December 29, 2024 | Architecture, Design, Travel | casabrutus.com
2026年のヨーロッパ文化首都にセレクトされたフィンランド第二の都市、オウル。この北の地に、アアルトによる巨大コンクリート建築がある。
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ヘルシンキからは北へ800キロ、フィンランド第二の都市オウルは、南北に長い国フィンランドのちょうど真ん中あたり、ラップランドとの境界に位置する。ノキアの本拠地があり、現在はヨーロッパのIT産業の拠点としても知られているが、ここに、アルヴァ・アアルトが手がけた工場やランドスケープがあることは、意外と知られていない。
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ボスニア湾に面した立地と豊富な森林資源生かし、オウルはかつては造船に欠かせないタールや紙の原料のパルプ産業で栄えた。1930年代から1960年代までの間、アアルトは2つのエリアで工場関係のプロジェクトを手掛けた。その一つが、トッピラ(Toppila)地区にある製紙関係の工場だ。こちらは1985年に閉鎖となっていて市の管理下で公営住宅などに改築されたものもある。その中でも高さ28メートルの台形柱のコンクリート構造のサイロは、アアルト建築の中でも特異な存在だ。歴史的な重要性も高い一方、改築などでの再利用も難しく、長年無用の長物と化していた。
買い手も見つからないなか、苦肉の策として市はサイロをネットオークションに出した。それをたまたま見つけて、最低価格の6250ユーロ(70万円程度)で落札しまったというのがシャーロット・スキーネ・ケイトリングだ。その経緯と今後の計画について話を聞いた。
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●オークションでの出会い
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──そもそもサイロを見つけた経緯とは?
2019年、コロナ禍の夏、スペインのバレンシアでロックダウン中のことです。外は50度まで上がる猛暑で散歩にも出れず、ネットサーフィンで気を紛らわせていると、「アアルト初のインダストリアル建築が売り出し中」という記事が目に入ったんです。私は建築家ですし、アアルト建築についての知識はありましたが、全く知らない建築でした。さらにネットで調べてみると、アアルトのオークションは複数ヒットします。ニューヨークのサイトでは、照明やドアハンドルがすごい価格で取引されてたり。そのうちにフィンランドのなんでも扱ってるオークションサイトに行きつきました。
車とか家電とか服とか、なんでも扱ってる競売サイトです。そこに「アアルトのサイロ」が出展されていたんです。売主はオウル市で、スタート価格が6000ユーロ(当時の為替で70万円程度)と。猛暑下に北国のアアルト建築って魅力的に響くじゃないですか。夫にも声をかけ、とりあえず、250ユーロの入札登録料金を支払いました。
──実際の建物を見ないで入札した?
ロックダウンで身動き取れないですもん。どうせすごい価格になるだろうし、冷やかし半分です。実際のオークションも野次馬気分でネット上で見守りました。そしたら、なんと誰も入札しなかったんです! つまり、最低落札価格の6000ユーロ+登録料で、図らずも私たちの手に落ちたのです。
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●いざ、オウルへ。
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──オウルについてもよく知らなかった?
入手してから初めて「オウルってどこなの?」って(笑) 。物好きな外国人が買ったとニュースでも報道されたので、いろんな人がコンタクトしてきて、次から次へと偶然のつながりが出てきて。私は出身はアイルランドで祖母はスウェーデン人ですが、そのルーツはフィンランドであることも初めて知り、運命的なつながりを感じました。
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それで、コロナ禍が終息したころ、初めてオウルに行きました。オウル自体はIT産業と大学で知られる街ですが、サイロのあるトッピラの一帯は少々治安が悪いと聞いていました。が、実際の印象は全く悪くなかった。サイロは想像通り廃墟化していましたが、その巨大なボリュームと彫刻的な外観に圧倒されました。この素晴らしい建造物をどうやって活用すべきか、という責任感にも圧倒されました。
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──このサイロは何のために建てられた?
