August 7, 2024 | Art, Architecture, Travel | casabrutus.com
ヴェネツィア・ビエンナーレを始めとして、2年あるいは3年ごとに開かれるアートイベントが世界各地で盛んな中にあって、デンマークの小さな祭典は少し特殊かもしれない。もともとは畑ばかりだったという土地に、なぜアートが芽吹いたのかを探って行くと、ひとりの起業家に辿り着いた。
●アートの力で人々を揺さぶり続ける
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2002年にデンマークで初めてのアートビエンナーレとして始まった『ソクル・ドゥ・モンド(Socle du Monde=地球の台座)』という祭典を見に、5月にヘアニングというデンマーク西部の街に足を伸ばしてみた。第9回目となる今年は“DO IT”というタイトルの元に総合コンセプトを担うタッシ・ヴィッサーをはじめハンス-ウルリッヒ・オブリストら7名のキュレーターによって、国内外85組のアーティストの作品が展示されている。会場となるのは、〈ヘアニング現代美術館〉を中心に、カルチャーホテルや広大な森林公園まで広範囲にわたる。
ヘアニングへはコペンハーゲンから車でも列車でも3時間、デンマーク第2の都市である港町オーフスからは1時間ほど。ヘアニングはデンマーク随一の繊維・織物産業の中心地として知られているが、内陸にあり、観光地ではなくデンマークの人でも特別な用事がない限り訪れることも少ないという。そんな場所になぜ現代美術館が? そしてなぜデンマーク初のビエンナーレが始まったのか? それをひもといていくと、オーゲ・ダムガードというひとりの起業家に辿り着いた。
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1939年にオーゲ・ダムガードが兄と共に始めたシャツの製造会社は50、60年代にはデンマークで知らない人はないアングリ社(Angli:デンマーク語でイングランドの意味)として大成功を収める。ダムガードは事業を拡大する一方で、アートの収集を始めた。最初は作品の入手のみ、そして次第にアーティストを招聘し、工場内で作品制作をする自由を保証した上で、月々のサラリーまで給付したという。招聘された数々のアーティストの中には、著名なイタリア人アーティスト、ピエロ・マンゾーニがおり、彼は知人に「ここはまるでパラダイスだ」と書き送った。
今で言うアーティスト・イン・レジデンスのような活動を、すでに50年代から行っていたことに驚かされる。滞在中に制作された作品の多くはダムガードに寄贈されたのだが、彼の目的はアート作品そのものだけではなかった。アーティストらとの交流、アートが出来上がる行程を目撃できること、そのすべてが彼の工場で働く労働者たちのいい刺激となり、彼らの労働環境の改善に繋がると信じていたのだ。
アーティストのひとり、ポール・ガデガードに、黒い外壁で内部空間も暗かった自社工場のビルの内装を依頼し、カラフルで楽しい環境にしたのもその一環だ。
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さらに言えば、50年代当時、畑しかなかったヘアニングの街はずれに、突然アートという風が吹いたことはマスコミに多く採り上げられたのだが、それをも広告的価値があると知っていた。1991年に74歳で逝去したダムガードの言葉がここに残っている。
「芸術は私を幸せにしてくれると同時に、私は芸術が立派なビジネスであると考えています」
「いい芸術を目の前にしているのに、鈍感にならないでください。あなたがそれを気に入ってくれようが、私をののしろうが、私はかまいません。出来る限り、私は人々を揺さぶり、怒らせ、興奮させたいのです」
50年代、60年代、田舎町にやって来た“コンテンポラリーアート”や“コンテンポラリーアーティスト”がいかに人々にとって異質に映り、どのように人々が反応したのか想像に難くない。けれど、それが話題を呼び、工場の見学を希望する訪問者が年々増え、それが数千人に達した時、美術館という構想が持ち上がっている。人々を揺さぶり続けること、それが確かに何かを動かし始めたのだ。
●蒔かれた種が美術館になり、ビエンナーレが始まる
こうして蒔かれたアートの種は確実に育って行く。1961年にはダムガードの主導で工場付近に市民の誰でも、もちろんアングリ社の従業員たちも通えるアートやデザインを主体とした高等教育機関学校を開校し、1976年、ダムガードが工場ビルの中庭をぐるりと取り囲む壁にセラミック作品の制作を依頼したアーティスト、カール=ヘニンング・ペデルセンの美術館が工場のすぐ隣に設立。
