January 12, 2024 | Art, Architecture, Design | casabrutus.com
東京・上野の〈国立西洋美術館〉で開催中(本年3月に京都市京セラ美術館に巡回)の『パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ』は、キュビスムの源泉から、キュビスムの終焉や以後の潮流まで追った意欲的な展覧会です。
『パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ』では、14の章立てで、1906年から1920年代までの「キュビスム」の流れを丹念に紹介しています。キュビスム運動自体は1907年から1914年にかけてジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソを皮切りに展開しましたが、その前段階から展覧会はスタートします。
画家の杉戸洋さんは小学5年のとき、パブロ・ピカソの《ゲルニカ》(1937年)を見て感動したそうです。そもそもキュビスムって何? それってどこから来て、どこへ行ったのか──美術ジャーナリストの鈴木芳雄が、杉戸洋と一緒に展覧会を観ながら、あらためて考えてみました。
鈴木 この展覧会は“キュビスム”を真正面から取り上げる日本での本格的な展覧会としては、およそ50年ぶりだとうたっています。展覧会の冒頭は、セザンヌあたりから始まっています。やっぱりセザンヌはここで出てくるべきなのですね。
杉戸 セザンヌはサント・ヴィクトワール山でも、林檎でも物事を素直に観察を積み重ねていき、自然な流れで無理なく法則を見つけ、到達して描いたのだと思います。理論的な手順が無言に組み込まれていて、理屈抜きでいい絵です。上手かどうか? うーん……なんていうか、初期の作品を見ると不器用だったからこそ突き詰めていけたのかな。
当時、他の画家達がサロンでわいわい美術論を語り合っている中でも、エクス=アン・プロヴァンスには仙人のような画家、セザンヌがいると一目置かれていたのでしょうね。というよりも、そんなセザンヌを超えるためには手っ取り早く別の方法論を見つけなければヤベえって画家たちは焦っていたのではないでしょうか。それがもしかしたらキュビスムだったのではないか……
鈴木 余談ですけど、杉戸さんは1980年、〈ニューヨーク近代美術館(MoMA)〉で全館使って開催された伝説の『ピカソ展』を見ているんですよね? 《ゲルニカ》もそのときご覧になったそうで。
杉戸 ええ、僕が美術館に連れていってもらう歳になり、最初に感動したのはピカソの《ゲルニカ》なんですね。そのときはキュビスムとして観る知識もなく、ただスゴいなぁ、デカいなぁという感動だったんですけど、初めて感動した絵は今考え直すとキュビスムだったのか……。
杉戸 絵画が写実や遠近法から離れて、何か新しい切り口を見つけていくという時代の流れの中で出てきたものが「キュビスム」じゃないかな。まず先に「フォーヴィスム」が始まり、何でもありになってきた頃、世界中から多くの画家がパリに集まり始め、競い合うためにも同じ土俵で何か新しいルールを作った方がやりやすかった。「キュビスム」はその産物じゃないかとも思います。競い合い、盛り上げるために利用した道具だったというか。いきなり西洋人が写実からアフリカ彫刻のような物へと展開しても簡単には世間に認められず、また文化的なバックグラウンドともかけ離れているため、代わりとなる理屈づけが切実に必要でもあったのだと思います。
杉戸 キュビスム運動に乗っかり模索していく中、画家達はこれをさらに越え、次のオリジナリティが現れることを先を見据えて制作していたようにも見える、キュビスムは一時的なものだと知った上で。その前段階のスタート地点ルール、掟みたいなものって言えるかな。そこを通らないといけないもの。なんでもありが怖く、一つの規則を見つけようとしたんでしょう。当時はきっと、基礎デッサンのように1回は通らないといけないものだったんです。誰でも、水疱瘡とか、はしかにかかっておかないといけないように。
はしかのようなムーブメントは一時的なもので、早くそれを越えて自らの道を展開していくべきもの。それを誰よりも早く処理しないといけなかったんじゃないかなと思う。その画家の持つ焦りの心境を感じ取りながら個々の絵を観るのも楽しいし、キュビスムからそれぞれの画家がどう変化していったか、どう抜け出したか──そんなことを、また調べたくなる展覧会だと思います。
