November 8, 2023 | Art, Architecture, Travel | casabrutus.com
その多才な活動ゆえにもしかしたら知らない読者もいるかもしれないが、現代美術作家の杉本博司の創作活動の原点は写真である。50年前、新人、杉本の「ジオラマ」シリーズ2点が〈ニューヨーク近代美術館〉にコレクションされた。以後、「劇場」「海景」「建築」などなど、写真史に残る名作を生み出してきた。写真各シリーズを網羅した展覧会『Hiroshi Sugimoto: Time Machine』がロンドンで始まっている。
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杉本博司の写真作品にテーマを絞った展覧会『Hiroshi Sugimoto: Time Machine』が英国ロンドンの〈ヘイワード・ギャラリー〉で始まっている。立体作品、書、建築や作庭、古典芸能のプロデュース、ストーリーを立てたインスタレーションなど様々な分野に渡って活動し、それぞれで高い評価を受けている杉本。しかし、あらためて明記しておくが、彼の創作活動の原点は写真である。
無名だった杉本が初めて作品を売ったのは〈ニューヨーク近代美術館〉、それも写真の世界では今や伝説となっているキュレーター、ジョン・シャーカフスキーの目に留まっての買い上げだった。そんなスタート自体が並のアーティストとは格が違うと思えるのだが、その購入された一点がニューヨークの〈アメリカ自然史博物館〉のジオラマを撮影した《Polar Bear》だ。この展覧会もそのあたりから始まる。
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杉本が日本の大学を卒業したのは1970年。美術大学ではなく、一般大学の経済学部だ。内部進学のため浪人もせず、留年もしなかったので最短の道のり。ただ、大学紛争の時代の世。ミッション系で良家の子女が通う大学ではあったが、大学として通常には機能せず、ほとんど授業もなく、卒業証書も郵送で届いたという。杉本は大学を卒業するにあたって決めていたことが2つあった。一つは就職はしない。もう一つは家業は継がない。というわけで、ロサンゼルスのアートスクールに留学することになる。
アートスクールでは写真を専攻することにした。その理由も2つだ。一つはもともと鉄道マニアだった杉本少年は写真の技術をすでに身につけていたこと。もう一つは当時、アートの世界では写真というメディアは、いわば二流市民という扱いを受けていただけに、そこにチャンスがあると踏んだ。自分がこれを一流に格上げしてやろうという野心である。
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展覧会オープン前日のプレス内覧会では杉本はこんなふうに語って、賛同と笑いを誘っていた。
「50年前、アートの世界では二流市民扱いだった写真は今やロイヤルファミリーのように扱われている」
さて、本展のタイトルは『Hiroshi Sugimoto: Time Machine』。これにはいくつかの意味が重ねられている。杉本のおよそ半世紀に及ぶ仕事をタイムマシーンに乗って見に行こうという意図。回顧展のようになっているからだ。そしてもう一つの意味は杉本の写真は時空を超える乗り物、つまりタイムマシーンのような役割を果たしてくれるということ。
たとえば、「ジオラマ」シリーズでは猿人たちが生きていた時代だって撮影しているし、われわれは化石でしか見ることができない古生物が生き生きと活動する水中だって見ることができるのだ。「海景」では時代、時間の概念は消え失せる。昨日見た海だと言えばそうかもしれないし、古代人が見た海だと言えば、それはそうとも言える。「劇場」では映画が描いた一つのドラマの時間、それは数十年の間のある国家の興亡であったり、誰かの人生だったり、あるカップルの過ごした何年かの時間かもしれないが、そんな様々な、長さもいろいろの映画が描く時間をたった1枚の写真に封じ込めているのだ。
展示の動線の順で見ていこう。それは発表された順でもある。ただ、シリーズが増えるにつれ、作品は同時に制作されていく。初期から手がけていた「ジオラマ」「劇場」「海景」の撮影は近年でも時折、行われている。
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まずはジオラマだ。これはニューヨークの〈アメリカ自然史博物館〉をはじめとしていくつかの博物館のジオラマを撮影したもの。《Polar Bear》(シロクマ)の他に、《Hyena - Jackal - Vulture》(ハイエナ、ジャッカル、ハゲワシ)やアウストラロピテクスのカップル《Earliest Human Relatives》(最古の人類)、この時期、〈渋谷区立松濤美術館〉で開催中の『本歌取り 東下り』では掛け軸にして展示している《California Condor》(カリフォルニア・コンドル)も。この「ジオラマ」、当初は「Still Life」というシリーズ名だった。「静物」ということと、剥製だから死んでいるが、「じっとして生きている」のダブルミーニングかもしれない。
