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【本と名言365】エルザ・スキャパレリ|「ファンタジーは消極性の上には咲かない花だ。」

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March 21, 2024 | Culture, Fashion | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。ココ・シャネルがその才能に嫉妬したというファッションデザイナー、エルザ・スキャパレリ。奇抜なスタイルで時代を牽引したデザイナーが信じていたファッションの力とは。

エルザ・スキャパレリ/ファッションデザイナー

ファンタジーは消極性の上には咲かない花だ。

ココ・シャネルと並んで、パリのオートクチュール界の女王として君臨したエルザ・スキャパレリ。

イタリア・ローマで、学者の父と貴族出身の母のもと裕福な家庭で育った。ロンドンで出会ったケルロル伯爵と10代後半で結婚し、渡米。保守的なヨーロッパとはまったく違う、アメリカの自由な雰囲気がスキャパレリに大きな影響を与えることになった。夫と離婚したスキャパレリは子供を育てるためにファッション業界で働くことに。移住先のフランスでポール・ポワレに才能を見出され、デザイナーとしてのキャリアをスタート。カジュアルウェアに焦点を当てたスタイルで頭角を表し始める。

スキャパレリはダリやコクトー、マン・レイといった友人から多くのインスパイアを受けて、ファッションとアートを融合させたスタイルを確立。幾何学模様の生地を使用したり、「騙し絵」と言われるグラフィカルな表現を試みたりと芸術的な感性で勝負した。同時期に活躍したシャネルが装飾を削ぎ落とした控えめなエレガンスを提示していたのと比べて、スキャパレリはショッキングピンクなどアヴァンギャルドなカラーパレットでファンタジックなファッションを打ち出した。

前衛的なスタイルで多くのファンを獲得したが、時代は戦争に突入。いつ終わるともしれない戦いのためにブティックが休業に追い込まれたスキャパレリはアメリカに渡って赤十字学校に入った。だが、「死」や「病」にはファッションが介入していないと思い知らされた。第二次世界大戦後、スキャパレリはメゾン再建のため、パリに戻る。荒廃した街には圧倒的に素材が不足していたが、諦める理由にはならなかった。

「物資欠乏の時代には、ファンタジーだけが人々を単調な暮らしから救いあげられるものだった。ファンタジーは消極性の上には咲かない花だ」

人々を鼓舞するのはファッションしかないと信じ、女性たちをパリジェンヌらしく見せようと努め、平和な時代の再開を望んだ。スキャパレリは1954年のショーを最後に引退し、ブランドも閉鎖。だが、スキャパレリのメゾンからはピエール・カルダンやジヴァンシィといった有名デザイナーを多数輩出しており、また、2013年からゲストデザイナーとしてクリスチャン・ラクロワを迎え、クチュールブランドとして復活。現在はダニエル・ローズベリーがアーティスティックディレクターに就任し、スキャパレリが遺したファンタジックなスピリットを受け継いでいる。

裕福な家庭で育った幼少時代からポール・ポワレとの出会い、コクトーやダリとの交流など激動の人生を振り返る。『ショッキング・ピンクを生んだ女 私はいかにして伝説のデザイナーになったか』著・エルザ・スキャパレリ 監修:長澤均 訳:赤塚きょう子 ピーヴァインブックス 2,200円

エルザ・スキャパレリ

ファッションデザイナー。1890年イタリア生まれ。1927年よりコレクションを発表し、30年、ブティック「エルザ・スキャパレリ」をオープン。既成概念にとらわれない斬新でアバンギャルドなスタイルで人気を博す。54年のショーを最後に引退。73年、逝去。

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