を人々の中に残したのである。
その展覧会のタイトル通り、民家は二川の原点ともいうべき被写体だった。1950年代、大学在学中の二川青年は建築史家教授だった田辺泰の薦めで訪れた飛騨・高山の民家に強い衝撃を受ける。美しく、堂々たる佇まいに惹かれた彼は、当時すでに姿を消しつつあった庶民の住まい“民家”を、全国各地に訪ねてカメラに収めていったという。その記録が美術出版社の社長の目にとまり全10巻の『日本の民家』として出版されたのだ。以来、その対象は世界の建築へと広がり、現代建築を表現することでは世界最高と評されるように……。さらに70年には、建築書籍の編集・出版を専門とするエーディーエー・エディタ・トーキョーを設立。建築誌『GA(グローバル・アーキテクチャー)』シリーズなどを通して、自らの写真とともに優れた批評眼で建築評論家としても名を成した。
また、安藤忠雄、ザハ・ハディド、フランク・ゲーリーといった才能をいち早く見出し、世に紹介した目利きとしてもよく知られる。たとえ、どんなに苦労してたどり着いた建築であろうとも、自身が気に入らなければ決して写真を撮らなかったという逸話の残る二川。彼に認められ、自らの作品がその被写体となることが世界中の建築家の憧れだったと言っても過言ではないだろう。

『天上の庭』は、そんな二川が構想から60年の歳月をかけて挑んだ最後の写真集。宮内庁の全面協力により、〈修学院離宮〉〈桂離宮〉〈仙洞御所〉〈京都御所〉の4つの御所と離宮の庭園、そして建築を撮影している。50年代末〜60年代に撮り下ろした写真と、デジタル機材を使って四季の移ろいを鮮明に記録した写真とで構成。観月の名所〈桂離宮〉の月見台から見た中秋の名月など、レアな一枚もある。
この写真集の中で、老写真家は空から庭から室内から、自在に視点を変えて空間を切り取っている。さざ波立つ池の水面に、満開に咲き誇る桜、黄や赤に色づいた紅葉。二川は、四季豊かな日本の自然環境の中に、現代へと続く日本建築のエッセンスを求めたという。
二川との共著もある建築家の隈研吾は、本書に寄せたエッセイの中で、次のように書いている。

「あがってきた写真を見て、二川が撮りたかったのは、結局のところ、庭というひとつの存在、ひとつの形式なのだろうということに気がついた。(中略)彼はただ庭というものに固有の空気感を、カメラという道具を使って、固定したかったのである。二川はいつも建築の上位にいたし、もちろん建築家の上位にいたことを思い出した。彼は建築という小さなものの、その先にあるものだけを見ていた」

稀代の写真家がレンズを通して見ていた建築の先にあるもの。その答えは、本書の中にある!?

『天上の庭』

総280ページ。24,000円。サイズ:257mm×364mm。発行:エーディーエー・エディタ・トーキョー。企画・撮影:二川幸夫。文:隈研吾。公式サイト

二川幸夫

1932年大阪市生まれ。早稲田大学文学部で美術史を専攻、1956年卒業。『日本の民家』全10巻を刊行し、1959年、同書にて毎日出版文化賞受賞。1970年、建築専門の書籍の編集、出版を専門とするエーディーエー・エディタ・トーキョーを設立。1975年アメリカ建築家協会(AIA)賞、1984年芸術選奨文部大臣賞、1985年国際建築家連合(UIA)賞など受賞多数。 photo_GA photographers

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