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次は「劇場」のエリア。4つのカテゴリーに分けられ、4作品ずつ4つの空間に収まる。まずはアメリカ東部のアールデコの美しい映画館3つとハリウッドのシネラマドーム。次には廃墟となった劇場にスクリーンを張り、撮影したシリーズ4点、その次はドライブインシアター4点。そして、イタリアのオペラ劇場3点、パリのオペラ座が収まる。
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映画1本上映する間、大判カメラのシャッターを開き、スクリーンに投影された光がフィルムを感光させる。結果、スクリーンは白く飛び、照り返しで映画館や劇場のディテールを描き出す。写真から発達した映画を再び写真に封じ込めるというレトリックもいかにも杉本らしい。カメラはすべてのシーンを“見た”ことになるが、結果、いずれのシーンも捉えていない。
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次は肖像画のシリーズだ。ロンドンでの展覧会ということで、英国やアイルランドゆかりの人々の肖像画が多く並ぶ。《Henry VIII》(ヘンリー8世)と妻の一人《Anne Boleyn》(アン・ブーリン)がいるし、《Oscar Wilde》(オスカー・ワイルド)も。《Elizabeth II》(エリザベス女王)、《Diana, Princess of Wales》ら12名。蝋人形をまるで生身の人間のように撮るという意味では「ジオラマ」と近い。
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ピントが合っていない。つまり焦点という点では鮮明度を欠く建築写真。これは大判カメラが指し示す無限遠の位置のレンズボードを理論的にその倍の位置にレンズを置いて撮影している。つまり無限遠の2倍に焦点? いや、無限遠は何倍しても無限遠でしょう。それはピントは合うはずがない。しかし、そういう遊びをして建築を撮影したら、「ちょっとピンボケ」じゃなく「そこそこピンボケ」の建築写真が出来上がった。おかげで、写ってほしくないもの、たとえば電線とか、見学者向け案内などは融けて消えてしまった。そして、杉本はこうも説明する。建築家がその建築物を発想したとき、彼の頭の中に漠然と浮かんできた建物の状態はこのようなものだったのではないだろうか、と。
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数理模型は数式が表す形を実際の物体にして可視化させたものである。それを撮影した「CONCEPTUAL FORMS」(観念の形)。立体作品も展示されている。また、太陽の光をプリズムで分光し、取り出した七色(西洋人は六色とも)をポラロイドカメラで撮影し、それを大きく引き伸ばした「OPTICKS」シリーズ。これは英国の物理学者アイザック・ニュートンの発見がもとになっているので英国での本展では重要である。自然光の入る部屋で見ることができるのがいい。さらに暗室で高圧電流をスパークさせ描く「LIGHTNING FIELDS」シリーズ。これはレンズによって像を結ばせる、一般的な写真からは離れるが、これもphotograph=光の画なのである。
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大きな部屋の片側に昼の海景が5点、夜の海景が5点掛けられているが、そこには入れ子状にもう一つ部屋があり、その中に入ると、蓮華王院三十三間堂の中尊と千体仏がずらりと並んでいるという圧巻の展示となっていた。これは三十三間堂の仏像群を日の出の太陽が照らすその光だけで撮影したものである。後白河上皇が、平清盛が見たのはこんな光景であっただろうかと。杉本のタイムマシーンにわれわれは乗せられているのだろうか。
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もう一つ、展示室とも言えないところに「CHAMBER OF HORRORS」(恐怖の館)シリーズが。拷問や処刑の場面を蝋人形や実際の器具を使って再現した場面があり、それを撮影したものだ。
以上は「OPTICKS」シリーズを除いて、伝統的な銀塩写真という技法で作られている。かつて主流で、しかし現代ではすでにほとんど事実上絶滅してしまった技術。杉本はその技法を高いレベルで完成させ、写真を一流の芸術に高めることに成功した第一人者として、美術史にその名を刻まれるだろう。
なお、本展は来年3月〜6月、中国、北京の〈ユーレンス現代芸術センター〉と8月〜10月、オーストラリアの〈シドニー現代美術館〉に巡回する。会場の規模が異なるので、出品作品は毎回、増減、入れ替えが行われる模様。