September 25, 2023 | Art
「日本画」という言葉が生まれたのは明治になってから。その日本画がどう進化してきたのかを検証する展覧会が開かれています。出品者の一人で7月に公開制作を行った山本基に聞きました。
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明治政府のお雇い外国人であり、東京美術学校(東京藝術大学美術学部の前身)の設立にも関わったアーネスト・フェノロサは日本で見た絵画を「ジャパニーズ・ペインティング」と呼んだ。その和訳が「日本画」だ。
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以来約150年、「日本画」はさまざまに進化してきた。〈ポーラ美術館〉で開かれている『シン・ジャパニーズ・ペインティング 革新の日本画』展は明治以降の日本画と、その遺伝子を受け継ぐアーティストの作品を対置するもの。日本画の流れを概観するとともに、あらためて「日本画とは何か」を問う。
展覧会は5章構成。現代の作家を集めた第4章には三瀬夏之介、杉本博司、蔡國強ら主に戦後生まれの作家が登場する。そのうちの一人、山本基は塩を主要な素材の一つとする作家だ。ジェットオイラー(油さし)に入れた塩を振り出して、迷宮や波のしぶきのような模様を描く。今回の展示作品は渦巻きがモチーフになっている。
「私がこういった作品を作るようになったのは若くして亡くなった妹がきっかけでした。妹とは仲がよくて、冷蔵庫にしまっておいたプリン食べちゃったでしょ、とか、ちょっとした勘違いで笑ったりしていた。そんな日常の積み重ねがその人との関係を作っていくのだと思う。渦巻きは一つ一つが大きな思い出ではなく、ささいな記憶や見逃してしまうかもしれない日常の連なりなんです」
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塩を使うようになったのは法要での清めの塩からヒントを得たもの。この塩による作品には、迷宮や蝶を描いたものもある。
「思い出ともう一度出会いたい。大切な人との思い出を忘れないためにつくっています」
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近年の山本の作品では吸い込まれるような青の色が印象的だ。
「数年前に妻が病気で亡くなる前、娘に『お母さんは空の上にいるからね』というメッセージを残していった。青はその空の色です」
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山本は塩の「色」が好きだという。
「塩は無色透明の立方体です。それが重なり合って光を乱反射することで、白く見える。自分の気持ちを吸い取ってくれる、受け止めてくれるような奥行きのあるきれいな色だと思います」
塩は高湿度では溶けてしまう物質だ。
「塩ってコントロールしにくい素材なんです。そこに魅力を感じている。あるとき塩の作品を半分まで作って、用事があったので数日そのままにしておいたら池のように溶けてしまったこともありました。私は自らに“一発描き”、描き直さないというルールを課しています。それは思い通りにならないものと向き合っている自分を忘れたくないから。病気や命など、いくら望んでもその通りにならないこともある、そのことを意識していたい」
2006年からは展示終了後、作品を壊して塩を集め、「海に還るプロジェクト」を始めた。山本は海外で現地制作することもあるが、使っている塩は粒の揃った描きやすいタイプなのだという。
「海は世界中でつながっていますから」
海から採れた塩で渦巻きや迷宮を描き、その塩をまた海に還す。山本の作品も私たちもそんなサイクルの中にいるのだ。
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