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新しい挑戦を続ける、安藤忠雄の原動力。

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November 11, 2017 | Architecture | TADAO ANDO’S ENDEAVORS | photo_Kosuke Mae interview_Yoshikuni Shirai text_Katsura Hiratsuka

建築家として50年の活動を総括する展覧会を開催、新作も話題を集める安藤忠雄。なお新たなプロジェクトに挑戦しつづける原動力とは?

インタビュー場所となった、10年前竣工の自作〈21_21 DESIGN SIGHT〉の中庭に立つ安藤忠雄。ラジオ収録などが重なる中、スタッフも連れず、身軽に東京出張をこなしていた。

1969年に設計活動を始めておよそ半世紀。その仕事を振り返る大型の展覧会の開催へとこぎ着けた安藤忠雄。ここで一息つくのかと思いきや、さらに活動のギアを上げようとしているようにも見える。先日、寄付を集めて図書館を建て、大阪市に寄贈するという壮大なプロジェクト〈こども本の森 中之島(仮称)〉を発表した。〈真駒内滝野霊園 頭大仏〉〈森の中の家 安野光雅館〉といった新作も話題である。節目を迎えた安藤は今、何を考えているのだろうか。常に挑戦をしつづける原動力とは何なのか。展覧会の準備や打ち合わせで多忙な合間を縫って、インタビューを敢行した。

会議室にひとり、身軽な姿で颯爽と現れた安藤。挨拶もそこそこに「今日は何の話をしましょうか? 写真を先に撮るのですか?」と、自ら取材の段取りをこちらへと確認してくる。カーサが安藤にインタビューするのは2016年11月号の特集以来、1年ぶり。変わらずの速度感、かつて大手術を受けたとは思えない闊達さは健在だ。

グローバルな活動を支えるわずか25人の事務所。

ー今日も朝からお忙しそうですが、今どんなお仕事が進んでいますか。
「今、地元大阪の仕事は1つしかないんですよ。仕事の80%は海外です。アメリカ、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、中国、韓国、台湾でプロジェクトが進んでいます。仕事は国際的なのですが、気持ちはずっと大阪。それがよかったと思っています。私は大阪生まれで大阪育ちです。心までグローバル化させることには反対で、自分の住む場所で豊かに住むほうがいい、生涯大阪で行きたいと、今もこうして東京にも海外にも、大阪から通っています」

ー大阪を拠点として、国際的な仕事をどうやって進めているのですか?
「海外だけで約35件のプロジェクトを同時進行させていますが、事務所のスタッフは25人くらいです。先日レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースに事務所の規模を聞かれたので、25人と答えたら驚かれました。150人くらいいる事務所に見えるようです。35年くらい在籍している所員が4人、20年在籍が6人ほどいます。高齢者団体ですよ(笑)。この少人数でも、トラブルはほとんど起きません。コツはコンピューターに頼りすぎないこと。スタッフはコンピューターを使っていますし、それはそれでよい部分もありますが、やはり重要なのは人間と人間が、お互いの心を割って話をすること。そうすればもめることはありません」

近作と計画中のプロジェクト

大仏を土の中にすっぽり埋めてしまった〈真駒内滝野霊園 頭大仏〉。

大阪、パリで新たなプロジェクトに挑戦する理由。

ー寄付を募って大阪に子供のための図書館を建てる〈こども本の森 中之島(仮称)〉を9月に発表されました。どのようなプロジェクトなのでしょう。
「土地は大阪市の提供とし、iPS細胞の研究者、山中伸弥さんに名誉館長になっていただきたいと考えています。運営費用は民間から集めます。年間30万円、5年間払ってくださる方を200人募れば、3億円集まります。本も寄付で集め、2019年に開館する計画です。大阪府は、小学生の学力テストの結果が全国で下から2番目なのです。“勉強なんかしてどないすんねん”と子供に向かって言ってきた大阪の遺伝子が足を引っ張っているのでしょうか。せめて上から35番目くらいまで上げられるように、子供が本を読める場所をつくりたいと考えました。大阪の中之島には昔から、市民の寄付で建てられた施設が多くあります。〈大阪市中央公会堂〉は財界人の岩本栄之助の寄付で建てられましたし、〈大阪府立図書館〉は住友家が建てて大阪府に寄贈、〈大阪市立東洋陶磁美術館〉は安宅産業の東洋陶磁コレクションを基盤にしています。今回の図書館のつくり方は、その流れに乗るものだとも言えますね」

ー19年にはフランソワ・ピノーさんと進めている美術館も開館予定ですね。
「2年前、パリに行く機会があったのでフランソワ・ピノーのところに立ち寄ったところ、“ルーヴル宮の向かいにある歴史的建造物を美術館にするプロジェクトを構想している。安藤さんは大手術をしたから無理だと思っていたけど、元気だからやってもらいたい”と相談されました。15年以上前にパリ郊外で構想した〈ピノー現代美術館〉に始まるピノーとの縁ですが、再びパリに戻ってくることができました」

大手術から復帰して建築に向き合いつづける原動力。

ーいつお会いしてもお元気で、常に新しいことに挑戦しつづけていることに驚かされます。
「女性は90歳近く、男性は81歳くらいまで生きる時代です。楽しく生きるためには知的体力と肉体の体力の両方が要りますから、頭も身体も鍛えておかないといけません。私は2009年と14年に大手術しました。09年に胆嚢、胆管、十二指腸を取りました。病気がわかる前に指揮者の小澤征爾さんと“我々は体力あるし頭も働くからまだまだ大丈夫だ”と話したのですが、二人ともガンになり、油断大敵だと思いました。14年、膵臓の真ん中にガンが見つかり、さすがに一巻の終わりだと思いました。2、3人の医者に聞きましたが全員から、膵臓と脾臓を取らないとダメだと言われました。取っても生きていけるのかと確認したところ、生きている人はいても、元気になった人はいないと言われました。前日、山中伸弥さんとの対談を2時間こなしてパーティーにも出席して、翌7月10日に12時間の手術をしました。20日間くらい入院しましたが、その後は手術前と同じ調子で元気なのです。中国のクライアントから言われます。“安藤さんは胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓もないのに元気だ。縁起がいいから依頼した”と。山中さんに黙って手術をしたので彼は心配してくれて、早くiPS細胞で脾臓つくりますからと言われましたが、要らないと断りました。なくても元気ですからね(笑)」

ーとても前向きでいらっしゃいます。安藤さんが次々と新たな挑戦に邁進できる原動力は、何なのでしょう。
「人生いいことも悪いことも起こります。私は能天気だから、どんなことも受け入れられるのがいいのかなと。どんな状況や環境も受け入れ、いろいろな人と付き合ってこられました。そんな中で50年、手抜きなしで仕事を続けてこられたことは、誇れるところだと思いますね。これからもやれる限り、全力投球でやっていきます。できなければ、事務所を解散してしまおうとも思っていますよ。建築にとって重要なのは、人の心の中に残るものをつくることです。あの建築を体験してよかったなと。つくることも、使う人にとっても、建築は楽しいものなのです」

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