June 27, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com
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建築作品は、建築のスピリットとその詩的元初への捧げものにすぎません。
建築家の磯崎新は、ルイス・カーンが亡くなった直後、つまり1970年代中頃にアメリカを訪れている。そしてそのときに、この地でカーンが「急速に忘却されつつあった」ことを印象深く覚えているという。建築界のスーパースターが5年おきに変わるほどの消費の時代に、カーンが語る言葉は「秘教的で難解だと思われ」、「それ故に忌避され」てもいた結果だろうとも綴っている。
実際、カーンの文章を読むのは骨が折れる。それは非常にラディカルだからだろう。建築を語っても、同時代のスーパースターは登場しない。参照されるのは、ピラミッドにストーン・ヘンジ、アゴラ(古代ギリシアの公共広場)、パルテノン神殿などなど。先例のない建物、つまり「元初」はもっとも驚異に満ちたもので、建築家は「はるか昔に生起したものをただただ展開させているにすぎない」とも語る。
話はさらにラディカルに進み、その「元初」を求め「詩」に至る。頭のなかの考えを初めに表現できるのは「詩」だという。こうしてとことん推し進めた思考は、次のようにシンプルな言葉に結晶した。「建築作品は、建築のスピリットとその詩的元初への捧げものにすぎません。」。一見、建築をネガティブに語る言葉にも思えるが、実際にはかなり積極的な意味を含んでいる。つまり、作品は捧げものに過ぎず、人間は常に作品より偉大であるとも語っているのだ。
こうしたシャープな目線はどう養われているのか? カーンは日頃、「わたしの先生」と語るほどリスペクトしていた建築家を思い浮かべ、自分自身にこう問いかけてきたという。「私の仕事ぶりはいかがでしょうか、コルビュジエさん」。
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