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【本と名言365】内田百閒|「特にうまい酒は…」

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March 22, 2024 | Culture, Food | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。稀代の名随筆家、百閒先生。日々の夕餉のお膳を何よりも楽しみにしていた氏の、美食家や食通とは一線を画す「一献の流儀」とは。

内田百閒/随筆家、小説家

特にうまい酒はうまいと云う点で私の嗜好に合わない。

大正そして昭和の文豪、内田百閒。「サラサーテの盤」といった幻想小説から「阿房列車」などの紀行文、「百鬼園随筆」や「ノラや」といった随筆で今もなお熱烈なファンを持つ文筆家である。

百閒先生は大の食いしん坊&呑み助としても知られており、食味(しょくみ)のあれこれを綴った作品を集めたのがこの「御馳走帖」だ。

70余編の随筆の中でたびたび登場するのが夕餉に関するエピソード。朝は牛乳1合と英字ビスケットで済ませ、昼はもり又はかけ蕎麦を一つ。あとはひたすらに夕食を待つ。

先生曰く「一日にいっぺんしかお膳の前に坐らないのだから、毎日山海の珍具佳肴を要求する」のである。もちろん本人は座っているだけで、珍具佳肴を準備するのは家人の方々なのだが。

この夕餉を楽しみにするが余り、間食は決してせず、酒も外では口にせず、用談で知人宅にお邪魔する時などは、いかに奥方の手料理を交わして空腹のまま退席するか策を巡らせるなど、全エネルギーを注ぐのである。

刺身は赤白を揃えるのを原則とし、鰻に凝った時はひと月ほぼ毎日注文する。晩年はおからにレモンを絞ったやつと三鞭酒(シャンパン)が気に入り、「おからとシャムパン」の組み合わせが日々お膳にのぼる。凝り性ゆえ、気が済むまで食べ続けるのである。

酒呑みとして舌は肥えていたはずだけれど、贅を尽くせばいい訳でなく、夕食での日本酒は「月桂冠」の瓶詰め、ビールは「恵比寿麦酒」と決めていた。当時うまいと評判だった「麒麟麦酒」は、「味があって常用に適さない」といい、土産にわざわざ飛行機で運んできてくれたという灘の銘酒「白鷹」も、ふだんの「月桂冠」よりはるかに香りが高くてうまいけれど、「常用の味と違う」という理由で失格となり、2〜3杯飲んで後は酒塩(煮物の調味料)にしてしまうのである。

つまり日々のお膳で最も大事なのは「いつもの味」であって、それが変わるのが一番いけない。だから「特にうまい酒はうまいと云う点で私の嗜好に合わなく」なり、百間先生のお気に召さないのである。

栄えある日本芸術会員への推薦を「いやだからいやだ」という理由で断ったのも有名な話。気が進まないから断る。夕餉という嗜好には、うますぎる酒はいらない。銘柄やブランドにはこだわらず、でも気に入ったものは気が済むまで呑みまたは喰う。この清々しいまでの偏屈さと忖度のなさ。これが美食家でなく稀代の食いしん坊と言われる所以であろう。

最後に、百閒先生は夕餉の時間の来客をなんとか回避するため、玄関先に「春夏秋冬 日没閉門」という貼り紙とともに、こんな文言を貼っていたという。

「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし」

やはり百閒先生、最高である。

健啖家・内田百閒の食の記憶を集めた名随筆集。初版は戦後すぐの昭和21年、まだ食べる物も不足していた時代に出版された。岡山の幼少期の思い出から戦中戦後の窮乏時代、友人や教え子らと共にした宴席や、故郷の銘菓「大手饅頭」といった甘いもの、西洋料理、何より心待ちにする自宅での晩酌まで自在に綴った70余編。表紙の題字は本人。カバー画:芹沢銈介。中公文庫 440円/1986年(第8版)。

うちだ・ひゃっけん

1889年岡山県岡山市生まれ。本名:榮造。ペンネームは故郷に流れる百閒川から命名。造り酒屋「志保屋」の一人息子として生まれ、父の早逝により酒屋を閉業。上京し東京帝国大学文化大学(現在の東京大学)に入学。夏目漱石に傾倒し門下生となり、鈴木三重吉や芥川龍之介などと知り合う。卒業後、陸軍士官学校、海軍士官学校のドイツ語学教授、法政大学教授に就任。教職と並行して執筆活動を行う。短編小説「冥途」、「山東京伝」などを発表、昭和8(1933)年、随筆集「百鬼園随筆」がベストセラーとなる。乗り物好きが高じて「阿房列車」という紀行随筆が生まれ、愛猫ノラとクルツを描写した「ノラや」「クルやお前か」は名猫随筆として知られる。還暦後は法政大学教授時代の学生らがメンバーとなり、氏の長寿を祝う誕生日会「摩阿陀会(まあだかい)」を毎年開催。会の名は「まだ死なないのかい」の意から由来する。シャレを愛し、文面から滲み出る洒脱なユーモアが時代を超えて愛されている。著書はほかに「旅順入城式」「百鬼園日記帖」「贋作 我輩は猫である」「日没閉門」など多数。1971年没。

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