May 2, 2018 | Architecture, Design | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
千利休の茶室、幻の名作住宅が精密な模型で甦り、映像インスタレーションで本物を仮想体験できる。圧倒的な量とリアルな展示で日本建築のDNAを探る『建築の日本:その遺伝子のもたらすもの』が開幕しました。

安藤忠雄、伊東豊雄、SANAA、坂茂、谷口吉生ら、世界中から熱い視線を集める日本の現代建築。本展は日本建築に関する400点以上の資料を9つのセクションに分けて見せている。サブタイトルの「遺伝子」という言葉は日本の建築の技術やデザインがどのように受け継がれ、進歩してきたかを分析することを指す。
「江戸時代までは大工が建物の形を考え、施工していたわけで、設計のみを業務とする建築家という職能はありませんでした。それがわずか150年で世界に知られるようになったのはなぜなのか。そこには建築の“遺伝子”が重要な働きをしているのでは? と考えたんです」と企画チームの一人、建築史家の倉方俊輔は言う。


展覧会は木造建築に着目したセクションから始まる。会場に入ると目の前に木を組み上げた壁がそびえ立つ。北川原温が2015年のミラノ国際博覧会で制作した「立体木格子」だ。高さ5.3メートルの木の壁は釘を使わず、2つの木材がぴったり噛みあうように切り欠く「相欠き(あいかき)つぎ」という方法で組み合わされている。切り欠いた木材は4種類、特殊な技能がなくても組み立てることができる。


木は日本人にとって馴染みの深い材料だ。鉄やコンクリートに比べると強度や耐火性に劣るとされてきたが、さまざまな技術開発でそれらの欠点を克服できるようになってきた。いにしえの知恵に学ぶこともたくさんある。磯崎新の高層ビル計画は東大寺南大門にヒントを得たものだ。木造高層建築の模型は古建築の構造を応用したもの。


出雲大社の模型は高さ48m説に基づいて作られた、 “日本のピラミッド”と言いたくなる大物。以前から巨大建造物だった、という伝承はあったが、2000年に直径3mもある「宇豆柱(うずばしら)」と呼ばれる柱や最大で直径6mにもなる柱穴が出土、その伝承が本物である可能性が高まった。木造による大型建築も夢ではないのだ。


「安らかなる屋根」と題されたセクションでは、日本建築の特徴の一つと言われる屋根にフォーカスをあてる。屋根には強い日差しや雨風から人や建物を守るという重要な機能がある。また屋根は、その下に集う人のつながりを作るという象徴的な役割も持っている。

丹下健三の〈東京オリンピック国立屋内総合競技場〉の大屋根はオリンピックのために世界中から集う人々の一体感を演出した。小さな屋根が連なるSANAAの近作は個人や家族がゆるやかな共同体としてつながる様子を想起させる。

重機や機械で作られるイメージのある建築と、手仕事による工芸は一見、相反するもののように見える。〈蟻鱒鳶ル〉(ありますとんびる)は岡啓輔がセルフビルドしている鉄筋コンクリートのビル。木造の小屋などではなく、コンクリート建築を自作しているのは珍しい。着工からすでに10年以上が経過したがまだ工事中、「三田のガウディ」などと呼ばれている。彼は自作が「建築としての工芸」のセクションで紹介されると聞いて最初は疑問に思った。が、ある人が「工芸とは素材と向き合うことと、人の用に足ることの二つの条件を満たすものだ」というのを聞いて納得したのだそう。その観点から見れば、確かに共通点はある。それに通常の建築でも職人が手作りしている部分は少なくない。

展示物の、木の板だけでなくプラスチックの波板などを使った〈蟻鱒鳶ル〉の型枠は実に工芸的だ。〈日生劇場〉は波がうねるような三次元曲面の天井にアコヤ貝を貼った、巨大な宝飾品とでも言うべき建築。モダニズム建築ファンの間では特に評価が高い。モニターにはヘラなどを使って自ら模型を削り出す村野藤吾の写真が映し出される。まさに工芸の職人のような手つきに驚かされる。


黒川紀章が1970年の大阪万博で設計した〈東芝IHI館〉は設計図がすさまじい。組み立て・分解・運搬のしやすさを考慮して作られた三角錐の四面体ピース「1476基」をどのように組み上げるかがびっしりと描き込まれている。当時のことだから、もちろん手書きだ。このセクションに展示されている建築だけでなく、他のものでも建築家や職人の緻密な技から作り上げられていることを実感できる。


工芸としての建築の究極の姿を堪能できるのが、国宝の茶室《待庵》の原寸大再現だ。《待庵》は現存する日本最古の茶室建築であり、千利休の作と目される名作である。今回のレプリカは埼玉にある「ものつくり大学」の職員・学生が制作にあたった。できるだけオリジナルと同じ材料を使い、千利休の時代に倣って手作りでつくられている。小さな釘でさえ鉄を叩いて作るところから始めた力作だ。


展示されている《待庵》は、躙り口(にじりぐち)から中に入ることもできる。本物の《待庵》の見学は要予約、それも外側からの見学になり、中に入ることはできない。展覧会監修者、藤森照信が「炉の位置、床の間、腰壁に貼られた紙、障子とそこからの光、どれをとってもあきれるほどよくできている」と感嘆する内部空間をじっくりと味わってほしい。

