October 25, 2018 | Design, Architecture, Art | casabrutus.com | text_Housekeeper
開催中の「DESIGNART TOKYO 2018」。そのフィーチャー作品をアーティストの藤元明と建築家の永山祐子が担当している。南青山の〈エイベックスビル〉に現れた、巨大な「2021」の文字。そこに込められた問いかけの意図を二人に聞きました。
表参道や外苑前、渋谷、中目黒、六本木など東京全体を一つの会場に約120もの作品を展開しているデザインとアートの祭典「DESIGNART TOKYO 2018」。そのフィーチャー作品として藤元明と永山祐子が製作した《2021#Tokyo Scope》は、そもそも2016年から藤元が進めている、アートプロジェクト「2021」に連なるものだ。
アーティスト・藤元明(以下、藤元) これまで数々のオリンピックで、開催に向けて国全体が集中していって、その後急激にしぼんでいく、という社会現象を私たちはみてきました。2020年、2度目の東京五輪で「同じことを繰り返しちゃダメだよね」「自分たちのこととして向き合ったほうがいいんじゃない?」という問題提起から生まれたのが「2021」プロジェクトです。「2020」に関していろんな問題が顕在化している一方で、「しょうがないんじゃない、オリンピックだし」みたいな空気感ってあるじゃないですか。それに対して、数字の持つシンボル性の強さを逆手にとってしまおうという意図です。
これまでのプロジェクトでは、「2021」の形をした木製のモニュメントが、様々な場所に設置されてきた。新国立競技場建設予定地である千駄ヶ谷。渡航客が空から見ることを想定した、羽田近く、京浜島のスタジオの屋上。福島県いわき市の岩間海岸防波堤建設現場。設置される土地の持つ意味と「2021」という数字が持つ意味との衝突によって、見るものに対して問いかけがなされる。しかし今回は、私生活では妻でもある建築家の永山祐子と手を組んだことで、プロジェクトに新たな広がりが生まれた。
建築家・永山祐子(以下、永山) 今回、私が参加するにあたって、「2021」という“時間軸”が基点となっているプロジェクトに、“都市”的な観点を加えられないか、と思いました。ただモニュメントが置かれる南青山が持つ意味合いだけではなくて、もっと東京全体に伸びていく、都市を貫く軸線を意識させることができるのではないかと。オリンピックに向けて東京という街がどんどん変わりつつある中で、都市全体をどうしていくべきなのかということは、誰しもが考えなくてはいけないよね、と共有していくための投げかけです。
1964年東京五輪の際、その“狂騒劇”的な側面に異を唱えたアーティストの一人に、岡本太郎がいる。岡本もまた、1964年を前に前に、雑誌「総合」で1957年、建築家の丹下健三・磯崎新と協働して、「いこい島」構想という都市論を展開した。丹下自身も、同時期に「東京計画1960」を発表している。
永山 丹下健三が「東京計画1960」で構想した、皇居から木更津を結ぶ軸線のことは、やっぱり最初に思い浮かびました。時代ごとに都市が変わりゆく中で、誰かが何らかの軸線を引いている。都市に対して意識を向かわせるための、一つのアクションですよね。今回、青山通りの路上から〈エイベックスビル〉内を通って、その向こう側まで、地面に赤いラインを引いています。この軸線は、北西側では明治神宮外苑地区や新国立競技場のある、1964年東京五輪のレガシーが残るゾーンに、南東側では、シンボリックな〈六本木ヒルズ〉、さらにその先にこれから大きく変化していく豊洲のベイゾーンに向かっている。青山という土地、この〈エイベックスビル〉が潜在的に持っている、都市の軸線を顕在化させたわけです。また、この赤いラインに沿う形で、バルーンの後部を、円錐状にしています。東京の持つ一つの都市軸の焦点となる位置を、あのバルーンが担っているんです。エントランスの大きなアトリウムを占拠する巨大なバルーン。そのバルーンに映り込む周囲の景色を見て、観客が何を思うのか。そうした投げかけをすることが、あのバルーンの形状の狙いです。
藤元 もともとこのプロジェクトは、僕の個人的な作品ということだけではなく、色々な人と協業して展開させていくものとして動き出しました。日比野克彦さん、アンドレア・ポンピリオさんをはじめ、それぞれの識者たちに2021年以降の未来について語ってもらう、「2021#inteviews」という企画も続いています。今回はこうして彼女とやらせてもらって、僕以上にダイナミズムを持ったやり方で、深度のある、強い作品が実現したと思います。「2021」というプロジェクトと、この南青山という土地の持つ意味と、「DESIGNART」というイベントの持つ意味との組み合わせの中で、これしかないというものに行き着きました。
永山がポイントを置いたのは、「2021」が内包する概念を、老若男女、子供からお年寄りまで、フィジカルに体感できるようにすることだった。