サイロは製紙に不可欠なウッドパルプやセルロースを製造するために建てられた工場施設の一つで、ウッドチップの貯蔵庫です。その他の施設も含め、アルヴァとアイノ・アアルトの設計で1931年にオープンしました。
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アアルトの名を世界的に知らしめたのは、1932年にオープンした〈パイミオのサナトリウム〉ですが、このサイロはそれと並行した時期に建てられたものです。高さは28メートルもあり、屋根から壁までコンクリートを型枠に流す打設で建てられています。コンクリートの厚さはわずか10cmですが、今もしっかり立っています。
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当時のフィンランドは貧しい国でしたが、唯一の天然資源の木材を燃やして作る木タールは船の防水用の需要があり、それで財を成した「タール・ブルジョア」と言われる人たちがいたそうです。フィンランドのタールは品質が高く、イギリスが七つの海を制したのはフィンランド産のタールを造船に使っていたからという説もあります。フランスやスペインで使っていたタールは産地が違ったそうで。この工場も、イギリスの製紙会社が建てたものです。
●サイロの歴史とは?
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──そもそも建築史上、サイロはいつごろ登場した?
サイロは近現代建築史上、また資本主義において重要な役割を果たしました。最初のサイロは1842年ニューヨーク州のバッファローに登場します。ジョセフ・ダータンという発明家が、蒸気機関を使った「穀物エレベーター」を発明し、「カントリーエレベーター」とも言われる巨大な穀物倉庫であるサイロが登場したのです。物を上部に運ぶ技術がなければ、サイロは機能しませんから。
穀物を保管して、必要に応じて配送できれば、市場のコントロールもできます。これで先物市場が始まりました。だから、資本主義におけるサイロの役割は本当に興味深いものです。この現象を作家のアンソニー・トロロープは「サイロは飢えて貪欲な怪物のような存在」と描写しています。
ヨーロッパの建築家たちの間でもサイロは話題となり、ヴァルター・グロピウス、ブルーノ・タウト、ル・コルビュジエもサイロについて書いたり、写真を掲載したりしています。エリック・メンデルゾーンは実際に足を運んで写真も撮っています。
1931年にこのサイロが完成すると、バウハウスで教鞭を取っていたラースロー・モホイ=ナジ がアアルトの招きでやってきました。彼はバウハウス的なサイロの写真を撮っています。アイノ・アアルトもいい写真を撮る人で、彼女が撮影した写真も建築雑誌に掲載されました。
レイナー・バンハム著の『A Concrete Atlantis(コンクリート・アトランティス)』にもアメリカのサイロについて書かれていますが、私もサイロがヨーロッパのモダニズムにつながっていることを今回初めて知り、驚きました。1931年はナチスが台頭し、ヨーロッパが分裂しはじめた激動の時期でもあり、モホイ=ナジ もグロピウスも、その後イギリスに渡りました。
アアルトは、当時ドイツ表現主義やロシア映画を上映する映画クラブの一員でした。そのためか、彼がデザインしたサイロは、コンクリートの円筒でしかないアメリカのサイロとは全く異なる、表現主義の大聖堂のような建築になったのではと思っています。
パイミオの療養所ではベッドの上の放射ヒーターとか、蛇口から漏れる水が音を立てないシンクとか、患者目線の細やかなデザインが際立っています。色彩もそうです。
でも、このサイロは「人のため」ではなく「プロセス」のために設計されたものなんですよ。そこがユニークな点かもしれません。人間ではなく過酷なプロセスのために設計された建築なので、窓もありません。
●サイロをどう活用するか?
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──今後のビジョンは?
