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幸田文の名言「台所に立てば、…」【本と名言365】

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May 31, 2024 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。みずみずしい筆致で数々の食の名編を遺した幸田文。父である稀代の文豪・幸田露伴から受け継いだ「台所の教え」とは。

幸田文/随筆家・小説家  

台所に立てば、台所が人をみがいてくれる。

日々の暮らしを生き生きと活写した名文章家として知られる幸田文。その文体は美しく品があり、そして江戸前と言いたくなる小気味よさや、時には茶目っ気ある“おきゃん”な物言いも飛び出す。中でも料理をテーマにしたものはことさら筆致が鮮やかだ。

幸田は父である文豪・幸田露伴に台所の心構えを厳しく教え込まれた。まず「家の中で唯一、火と水と刃物が揃う台所では気を引き締めよ」と基本の教えに始まり、晩酌の肴が多過ぎれば「騒々しい膳をだすな」とたしなめられ、「鮮度は切り目の正しさに現れる」と諭される。その小言の一つ一つが金言ばかりで、まさに薫陶と呼ぶにふさわしい環境で幸田は所作とものの見る目を修得し、感性が磨かれていったのだろう。

とくに幸田の「その季節だけ、というのものは哀れふかい」と旬を尊ぶ語り口がみずみずしい。たとえば、ありもののキュウリとナスで手際よく和え物をこしらえる友人を見て「ショウユをふりかけ、さっとかきまわして形を整えると、さあという涼しさである。そういうのを、もりもりとかむとき私は、うまさには早い慣れと素直さがいるとおもう」と綴るのだ。

そして、この1冊を象徴するのが「台所に立てば台所が人をみがいてくれる」という言葉。これは父・露伴の教えでもあり、本人が会得した信条でもある。「最初は粗くしか動かなかった心づかいが、やがて細かい心づかいができるようになり、その会得が心を育む。(中略)台所は五感も鋭敏にし、性情も養ってくれる」と書く。ゆえに「自分は台所で、どれほど育てられていたかと思い当たったのである」と。

本著に収められている、台所の「音」で登場人物の人と成りをきめ細かに描き切った小説「台所のおと」も名編だ。台所の音に関する随筆も多く、「鍋釜や瀬戸ものへのあたりや動きまわる気配(中略)、キュウリをはやすまな板の音などに、立ち居ものごしの優しさがあらわれる」という一文にはっとさせられる。

台所で自分が立てる「音」をどれだけ意識していただろうか。四季の移ろいとともに自分はどれだけ旬や“はしり”の素材を料理しているか。幸田文の文章ほど「目で読んでいて、耳が痛い」心境になるものはない。そして、それがなんとも心地いいのだ。

幸田が40代〜60代であった1950年代から1970年代の執筆を中心に、食にまつわる作品を集めた随筆集。食の師であった父・露伴から教え込まれた台所仕事のあれこれ。「台所が、教室だった」と語る幸田が色あざやかな筆致で書き綴った名編集。小説「台所のおと」、和食料理人・料理研究家の辻嘉一氏との対談も収録。「きもの帖」「しつけ帖」など「幸田文の言葉」シリーズの第2巻。幸田の一人娘で随筆家である青木玉が編纂を担当した。『台所帖』幸田 文著、青木玉編。発行:平凡社 1760円/2009年。

こうだ・あや

1904年、東京生まれ。文豪・幸田露伴の次女。幼少期に母を失い、14歳の頃から台所に立ち、食を何より大事にした父・露伴に料理のいろはを教えられる。露伴の死後、追悼の意で発表した「雑記」「終焉」などでたちまち注目され、文壇の道へ。「父・こんなこと」「おとうと」「駅」「きもの」など多くの名随筆を残した。小説「流れる」で新潮社文学賞受賞および日本芸術院賞を受賞するなど受賞歴も多数。娘の青木玉、孫の青木奈緒は随筆家。1990年、86歳で永眠。

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