ここまでの展示で充実した資料の数々につい引き込まれてしまうが、実はまだ道半ばだ。ここでちょっと休憩して後半戦に備えたい。この展示では改修中の丹下健三設計の〈香川県庁舎〉(1958年)から特別に、名作家具の数々が貸し出されているのだ。間仕切りを兼ねる棚はシャルロット・ペリアンのものを参考に丹下健三がデザインしたもの。同じく丹下健三デザインの《マガジンラック付きベンチ》や長大作・剣持勇らがデザインした椅子には実際に座れる。名作椅子の座り心地を確かめるチャンスだ。

「ブックラウンジ」で英気を養ったら、齋藤精一+ライゾマティクス・アーキテクチャーの《パワー・オブ・スケール》を体験しに行こう。これはレーザーファイバーと映像で黒川紀章の〈中銀カプセルタワー〉や〈同潤会青山アパート〉藤森照信〈高過庵〉などの名建築を原寸で再現するもの。中に入ることができるので、あたかもその空間を訪れたかのような気分になれる。実際の建物のスケールを体感できる展示だ。




少し先の展示室にはフランク・ロイド・ライトの〈帝国ホテル〉をヴァーチャル・リアリティで再現したコンピュータ・グラフィックスが投影されている。浮世絵のコレクターでもあったライトが日本に残した傑作だが、約50年前に解体され、一部が〈明治村〉に保存されるのみだ。再現映像は「帝国ホテル・ライト館VR再現プロジェクト」チームによるもの。実測図面や明治村に残る中央玄関の三次元計測などからかつての姿を甦らせた。実際に中を歩いて行くとどんな感じだったのかを、よりリアルに想像することができる。

「連なる空間」のセクションでは、内外のあいまいな日本建築の特質に注目する。石の壁で建築を作るヨーロッパの伝統に対して、木の柱・梁で空間を構成する日本建築が生み出した空間構成だ。壁には紙を使うことすらある。こうすることで外部の自然を巧みに取り込み、実際の広さを超えた豊かさを得られる。

3分の1サイズで再現された〈丹下健三自邸〉は柱で持ち上げられたピロティなど、ル・コルビュジエの影響が伺える傑作だ。この模型は小田原の林業組合や宮大工から成るNPO法人「おだわら名工舎」が本物と同じ作り方で作っている。本物では細い柱の間には障子やガラスがはめられ、開け放せば風が自由に通ったことだろう。
「連なる空間」には源氏物語絵巻の模写とともに平安京の貴族の邸宅として発展した「寝殿造」の模型も展示されている。柱・梁で構成され、御簾や屏風などのしつらえで自由に空間を構成することができる建物だ。ル・コルビュジエの「近代建築の5原則」の一つ、「自由な平面」を千年も前に先取りしていたと言える。

経済状況の変化や阪神・東日本の二つの大震災の影響もあり、集まって住むこと、コミュニティの形成において建築家がどのような役割を果たすかに近年、ますます注目が集まっている。「集まって生きる形」のセクションでは30年近い年月をかけてゆっくりと成長していった槇文彦設計の〈ヒルサイドテラス〉や成瀬・猪熊建築設計事務所の新築のシェアハウス〈LT城西〉が並ぶ。

「集まって生きる形」のセクションには藁と木で作ったシャルロット・ペリアンの《折り畳み式寝台とクッション》が展示されている。これは戦前に彼女が来日した際、柳宗悦の紹介で山形県の〈旧農林省積雪地方農村経済調査所〉を訪れ、東北の職人たちとのコラボレーションによって製作されたものだ。この調査所は雪害対策のために設立されたもの。今和次郎は農村に適した住居の研究を、中谷宇吉郎が雪の研究をするなどしていた。柳宗悦は雪のため農作業ができなくなる農民の副業指導に関わる。ペリアンの椅子はデザインや建築が経済的な側面から人を支援することができないかを模索した結果だった。


最後のセクションは「共生する自然」。象設計集団+アトリエ・モビルによる〈名護市庁舎〉は建物の中に風を通し、夜間には放熱して建物を冷やすなど、エアコンの要らない建築を目指した。石上純也が山口県で進行させているレストラン兼住居は地面に穴を掘ってそこにコンクリートを流し込み、コンクリートが固まったらその周りの土を取り除くという工法で作られる。自然にできた洞窟のような建築を目指した結果だ。

神奈川県・小田原にある〈江之浦測候所〉は杉本博司+榊田倫之の設計。相模湾に張り出した展望台は夏至の日には日の出が見える。その地下の隧道(トンネル)には冬至の日だけ、朝日が奥まで差し込む仕掛けだ。茶室の躙り口には春分・秋分の太陽の光が入る。太陽の運行を意識するための建築だ。

この展覧会で提示されている遺伝子のつながりは論理的に理解できるものと、見て何となくわかる、というものの2種類がある、と森美術館館長の南條史生は言う。「何となく似てるなー、という印象でもかまいません」。意外なものどうしのつながりから新たな発見をすることもある。建築史をこれまでとは違う切り口で見せるこの展覧会は展示されているものだけでなく、他の資料から自分なりの建築史を組み立てる楽しさもある、広がりのある企画だ。

