March 26, 2018 | Architecture, Culture | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
建てられてから40年あまり、今も多くの人を惹きつける住宅建築の傑作〈中心のある家〉(阿部勤設計)で、まどろんでみる夢のような映画が撮影されました。中山美穂とキム・ジェウクが演じる二人の物語に、長い時間が染みこんだ家が寄り添います。
映画『蝶の眠り』は韓国のチョン・ジェウン監督の作品。中山美穂演じる50代だが美貌の小説家、松村涼子と、キム・ジェウク演じる韓国からの留学生、チャネの人間模様を描く。この映画で、松村涼子の自宅兼仕事場として登場するのが阿部勤の自邸〈中心のある家〉だ。1974年完成、メディアに登場することも多い名作建築である。
阿部は坂倉準三の事務所で〈神奈川県庁舎〉などを担当した建築家。1966年から70年までタイで高校などの設計に携わり、71年に坂倉準三建築研究所を退所して室伏次郎とアーキヴィジョン建築研究所を設立した。その後、84年にアルテックを設立、今も自邸〈中心のある家〉から事務所に通っている。
〈中心のある家〉は、この家が入れ子状になっていることから名付けられた。コンクリートでつくられた7.7メートル角の正方形の箱の中に、同じくコンクリートの3.5メートル四方の箱が入っている。その上に木の屋根が載っている。
この家では、I字型のキッチンをペニンシュラ型に変えた以外は大きな改修はしていない。軒に守られたコンクリートの壁は今もすべすべとした美しい表情を保っている。
ここには建築を学ぶ学生たちが見学に来ることもあるが、不思議とみんな長居してしまう心地よさがある。映画でも登場人物たちは、この家でリラックスした様子で素をさらけ出すように振る舞う。その理由の一つは「空間が無垢の素材で構成されているからだと思う」と阿部は言う。表面にいろいろなものを塗ったりしていない木や石、コンクリートは月日とともに“味”が出てくる。天井板やカウンターの木は年月を経てしっとりとした色合いだ。
〈中心のある家〉の居心地のよさのもう一つの理由は、あいまいな空間が多くあることだろう。外側の箱の1階部分にはインナーテラスのような、内部とも外部とも言いがたいスペースがある。2階の「デイベッド」と阿部が呼んでいる場所は昼寝をしてもいいし、大きなソファのようにも使える。2階の内側の小さな箱には数段の階段を上って入るようになっている。この家の“中心”を阿部は寝室にしているが、ジャンベというアフリカの太鼓を叩いたり、音楽を聴いたりもする。空間の役割をきっちりと決めない融通無碍な在り方は、涼子とチャネの不思議な関係にふさわしい。
さまざまな“居場所”があるのも、この家の特徴だ。デイベッド、小さな座敷のような2階の“中心”の他に、1階、2階を結ぶ階段に座ってもいいし、1階にはあちこちに椅子が置かれている。玄関の脇や1階の土間のようなスペースにはベンチが、庭にはハンモックがある。映画でもそんな“居場所”のあちこちに俳優たちが行き来して物語が進行する。
二重になった大小の箱にはあちこちに窓が開いている。2階の壁は半分以上が窓になっていて、眺めもいいし明るい。1階の“中心”部分や北側はやや暗いスペースだ。1階と2階をつなぐ吹き抜けを通じて光が入るところもある。明から暗へ、暗から明へと行き来していると、この家が実際よりはるかに大きなものに感じられる。太陽の動きにつれて光が動いていくと、同じ場所でもまったく違った表情を見せる。二重になった箱から窓を通じて見る庭は樹木が大きく成長し、木漏れ日が落ちる。
スクリーンでも松村涼子とチャネはさまざまな光の中で小説を書き、争い、戯れる。小さいけれど居心地のいい大小の箱に守られているように、二人は自分たちだけの世界を築いていく。さらに映画では涼子が書き進めている、植物画を描く女性と彼女の元に通ってくる男性との物語が劇中劇の形で語られる。〈中心のある家〉が入れ子構造になっているのと同じように、物語も入れ子の構造になっているのだ。
涼子は遺伝性のアルツハイマー病を患っており、記憶障害を起こすようになる。チャネに執筆を手伝わせている小説は彼女が最後の仕事だと考えているものだった。病状が進行した彼女は療養所に入る。韓国に戻っていたチャネが久しぶりに来日すると、主のいなくなった家は街の図書館として生まれ変わっていた。
中山美穂、キム・ジェウクの他には勝村政信や永瀬正敏ら実力派俳優が脇を固める。音楽はゴーストライター騒動で名を知られることになった新垣隆。彼の音楽が俳優陣のどちらかというと抑えた演技に潜む心情や運命を暗示する。空間と音楽も俳優とともに、さまざまなものを語る映画だ。