July 27, 2024 | Art, Travel | casabrutus.com
〈ポーラ美術館〉で大規模なインスタレーションを展開しているフィリップ・パレーノ。フランスを代表する現代アーティストの個展は周囲の環境とも呼応するものです。展覧会のため、来日したパレーノに聞きました。
パリを拠点に活動する現代アーティスト、フィリップ・パレーノ。1980年代以降、映像や音、オブジェ、ドローイングなどを制作してきた。これまでニューヨーク近代美術館やパリの〈ブルス・ドゥ・コメルス〉、ロンドンの〈テート・モダン〉などで個展を開催している。
ポーラ美術館での個展は「この場所、あの空」というタイトルがついている。これはパレーノが提示した「Places and Spaces」を意訳したもの。このタイトルに込めた思いは?
「Placesは箱根という場所、Spacesは建築的空間を指している。この二つのニュアンスを一度に表現したいと思ってこのタイトルにした。それは置き換えるとヒア&ゼア、“ここ”と“よそ”を一度に言えるということでもある。あと実は、僕の大好きなドナルド・バードというミュージシャンの曲のタイトルでもあるんだ」
展示空間は大きく4つのスペースに分かれている。大きな窓から見える樹木を背景に空中を魚が泳ぎ回る幻想的な部屋は《私の部屋は金魚鉢》というインスタレーションだ。その先にある部屋には映像作品《マリリン》と《雪だまり》というオブジェがあり、部屋から見えるテラスには《ヘリオトロープ》が置かれている。やや小降りな展示室5にはドローイングと、ガラスランプを使った《幸せな結末》という作品が並ぶ。
金色のバルーンが天井いっぱいに広がる作品は《ふきだし(ブロンズ)》だ。その部屋に隣接して映像作品《どの時も、2024》と《HDKの種子:2025年の預言》、電球を使った《マーキー》、蓄光インクで画面が変化する作品《暗転(ボルダーズ・ビーチ)》が展示されている。
上記の作品のうち、《マリリン》と《雪だまり》がある広々とした部屋には外にある《ヘリオトロープ》から反射した光が入り込むことがある。《マリリン》は音声のついた映像作品なので、《雪だまり》や《ヘリオトロープ》を鑑賞しているときも音が聞こえてくる。複数の作品が干渉しあって、一つのインスタレーションのようにも見えてくる。
「あえてそういったことが起こるようにしているんだ。個々の作品は僕にとって音符のようなものであって、その音符を並べて一つの曲を作るような気持ちで展覧会を構成している。ここでは《マリリン》《雪だまり》《ヘリオトロープ》が一緒になって新たな形を生み出す。それは土地によって異なるものになるから、同じ作品であってもこの場所、この空間でなければ生まれない曲になる」
今回の個展ではとくに順路は定めていない。上記で紹介した順番でなくても、好きなところから見ていくことができる。
「一つの部屋だけではなく、展示全体で一つの大きな曲としてとらえることも可能だ。展示には始まりも終わりもないし、一度通ったところにまた戻ってきてもいい。直線的な見方は規定していないし、どのような組み合わせで見てもそれぞれの見方ができる。《マリリン》もループしているし、室内が暗くなったり明るくなったりするけれど、どちらが先でも後でもかまわない」
すでに何度も言及している《マリリン》は彼の代表作だ。これはマリリン・モンローが映画「七年目の浮気」を撮影する際に滞在していたニューヨークの高級ホテル「ウォルドーフ・アストリア」のスイートルームを舞台にしたもの。が、パレーノはマリリン・モンローに特別な思い入れがあるわけではないという。
「僕自身はとくにモンロー個人のファンというわけではない。この映像作品はあるときに偶然、マリリン・モンローの日記を見つけたことがきっかけになっている。その日記を読んで、彼女はメディアが作り出したイメージによって死に追いやられたのだ、と思ったんだ。本人のパーソナルイメージと、メディアによるイメージとの乖離に興味を持った」
映画の発明以前、19世紀のヨーロッパで流行した「ファンタスマゴリア」という演出が《マリリン》のインスピレーション源の一つになっている。幻灯機を使って舞台上に幽霊を出現させる、といったショーだ。
「降霊術のようにステージで死者が甦ったように見えたことだろう。《マリリン》ではそれを現在のテクノロジーを使って再現しようとした。マリリンの声はデジタルで再現されている。これを試みたのは僕が初めてだと思う。彼女の手書きの筆跡も機械でコピーできるようにした。カメラはマリリン自身の視点をトレースしている」
《マリリン》ではナレーションや手書きの文章が同じ内容を繰り返しているように見えるが、実際には内容は少しずつ変化している。
「作品の中でホテルの部屋に戻ってきたマリリンはその瞬間の中に捕らえられてしまって、抜け出すことができない。時間的にも空間的にも泡の中に閉じ込められているような感じだ。それが永遠に続く、その悲しさも表現されている」
《暗転(ボルダーズ・ビーチ)》という作品は一枚の絵画だが、蛍光インクが使われていて照明が変わると画面が変化する。ペンギンの群れと岩が描かれていて、岩にはときおり「Welcome to Reality Park」、リアリティの園へようこそ、といった意味の言葉が現れる。
「この作品は南アフリカのボルダーズ・ビーチにペンギンを見に行ったときに着想したもの。ペンギンの群れの中に入っていったら、僕が一人でペンギンの公共の場に入り込んだような気がした。自分とは別の社会に入っていくような感じだった。つまり『Welcome to Reality Park』とはペンギンにとってリアルな場ということになる。アルゼンチンでは野生のペンギンにスピーチをしたことがある。他に人間は誰もいないところで1時間半ぐらい話をした。そのときもたくさんのペンギンがすぐ近くにきて、ちょっと怖くなった」
《暗転(ボルダーズ・ビーチ)》と同じ展示室にある《どの時も、2024》にはコウイカが登場する。犬や猫と違ってイカはそれほどものごとを考えていないような気がするが、決してそんなことはない、とパレーノはいう。
「コウイカは本当はとても賢い、高度に発達した動物なんだ。体内のあちこちに脳があるようなつくりになっていて、ニューロン(神経回路)が張り巡らされている。とくに触覚は鋭くて、皮膚の色を変えてコミュニケーションをとっている。たとえば『岩』という言葉は岩を抽象的な概念に置き換えたものだけれど、コウイカは皮膚の色を変えて岩そのものに擬態することで『岩』という概念を直接的に伝えることができる。言語によらない伝達手段を持っているところに未来への可能性を感じるんだ」
マルセル・デュシャンの作品に「A Guest + A Host = A Ghost」というものがある。「ゲストとホストを足すと幽霊になる」といった意味だ。
「見せる人と見る人、仕掛けるものと受け取るもの、ゲストとホスト、その二つがあって初めて一つの形が生まれる。ここでいう形とは物理的なものではなく、それを見る人の頭の中に残るイメージや考えのことだ。何かを指差したときに、指を差したその先にあるものよりも、指を差す行為そのもののほうが重要だと思う。こうやって何かに目を向けさせることがアートなんだ」
この個展では《ホタル》という作品が展示されているのだが、それを鑑賞することはできない。館外に設置された、文字通りホタルのようにかすかに光るこの作品は、閉館後の夜間のみ点灯するのだ。でも彼の考えに従えば「そこにホタルがいるよ」と指を差す行為そのものが重要なのであって、指を差した先にホタルがいるかどうかは問題ではない。どこにあるのかわからない、またはどこにでもある「あの空」を思わせる展覧会だ。