September 7, 2024 | Architecture, Design | casabrutus.com
東京・武蔵野市の公共文化施設として長らく親しまれてきた〈武蔵野公会堂〉で、再来年度から大規模な改修が始まる。建物の主要部は残り、工事が完了した後はまた使われ続けるが、現状の姿が見られる期間はあとわずかとなった。この連載記事では、【もうすぐなくなる日本の名建築】と題して、惜しまれつつ解体が決まった建物を紹介してきたが、今回はその番外編【もうすぐ大改造される日本の名建築】として、本施設を取り上げる。
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JR中央線の吉祥寺駅を南口側へ出る。井の頭通りを渡ると、すぐに〈武蔵野公会堂〉は見えてくる。駅から歩いて2分という、交通至便の立地だ。
開館は1964年。武蔵野市の市政10周年事業として建設され、市が運営していたが、現在は公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団が指定管理者を務めている。
施設は2つの棟から成る。通りに面して立つのが会議室棟で、塔状のコア2本で、2~3階部を持ち上げた格好を採っている。1階のピロティに面して玄関が設けられ、奥に抜けると駐車場がある。全体でゲートのような役割を果たしている。
もう一方のホール棟は、会議室棟から直角に延びる方向に配置されている。武蔵野の雑木林をイメージしているとも言われるユニークなシルエットは、長い距離を柱なしで支えることが可能になる、逆シリンダーシェルの構造がそのまま現れたものだ。
いずれの棟でも、コンクリート打ち放しの面に溝形の模様が施されたり、レンガくずを埋め込んだコンクリートパネルが使われたりして、簡素な材料による豊かな質感づくりが工夫されている。1960年代のモダニズム建築ならではのデザインだ。
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〈武蔵野公会堂〉を設計したのは日建設計だ。2000人を超える所員を擁する、日本で最大手の建築設計事務所だが、当時はまだ700人程度の規模で、名称も日建設計工務だった。
その中で、この建物の設計チームを率いたのは林昌二(1928-2011)。銀座4丁目交差点にあった〈三愛ドリームセンター〉(1962年)や、竹橋の〈パレスサイドビル〉(1966年)を担当したことで名高い、日建設計を代表するアーキテクトである。
そして林の下で設計を担当したのは山下和正(1937-)だった。山下はこの建物を手がけた後、海外に渡り設計実務の経験を積み、日本に戻ってから自らの設計事務所を開いた。南青山の〈フロム・ファースト・ビル〉(1975年)や、〈数寄屋橋交番〉(1982年)などの代表作がある。
2人の著名な建築家の、若き日に手がけた意欲作が、〈武蔵野市公会堂〉なのである。
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ホールは半地下で、1階から地下1階へと客席のスロープが降りていく。両脇にバルコニー席が設けられていて、カーテンを開けると、外側はガラス張りになっている。
並んだ筒を見上げたような天井の形は、逆シリンダーシェルの構造が内側に現れたもの。表面にはスギ板が張られて、音響反射板の役割も果たす。
客席の上のペンダント照明は、ランダムな位置に吊られていて、星空のようにも見える。設計の際には、おはじきを散らして配置を決めたという逸話が伝わっている。切れたままの電球もあった。やはり、交換は難しいということか。
緞帳には微妙にずれた同心円が描かれている。これはケヤキの幹の切断面を写真に撮って拡大したもの。ケヤキは武蔵野市を象徴する樹木である。
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ホールは350席を擁する。使われ方としては、音楽系の催しが多い。電気音響を用いたジャズやロックの演奏は少なく、ピアノや合唱など、生音による音楽の発表会が主だという。そのほか、各種式典や講演会などの利用がある。落語の公演も継続して行われている。
利用率のデータを見ると、新型コロナウィルス感染症の影響で令和2(2020)年度には54.0%に落ちたが、令和5(2023)年度には66.4%まで回復している。
客席は緩やかなワンスロープの固定席となっているが、竣工時の建築雑誌を見ると、当初は後ろ半分が急傾斜の固定席で、前の半分が平土間だった。平土間に椅子を並べて客席として使うこともできるし、テーブルを囲む公開会議のような使い方もできる。多目的に対応した設計となっていた。
