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【本と名言365】北大路魯山人|「本当によい料理を作るには、…」

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November 18, 2023 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。稀代の美食家が生涯をかけて追求した、料理と器の関係性。そこには料理を美食の高みへと引き上げる、“美感”の哲学があった。

北大路魯山人/美食家、芸術家

本当によい料理を作るには、どうしてもよい食器美術を必要とするわけです。

ご存知の通り、北大路魯山人は稀代の美食家であり、芸術家である。10代で書家として名を上げ、画家、彫刻家としても道を極めた後、38歳で会員制食堂「美食倶楽部」を開業。その4年後には伝説の会員制料亭「星岡茶寮」の顧問に就任し、財界人らがこぞって集う店として繁盛させた。魯山人は自ら料理を振る舞い、それだけでは飽き足らず、食器も作り始める。料理に開眼したのは、不遇の幼少時代、養子として引き取られた木版師の家庭で6歳の頃から煮炊きをしていたことがきっかけであり、料理も陶芸も全くの独学である。並外れた探求心と向学心、そして無二の審美眼で名を馳せた、時代の異端児だ。

織部や備前、志野、信楽、黄瀬戸など、日本各地の古窯を貪欲に学び、伝統にとらわれず大胆な発想でかつて見たことのない景色の器を生み出した。その数は生涯で約20,000点とも。たとえば魯山人の代名詞である織部は、代々使われてきた地元・美濃の土ではなく、より粘りのある志野の土を起用することで、緑釉がひときわ深みを増し、あの光り輝くように鮮やかな緑が誕生したという。後世の作り手たちにも多大な影響を及ぼした、新たな織部の表現だ。

彼が遺した「食器は料理のキモノ」(「春夏秋冬 料理王国」)という有名な言葉が表すように、魯山人は「料理とは美と味の調和を楽しむもの」と語り、その理想を叶えるため作陶に勤しんだ。贅沢なだけの料理などは野暮。いろどりや盛り付け、取り合わせ、材料の良し悪しすべてがみな「美」と深い関連性を持っており、こうした一つ一つの風情を楽しめて、初めて一人前の「食道楽」となり得るのだと。

「料理において尊ぶ美感というものは、絵とか建築とか、天然の美というものと全く同じであります」

あの国民的グルメ漫画の名物キャラクターのモデルにもなり、横柄でクセのある人柄は多くの逸話を残しているが、こと器に関しては料理人に愛され続ける存在だ。盛り付けることでより料理が映え、器もさらに美しさを増す。大胆な造形や文様が施された器も、間合いを見極めながら盛り付ければ、料理と器が調和し、一つの景色が完成する。魯山人自身が料理人であり、美の探求に人生を捧げた稀代の食いしん坊だったからこそ、使い手の心をくすぐるのだろう。

料理生活70年の体験をもとに、食材への徹底したこだわりや料理法、接客の心得など、自身の料理哲学をまとめた最晩年の一冊。1960年に淡交新社より刊行された原本の文庫版。『春夏秋冬 料理王国』ちくま文庫/2010年 710円

きたおおじ・ろさんじん

1883年、京都府に生まれる。本名・房次郎。生後間もなく里子に出され、各所を転々とする不遇な幼少期を送る。養子先で6歳から炊事を担当し、料理の感性が磨かれていく。書家・画家・篆刻家として名を高めたのち、資産家らとの交流により美食や骨董への見識を深め、1921年に会員制食堂「美食倶楽部」を発足。自身で料理を手がけ、食器を自作するようになる。1925年、永田町で伝説の会員制高級料亭「星岡茶寮」を借り受け、顧問に就任。1927年、鎌倉に「星岡窯」を開き本格的に作陶をスタートする。生涯20,000点とも言われる器を遺す。1959年、肝硬変により死去。享年76。

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