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【本と名言365】牧野富太郎|「名なし草などという植物は一本もない。」

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February 20, 2024 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。「日本の植物分類学の父」と呼ばれ、生涯をかけて植物研究に邁進した牧野富太郎。草花を追って日本各地を駆け巡り、多くの功績を残した牧野の、仕事にかける情熱を探る。

牧野富太郎/植物学者

名なし草などという植物は一本もない。

命名した植物は1500種類以上、残した標本は約40万点。文明開化真っただ中の明治時代に、日本における植物分類学の基礎を築き上げ、世界的にも名を馳せる植物学者、牧野富太郎。草花の特徴や構造を正確に描ききった『牧野式植物図』でもよく知られ、美しく緻密な図の数々は美術的側面でも高い評価を得る。牧野の人生をつくりあげたのは、植物への並ならぬ探究心そのものだった。

「私は植物の愛人としてこの世に生まれ来たように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います」

幼い頃から一人で野山を歩いて花を求め、またその先へと歩いた牧野。漢学や儒教にも長け、16歳の時には西洋植物学を記した漢文の学問書を和訳して写本を制作。図版も忠実に模写したことが、彼の植物研究の道を開いた。植物学への飽くなき情熱は留まることを知らず、22歳で東京帝国大学理科大学(現、東京大学理学部)の植物学教室で研究を開始。その4年後に本格的な植物誌を出版し、海外の研究者からも一目置かれる存在となる。

しかし、その研究人生は万事が順風満帆だったわけではない。28歳で植物学教室への出入りを禁じられ、さらに研究に多くの資産を費やしたことで実家が経営破綻。多額の借金を背負うことになる。それでも牧野は植物研究を諦めなかった。「私は立身しようの、出世しようの、名を揚げようの、名誉を得ようの、というような野心は、今日でもその通り何等抱いていなかった」との言葉の通り、どんな苦悩があっても牧野は人生を植物に捧げ続けた。繊細に描かれた植物図には、熱き研究魂が宿る。

牧野の生涯を追いながら、豊富な図版や言葉とともに草花を解説した図鑑。研究当時の植生や、命名の由来も細かに記される。『牧野富太郎の植物図鑑』監修・写真提供:高知県立牧野植物園、植物監修:保谷彰彦(たんぽぽ工房)、三才ブックス1800円/2023年。

まきの・とみたろう

1862年高知県生まれ。植物学者。研究を行いながら、植物知識を一般へ普及するため多くの植物雑誌や図鑑を出版。78歳の時に出版した「牧野日本植物図鑑」は、現在でも研究者や植物愛好家の必携の書になっている。1957年、94歳で逝去。

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