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令和2年度から3年度にかけて、建物の劣化状況が調査された。その結果、コンクリートの強度に問題は発生していなかった。しかし屋上の防水、壁面の塗装、スチール製の建具など、各所で経年劣化が進んでおり、給排水管などの設備については更新が必要となっていた。
ホール関係では防音性能が不足し、映像・音響設備も旧式で使い勝手が悪い。リハーサル室や楽屋が足りず、客席も狭いと不満が出ている。車椅子使用者への対応にも難がある。
また、これは仕方がないことなのだが、火災安全、バリアフリー、環境配慮など、様々な面から既存不適格(建設時には法令に合っていたが、現行の法令には合っていない状態)の箇所が、建物全体に存在している。
これらの課題を解消することが急務とされた。その一方で、〈武蔵野公会堂〉が立地する吉祥寺駅南口では、駅前広場を含む整備事業が将来計画として検討されており、公会堂の全面建て替えを行うと、今後の計画に制約をかけることにもなりかねない。
そこで施設更新の方針として採られたのが、改修工事を行って、使用期間を20年程度延ばすという道だった。
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改修の設計者を決めるにあたっては、簡易な提案書とヒアリングによる公募型プロポーザルが実施された。多くの建築家が参加するなか、最優秀提案者に選ばれたのは、小堀哲夫が率いる小堀哲夫建築設計事務所である。小堀は「ROKI Global Innovation Center -ROGIC-」で、2016年度JIA日本建築大賞や2017年度日本建築学会賞(作品)を受賞し、その後もオフィス、学校、旅館など、幅広い分野の建物を手がけて注目されている建築家だ。
小堀による改修案は、「新しさと懐かしさを受け入れるゲートとしての新武蔵野公会堂」をコンセプトとしたもの。会議室棟は、コアや全体のシルエットを残しながら、床や壁の多くを撤去して耐震性能を上げる。2階の床は「アウターリビング」として、開放されることになる。ホール棟は既存の形状を活かしつつも設備を一新。リハーサル室兼用の会議室を地下に設け、客席は竣工当初の平土間形式と改修後のワンスロープ形式を組み合わせたものにするという。
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現状の建物についての解説に戻ろう。会議室棟は、階段室を内部に収める2本コアが、全体の構造を受け持っている。こうした構造の形式をツインコアと呼ぶ。日建設計の林昌二は、この形式を好んだ。〈ポーラ五反田ビル〉(1971年)や〈中野サンプラザ〉(1973年)など、手がけた多くの建物でこれを採用している。
2階と3階には、コアに挟まれて会議室が置かれ、両脇には和室(2階)と特別会議室(3階)が設けられている。会議室の壁には、成形合板を曲げてつくった棚が付く。これは天童木工によるものだろう。
注目したいのは、廊下や特別会議室の壁面で、泡が集まったような独特の表情を見せている。壁のコンクリートパネルを製造する際、柔らかいビニールのような材料を型枠に使ったのだろうか。ほかでは見たことがない仕上げである。
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屋上へも上がらせてもらう。現在は開放されていないが、竣工時の写真を見ると、ベンチやスツールが置かれている。ル・コルビュジエは近代建築5原則の一つとして屋上庭園を提唱したが、ここもそうした使い方が想定されていたようだ。
コアの南側に回ると、井の頭公園を望む景色の良い場所となっていた。天気のいい日は富士山もきれいに見えるそうだ。ここは改修後も「井の頭テラス」として残されることとなっている。
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〈武蔵野公会堂〉は、改修を受けて残る。そうなった理由は、戦後に建てられたモダニズム建築の価値が認められたからではなく、都市の再開発に伴う流動的な状況のなかで、建て替えが先送りされたという面が大きい。とはいえ、身近な公共文化施設が、想定20年という期間ではあるけれども、これからも使われ続けることとなったのは、たいへん喜ばしいことだ。これが成功例となって、他の施設にもこのやり方が広まっていけばよいと思う。
一方で、竣工時の建物の姿を拝めるのは、あとわずかとなった。改修工事は令和8(2026)年度から始まる予定。それまでにもう一度、この場所を訪れてみてはいかがだろうか。