December 15, 2016 | Architecture | a wall newspaper | editor & text_Sawako Akune
多方面から大きな信頼を寄せられながら、57歳の若さで急逝した建築家・小嶋一浩。彼が探し続けたものとは。
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こじまかずひろ 1958年大阪府生まれ。東京大学大学院博士課程在学中〈シーラカンス〉を設立。CAt(シーラカンスアンドアソシエイツ トウキョウ)に改組し、パートナーを務める。2005年〜11年東京理科大学、11年より横浜国立大学建築都市スクール(Y-GSA)で教授を務めた。食道がんにより2016年10月13日逝去。
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そこに過ごす人々に寄り添ってその活動を分析し、それがさらに活発で楽しいものになる場を考えて“建築”の形に落とし込む。形から入るつくり方とはまるで違う、明快な理論と哲学に支えられた作品群は、同じ建築家たちからも絶大な支持を得てきた。より多くの人々が訪れることのできる作品が増えてきていた矢先であるだけに、喪失感は大きい。小嶋亡き後の事務所を率いていく赤松佳珠子やスタッフたちはもとより、薫陶を受けた学生、刺激を受けた建築家たちの中で、失われた大きな存在は息づいていくと信じたい。
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小嶋さんの建築は、いつも人が主役だった。学校を大喜びで駆け回る子供たちが、誰よりもそのことをわかっていたと思う。その人に向ける温かい眼差しが従来の画一的な学校を壊し、街を変え、そして建築界を牽引してきた。僕自身にとっても、最も身近で偉大な先輩だった。今なお悔しく、そして悲しい。合掌。
乾 久美子 -建築家-
小嶋さんの試みはすべて本質的で骨太でした。小嶋さんが何かを提案するたびに新しい未来を見る気がし、その未来がやってくるスピードにドギマギしました。小嶋さんを失うことで未来の可能性はしぼんでしまったかのようです。残された者がもう一度、可能性を押し広げることができるのかが問われていると思います。
平田晃久 -建築家-
小嶋さんは僕たちの精神的支柱だった。多層的な視点で建築を語る稀有な人がその場にいるだけで、自由で艶やかな空気が生まれた。アクティビティーや流れが建築をつくる明快な建築思想もすごいが、理性的には語れない色気のようなものもあった。喪失感は計り知れないけれど、残されたものを引き継いで行きたい。