February 20, 2024 | Architecture, Art, Travel | casabrutus.com
建築写真のトップランナーとして知られるオランダの写真家イワン・バーンの初の回顧展『Iwan Baan: Moments in Architecture』が現在、ドイツの〈ヴィトラ デザイン ミュージアム〉で開催中だ。有名建築家の作品だけではなく、それぞれの建築の背景にあるストーリーまでも写し込む、彼の写真の魅力とは何だろう。
建築のことは何も知らなかった。
イワン・バーンという名前を知らずとも、建築好きならば彼の撮った写真は必ずや見たことがあるはずだ。なぜならザハ・ハディド、SANAA、ヘザウィック・スタジオ等々、当代一流の建築家たちが彼に作品の撮影を依頼し、雑誌や作品集などで広く使用されているからだ。しかし、バーンは決して自身を“建築写真家”とは呼ばない。そのわけは現在開催中の『Iwan Baan: Moments in Architecture』を見るとわかってくる。
彼が建築に関連する写真を撮るようになったのは、2004年、建築関係のイラストレーターの友人を介して、当時撮っていた実験的写真をレム・コールハースに見てもらう機会を得たことがきっかけだった。建築の知識はほとんどなかったバーンに、コールハースは竣工したばかりの作品の写真撮影をいきなり依頼し、それが北京で着工を間近に控えていた〈CCTV本部ビル〉の建築行程を撮る仕事につながった。幾度となく北京を訪れてバーンが撮った写真には、もちろん建設中の工事現場が写っているのだが、そこには現場で暮らしながら工事に携わる人々の営みも写し出されていた。食事をし、休憩時間にゲームをし、そこらで昼寝をし、洗濯物を干す……。
通常なら建物にのみフォーカスするものだが、バーンの写真は建築写真の範疇を超えてドキュメンタリーといえるものだ。実はバーンは大学でドキュメンタリー写真を学んでいるのだが、このような写真をコールハースが初めから期待していたかどうかはわからない。が、コールハース自身がジャーナリストであったことを考えると、バーンにこの仕事を依頼したのは何か意図するところがあったのかもしれない。
時は北京オリンピックが開催される前、北京は空前のスピードで変貌を遂げていた時期だ。至る所で新しいビルが続々と建ち上がり、毎日スカイラインが変わっていく一方で、古い街並みや昔ながらの人々の暮らしが残るという対比に特に魅せられたバーンは、ヘルツォーク&ド・ムーロン設計のオリンピックスタジアムの建築現場も撮り始める。もちろん、周囲の人々の暮らしも。こうして見てみると、写真家として初期の段階から彼のスタイルは定まっていたことがわかる。
建築の背景にストーリーを見つける。
「建築がいいかどうかは関係ありません。その場所の背景にストーリーがあるかないかが私にとっては大切なのです」(イワン・バーン)
そうバーンが言うように、彼の写真にはそこに写っているものだけではなく、その奥に見る者の想像を膨らませる空気感がある。いわゆる建築写真はより正確に建築物を撮ることに重きをおき、垂直・水平を合わせてカッチリ仕上げるのに対し、バーンの写真はなんとも新鮮だったに違いない。コールハース、ヘルツォーク&ド・ムーロンというトップアーキテクトがこぞって依頼したこともあり、建築家たちの間でバーンの名が知れ渡り、世界中の名だたる建築家たちから作品撮影の依頼が殺到するようになるまで、それほど時間はかからなかった。
余談になるが、有名建築家の設計したある企業の自社ビルが竣工する際に、5、6人の写真家に広報用写真の撮影を依頼したことがある。1週間写真家たちは滞在し、好きなように撮影していいという話だった。その中の1人がバーンだったのだが、撮影が終わって、選ばれた写真がほぼ彼のものだけだったという事実を目の当たりにしたことがある。やはり彼の選ぶアングルは特別で、撮る写真は対象となる建築物の本質をついているのだろう。
そうした撮影でも、彼はできるだけ人を入れ込んだショットを撮っている。また、バーンは当該の建物だけでなく、その周りの建物や交通など周囲の環境と共に写す。電信柱や電線、看板が入ることもあるだろう。天気に恵まれないこともある。それが絵的には美しくなくても、ありのままを写す。少なくない建築写真が、建物のみを写し、時には余計なものをフォトショップで消してしまうのとは実に対照的だ。
彼はできるだけ空から写すことでも知られる。ドローンでの撮影が当たり前となった今でも、彼は自分自身が空から実際に見て撮ることをやめない。広い街の中でその建物はどのように存在しているのか、なぜそれは他の場所ではなくここにあるのか、それを確かめたいのだ。