杉戸 で、そういうキュビスム運動の代表とされている(パブロ・)ピカソ、(ジョルジュ・)ブラック。最初に立ち上げ、煙を撒き散らしておきながら、ピカソは誰よりも先にスッと抜けるわけですよね。彼は最初から上から見据えているような余裕が感じられます。対して、ブラックはとことんキュビスムを突きつめていく。
そういう意味ではブラックとセザンヌは似てるのかな。理屈を消し去るのに、銀色を使わずして銀色を取り込むことにより抽象の空間が成立する画家同士。でも、あの斜めのタッチが有効的で無理がなく先に来ており、どの画家からも尊敬されるのも分かるし……ブラックがこの展覧会では気の毒に見えて仕方がない。
杉戸 展示を見ていて思うのですが、とりわけ西洋人は一度は通り過ぎないといけなかったとしても、アフリカや東洋人にとっては「キュビスム」のプロセスは必要なかったはずですよね。1920年代以降には日本にも「キュビスム」は入ってきて、ちょっと日本の美術にも影響し始め変わってくる。それがなければもっと幸せな(?)いい絵が生まれていた気がするんですけど。萬鉄五郎や東郷青児はフォーヴィスム、キュビスムを持ち帰り、竹内栖鳳は日本画でありながら、陰影を使う研究をしていき、日本では、美術よりもこの頃から住宅建築の方が西洋風に追いつこうと変化していき、それに合わせるのに日本の画家達は余分な苦労を背負わされ、西洋美術の流れと逆向きになってしまったのが皮肉です。
鈴木 展覧会の個別の絵についてはどうでしたか?
杉戸 キュビスム展だったからなのか、はじめの方にあったアンリ・ルソー《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》はいちばん強く見えましたね。パブロ・ピカソの《女性の胸像》、マリー・ローランサン《アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)》とかも。展覧会の流れに沿って、ナイーブ派の次に出てくるキュビスムの絵の方が、今見ると幼稚な絵に見えてくるのです。でもピカソはやっぱり、次の展開がすでに見えているくらい余裕を持ってますね。次の一手を持って構えているような。
鈴木 「キュビスム」は、20世紀絵画の青春時代。若気の至りでしょうか。でも、通過しないといけないところなら、あえて見てみたいと思います。
杉戸 「キュビスム」がどうしても通過点と思えてしまうのは、空間をごちゃ混ぜにしていくらでもごまかせるからですかね。画家たちは真剣に追求していったんでしょうけど。日本画だとボカし技法を雰囲気で使うようになっていくように。出始めは誰でも取り掛かれ、良し悪しの判断がつきにくいからなのかもしれません。
この展覧会でおさらいしたいのがデュシャン兄弟ですね。マルセル・デュシャンは絵から脱退するけれど、長兄のジャック・ヴィヨン(本名:ガストン・エミール・デュシャン)はキュビスム的絵画を描いている。そして建築家のレイモン・デュシャン=ヴィヨン(本名:ピエール=モーリス=レイモン・デュシャン)は「メゾン・キュビスト」を構想し、キュビスム風の彫刻も作っています。建築の空間を考えると、あ、すでにキュビスムだと。その上でなぜ「キュビスト建築」を作ろうとするのか不思議だけど、建築スケッチの上から馬の動きのデッサンや室内や外壁のためのレリーフの思考が何よりも素直にキュビスムから次へと進む可能性を感じ、(今回の展覧会を見たことで)自分の中で腑に落ちました。
杉戸 さて、「キュビスムは要らなかったのでは?」なんて話までしてしまいましたが、これは極端に話を振ってみただけです。20世紀以降の美術を鑑賞するためにもキュビスムのことはもちろん知っておかないといけないムーブメントでしたし、展示を見終えキュビスムを「空間の再構成」という見方で考え直すと、同時期の近代日本画と照らし合わせてみたくなりました。家に帰り土田麦僊(ばくせん)の画集を引っ張り出してみると、その足で『京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち』をやっている〈京都国立近代美術館〉へと直行したんです。