そして翌1977年には、ダムガードが寄贈したコレクションを元に、閉鎖したアングリ社の工場ビルが〈ヘアニング現代美術館(HEART)〉としてオープンしたのだ(現在の建物は、コンペの後、スティーブン・ホールの設計で元アングリ社の工場ビルの向かいに新設され、2009年に再オープンしたもの)。
そして2002年から始まったのが『ソクル・ドゥ・モンド・アート・フェスティバル(Socle du Monde Art Festival)』だ。最初はビエンナーレとして美術館内だけでの展示だったが、2017年、近隣の都市オーフスが世界文化都市に選ばれたのを機に、より国際色豊かに、さらに会場を前述の学校(現在はカルチャー・ホテルとして営業)や〈ペデルセン美術館〉など美術館の外にも広げて行った。
今年は総合タイトル“DO IT”のもと、会場ごとにキュレーターを立て、それぞれがアップサイクリング(創造的再利用)、トラベル、ユアセルフ、リワイルディング(再野生化)と独自のテーマを展開している。世界各地のビエンナーレやトリエンナーレは、その展示のために制作された新作や比較的新しい作品が披露されることが多いが、ここでは現代美術の古典とも言える作品もあえて採り上げ、同じテーマでこのために制作された作品や近作を同時に展示することで、過去から現在までの繋がりを描き、またそれにより未来への展望を見せる試みがされている。
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例えばアップサイクリングの展示では、廃棄された家電や金属などを使用し、動きのある作品で50年代後半から独自の世界を切り開いたジャン・ティンゲリーを紹介すると共に、その流れを汲む現代の作品を展示している。ペットボトルやプラスチックチューブなど身近な素材で作られた、風力で動くオブジェはオランダの彫刻家、テオ・ヤンセンによる作品。韓国の女性アーティスト、スイ・パークは結束バンドのみで作り上げたインスタレーションで空想的な世界観を繰り広げた。
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また、トラベルの展示では30年代からパリで活動したデンマーク出身の女性アーティスト、ソーニャ=フェアロブ・マンコバを採り上げ、夫であるアーティスト、アーネスト・マンコバの出身地である南アフリカの影響をたぶんに受けたであろう、前衛的で抽象的な彫刻作品を並べる一方で、 世界的に活躍するオラファー・エリアソンが出身地であるアイスランドで消え行く氷河を記録したビデオ作品を展示。空間だけでなく時間を旅する気分が味わえる構成だ。
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前述のカルチャーホテルは若手の女性アーティストたちによるサイトスペシフィックな作品で埋め尽くされた。モチーフとなるのはそれぞれヘアニングにゆかりのある素材やもの。イダ・ラセッリは収集した周辺の粘土と泥灰岩を加工し、乾燥させ、焼いた上で顔料に粉砕し、キャンバスに描いた。アヤローゼ・スティネー・ソルビルドはこの地の主産業である織物業に欠かせない羊毛と、養蜂業も盛んなことから蜜蝋を使った作品を発表している。
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美術館やホテルの外に出てみれば、キュレーター、ハンス=ウルリッヒ・オブリストの呼びかけで集まったアーティストたちによる“ユアセルフ”の言葉のアートがそこここに待ち受けており、それは森の中まで続いていく。
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ひとりの起業家から始まったアートによる揺さぶりは、70年ほどの時を経てもなお、ひとつの地方都市で風を起こし続けている。2021年に行われた前回の祭典では、コロナの影響もあったが4ヶ月ほどの開催期間でおよそ2万名が来場した。この数字は世界各地で先行するビエンナーレやトリエンナーレに比べれば取るに足らないものかもしれない。けれど、「アートで人々を揺さぶり続けなければならない」と、ダムガードなら言うだろう。
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ちなみに祭典のタイトル“Socle du Monde(地球の台座)”はピエロ・マンゾーニがアングリ社の工場に滞在していた1960年から61年に制作された作品のひとつであり代表作からとった。四角い彫刻作品にはその文字が上下さかさまに描かれており、見ようによっては文字通り地球を支える台座になりうる。自分がそうと思えば、ニューヨークでなくてもロンドンでなくてもどこでも、地球を支える場所になりうる、とその作品は言っているようだ。ヘアニングがアートのホットスポットになりうるのと同様に。