独自のテーマで世界を撮り続ける。
現在も建築家からの依頼で世界中を飛び回るバーンだが、一方で独自のプロジェクトをいくつも進めている。対象になる建物、地域はさまざまだ。ベネズエラでは、建築主の破綻により建設途中で止まってしまった45階建ての高層ビルに違法で住みだしてしまった人々の暮らしを、フィリピンではホームレスの人々が墓地に住む現状を写し出した。
また、イエール大学建築学部のプロジェクトとして参加したのは、メキシコとアメリカの国境地帯のリサーチだ。ドナルド・トランプが大統領だった時代、国境に高いフェンスが次々に建てられていた。のどかに見えるビーチにまでフェンスが続く現実がそこにはある。
バーンが描きたいのは、こうした人々の貧しさではない。どんなに困難な状況にあっても、環境に適応して逞しく生きていく人々の暮らしを、尊敬の念を持って彼は撮影している。行く場所、行く場所、忙しさの中でも時間をとって、知り合いからの伝手を辿って現地の人々とコミュニケーションをとった上で、撮影に臨むという。
ル・コルビュジエが都市計画を行い、多くの建物の設計をしたインドのチャンディガールやオスカー・ニーマイヤーの公共建築が数多く残るブラジルの計画都市ブラジリアでは、現在の姿を写し出している。共にユネスコの世界遺産に認定されているが、その一角で涼をとる人、写真を撮る人……。彼らの暮らしを含めた全てが建築の一つの形であり、写真は建築を保存する一つの方法であるという確信を持っているのだ。
そして今、力を入れているプロジェクトの一つが、近現代に建てられた建造物ではなく、伝統的な住居や住環境をリサーチするプロジェクトだ。たとえばインドの「階段井戸」やエチオピアの「岩窟教会群」など。
西アフリカのブルキナファソでは、同国出身でプリツカー賞を2022年に受賞した建築家フランシス・ケレと共に、身近にある素材で建てられた伝統的家屋に住む人々の暮らしに焦点を当てている。これらのプロジェクトの多くは本として発表しており、建物という軸を通し、言葉だけでは伝わりにくい遠く離れた地に住む人々、その一人一人の生活を雄弁に物語る。
本展では、バーン自身がセレクトした1万4000点から、ここで触れたすべての写真を含む2,000点の写真を、中国でのドキュメンタリー、有名建築、世界各地のプロジェクト、伝統的家屋などに分けて展示。 建築写真家ではなく“建築のストーリーテラー”であるバーンの作品を通して、建築の新たな魅力に触れられるだろう。
田根剛〈ガーデンハウス〉に関する展示も同時期に開催中。
有名建築家による数多の建築物のある〈ヴィトラキャンパス〉に、2023年に仲間入りをした田根剛設計の〈ガーデンハウス〉。その制作の過程をつぶさに紹介した『Tane Garden House』展が、〈ヴィトラ デザイン ミュージアム 〉に隣接する〈ヴィトラ デザイン ミュージアム ギャラリー〉で開催中だ。
2020年、キャンパス内にあるピート・アウドルフ設計の庭〈アウドルフ ガーデン〉を世話する庭師たちの休憩小屋をつくるというこのプロジェクトは、ヴィトラ社名誉会長ロルフ・フェルバウムと田根との密な会話から始まった。なぜ私たちに庭が必要なのか? 地域に根ざす建築とは? 時を経ても古びないデザインとは? 田根が「考古学的リサーチ」と称する、その土地の根源に遡り思考を掘り下げ、トライアル&エラーを繰り返すプロセスは、クライアントとしてヴィトラの全ての建築設計に関わって来たフェルバウムにとっても今までにない経験となったという。
結果、この小屋は、「アウドルフ ガーデンとガーデンハウスは、気候変動に対するヴィトラの意識の高まりを初めて示すものとなるでしょう」(フェルバウム)と語るように、次世代に対するヴィトラ社の姿勢を反映するものとなった。
出来うる限り地域の素材を使い、茅葺きや縄編みなど地域に残る伝統技術を生かし、13人の伝統工芸職人、延べ100人以上の職人たちと試行錯誤を重ねながら建てられた。先々の維持補修を見据え、彼らのほとんどが地元の人々だ。80年代から現代建築の最先端を見せ続けて来た〈ヴィトラキャンパス〉の現段階での最新作が、懐かしさをも感じさせる茅葺き小屋であることの意味と意義を思う。
本展では、田根とフェルバウムの間で交わされたメールに加え、コンセプト形成やボリュームスタディのために作られた数多の模型、職人たちの技巧をとらえた映像が展示され、15平方メートルの小さな小屋が大いなる挑戦であったことがわかる。『Iwan Baan: Moments in Architecture』とあわせて、ぜひ会場に足を運びたい。