サイロは地元では「最も醜い建物」に選ばれたこともありますし、市も本当は取り壊したかったようですが、保存指定建造物なのでできなかったわけです。が、建築好きの目から見ると、この建築には多大なポテンシャルがあります。まずは根気強く修復を進める必要があります。それには補助金なども必須です。文化財保存にとどまらず、地域再生、そして自然環境の保全の拠点とするビジョンを掲げて取り組んでいます。
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まずは、サイロを非営利団体〈ファクトタム財団(Factum Foundation)〉が運営する〈アアルト・サイロ(AaltoSiilo)〉として登録しました。夫でイギリス人のアダム・ロウが2009年にマドリッドで立ち上げた財団です。彼は長年、大物アーティストのデジタル作品の製作を手がけており、その稼ぎを文化遺産などを3Dスキャンしてデジタルアーカイブにする事業に注ぎ込んできました。例えば、ツタンカーメンの墓をスキャンして高解像度の複製モデルを作るとかですね。それらはオープンソースで無料で公開しています。利益のためではなく未来に記録を残すことが〈ファクトタム財団〉の使命です。
●地域の再生の拠りどころに
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サイロの周辺には集合住宅に改築された旧工場もあり、そこに暮らすのはソマリアなどからの難民も多く、非常に多国籍なエリアなんです。彼らには政治的発言力もほとんどないので、地域としてかなりネグレクトされてきた。たとえアアルトの建築でも投資目的なら誰も手を出さない物件です。
地域の荒廃は人が集う場所がないこととも関係します。まずは、公共広場、円形劇場、サウナ、ガーデンを作る計画です。サウナの熱を使って建物を暖めるとか、いろんなアイディアを出し合っているところです。それから、カフェやバー、最終的にはサイロの建物をリサーチセンターにしたいと思っています。
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オウルは2026年のヨーロッパ文化首都に指定されているので、それに向け、サイロの横に「ブラックボック」いうパビリオンを建てる市の予算も付きました。これは同年のヴェネチア・ビエンナーレのフィンランド館とリンクさせる計画です。また、26年の夏にはアアルト会議の開催も決まっています。
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オウルは北極圏の入口にあり、地球温暖化危機の最前線にあります。そこで、〈ファクトム〉のデジタル技術を応用し、自然をデジタルアーカイブ化するなど、次世代に記録を残す活動の拠点も目指しています。オウルがITやデジタル技術のセンターであることもありがたい偶然です。取り壊された建物の建材の再利用法のリサーチも進めています。
EU主導の「ニュー・ヨーロピアン・バウハウス」のパートナー認定も受けたところです。2050年までカーボン排出ゼロを目標に、サステナブルな経済成長を掲げる「欧州グリーンディール」の一環で、バウハウスのように、芸術、文化、サイエンス、環境、経済を包括的にとらえ、建築や街づくりを促進する構想です。
図らずも落札してしまったアアルトのサイロですが、建物の保存を超えて、地域にも地球にも貢献できるものになるようがんばりますので、応援よろしくお願いします。(シャーロット・スキーネ・ケイトリング談)
⚫︎もっとある、アアルト建築
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オウルには、アアルトが手がけたランドスケープも残っている。オウル川の分岐点であるコスキケスクス(Koskikeskus)地区 のあたりで、街路樹が並んだアベニューや川辺の遊歩道など、美しく整備されている。これらは1930年代に電力を確保するためにオウル川の流れを利用した水力発電所の建設に伴い、アアルトが手がけたものだ。アアルトのビジョンが全て実現したわけではないが、川の中央から噴き上がる噴水など、やはり、只者ではないデザイン力が感じられる。
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タカラーニア(Takalaanila)地区にある工場の施設と社長や従業員用の住宅群もアアルトによるもので、多くはそのまま残っており、現在は〈イーストマン〉傘下の化学薬品の施設や住宅として使われている。2026年にはアアルト研究家であるオウル大学のピア・クロギウス教授によるアアルトツアーも計画されているので、ぜひ足を伸ばしてみたい。
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〈アアルト・サイロ〉
AaltoSilo, Alvar Aallon Katu 5, Meri-Toppila, Oulu, FInland 現在は外観のみ見ることができる。支援金やスポンサーも随時受付中。「オウル2026年ヨーロッパ文化首都」の詳細はこちらから。