永山 「2021」の前提となっている2020年東京五輪について考えるとき、私たち建築家には、何というか、うまくコミットできていない苦さみたいなものがあると思うんです。世界的にもとっても優秀な日本のゼネコンの設計施工によって都市が変わっていく一方で、1960年に丹下健三が行ったような形で、一人の建築家が大胆な未来像を描くということは、あまりなくなっている。だからこそ、2020年のその先を作っていくために、今何をするのか。どんなことを見る人に対して問いかけるのか。そうしたテーマを持って、今回参加しました。メイン会場を持たずに、都市全体で展開していくこの「DESIGNART」で、なるべく万人に届くような大きな射程を持って、アクションを起こしたい、と。……まぁ、彼からすると「そんなに単純化したらアートじゃない」というところもあると思うんですが(笑)。
藤元 基本的にアートの場合は、わかりやすく万人に届くようにすることを目的としていないし、現代美術の価値観は見た目だけではありません。“デザインとアートの垣根がなくなって来ているね”とよく言われますが、本質的に目的が違うと思います。これは、僕が「DESIGNART」に関して、ベーシックなところで同意しているからこそ、あえて言うことです。現代におけるアートって、日本では超マイノリティなんです。世間的に“理解できないもの”という認識が根深くて、協力的な状況を得ることが少ない。それは、アートの側が“わかるやつだけわかればいい”と思っている側面もあります。そうして制作を続けるのが苦しくなって、ほとんどの人がやめてしまう。だからこそ、今回の「DESIGNART」では誰しもが理解しやすいような、けれども大胆な形で、「2021」をデザインしています。
藤元によれば、これだけの規模で開催するためのソリューションに関して、永山の手腕は「超ド級だった。ほんとびっくり」と。
永山 正直なところ、予算が全然足りていなかった。なので、いろんな形で協力をお願いして、有難いことに様々な方々に協賛、協力をいただき、実現にこぎつけました。それに加えて、実際に製作する人も見つけなければならない。これだけ大きなバルーンをこの予算で作ることは国内では難しい。そこでネットでサプライヤーを検索し、中国広州に鏡面バルーンを作れる会社が何社かあることを突き止めました。以前付き合いのあった中国在住の方にも協力をお願いして、可能性のある2社に連絡を取り、本当に作れるのか不安だったので現地に飛び工場視察に行くことにしました。事前に、過去の製作例をもらったら、2つの会社から同じ画像が送られてくるというトラブルもあって(笑)。
藤元 僕は現地で、メイド・イン・チャイナのすごさを感じましたね。2社のうちの1社は、20代そこそこの人たちが、友達たちと「やっちゃおうよ!」みたいな感じで。
永山 船便で送ることも考慮すると時間が迫っていて向こうに行って、その場で会社を決めて、その場で契約、送金、着金、OK、というスピード感でした。かなりの大博打でした。本当に作れるのかな、開催までにきちんと届くかな、穴は開いていないか、と完成間際まで不安が尽きませんでした。
藤元 この作品は、さらに〈エイベックスビル〉の向こう正面に見える〈六本木ヒルズ〉へと展開しています。自然電力グループの協力によって、福島県の太陽光発電所で発電した電気を、バッテリーに蓄電し、その電力を使って森タワーの展望室の窓面に〈エイベックスビル〉の正面と同じサイズの「2021」をプロジェクションしました。永山が都市へとコンセプトを広げたことで、生まれた展開です。会場のエスカレーターを上がったところに記録映像を公開しているので、是非見て頂きたいです。
「2021」プロジェクトは、「DESIGNART」以降にも大きな動きを予定している。
藤元 来年の2019年夏には、とある解体前のビルで、その後建て替えるビルのエリアマネージメントを踏まえて「2021」を起点としたアート、建築のイベントを開催予定です。「2021」は、当初はネガティブな意識から始まったプロジェクトでした。スタジアムやロゴの問題などが出て来て、“そういうことじゃなくてさ”、という思いが強かった。けれど、インタビューなどを行って様々な角度の情報が集まってきたこと、その中で時代が変わりつつあるのを実感してきたことで、必ずしも悲観することばかりではないと思っています。まだ結実はしていないですが、やっぱり世代交代は進んできている。2年前にプロジェクトを始めた頃と比べて、反応も変わってきました。以前は「なんで2020じゃないの?」という声が大半でしたが、共感してくれる人も増えてきている。エリアマネージメントの件も、その一つです。そうした社会との接点に、現代美術の役割が広がってきているように感じています。
巨大な「2021」を前にして何を感じ、未来の都市に対して何を思い描き、いまどんな行動を起こすのか。都市に生きる全ての人に対して、問いが投げかけられている。