June 17, 2024 | Architecture, Culture, Food, Travel | casabrutus.com
2020年11月に市ヶ谷の印刷工場跡地に誕生した文化施設〈市谷の杜 本と活字館〉と、昭和の歴史に刻まれる歴史的建造物を見学できる〈防衛省・市ヶ谷台ツアー〉へ。喫茶好き、建築好き、どちらからも愛されるモダンな喫茶店〈喫茶ロン〉で名物を味わった。
●活版印刷と本づくりがテーマのリアルファクトリー。
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2020年11月、大日本印刷市谷工場跡地に誕生した〈市谷の杜 本と活字館〉は、活版印刷と本づくりがテーマの文化施設。運営するのは、日本の印刷技術とともに、印刷に深い関わりを持つ視覚芸術文化を支えてきた「DNP大日本印刷」。1926(大正15)年の完成以来、「時計台」という愛称で親しまれてきた市谷工場の営業所棟を、竣工当時の姿に復原(存在する建造物をある時代の状態に戻すこと)し活用している。
戦時中の空襲にも耐え、数多くの書籍や雑誌を製造してきた市谷工場。増改築を繰り返しながら2016(平成28)年頃までオフィスとして使われていた。そんな中、工場整備計画の一環で、大型機械を郊外の工場に移すことに。跡地は緑地帯「市谷の杜」に整備され、建物を活字と本づくりを象徴する施設に再生し、地域に開かれるようになった。
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荒川区にある国指定重要文化財〈三河島汚水処分場喞筒場〉を手がけた土居松市と宮内初太郎による、分離派(セセッション)の作品を継承すべく、既存躯体を生かして復原・再生をおこなったのは、ドイツで先進的な建築技術を研究した建築家・久米権九郎が創業した〈久米設計〉。後世の改修部を撤去する際、その奥に隠れていた創建時の装飾を頼りにデザインをおこしたり、当時の図面、文献、写真を解析してオリジナルを辿ったり。根気を要する作業を重ね、ついに竣工時の端麗な姿が蘇った。
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かつての印刷工場のいち風景を再現し、実際に職人が活字を拾って印刷機を回す「印刷所」。印刷にちなむオリジナルメニューも楽しめる「喫茶」。大日本印刷の歴史や、建物の復原の様子を映像で見られる「記録室」。印刷や本づくりの体験ができたり、イベントがおこなわれる「製作室」。活字や活版印刷などニッチな視点で企画展を開催する「展示室」。印刷にまつわる書籍や、活版印刷・特殊印刷で作る紙雑貨、職人用の製本道具を揃えた「購買」。地階から2階までさまざまなコーナーがあり、印刷、活字、本好きには至福の空間だ。
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〈市谷の杜 本と活字館〉
●東京都新宿区市谷加賀町1-1-1 TEL 03 6386 0555。10時〜18時。月・火曜休(祝日の場合は開館)、年末年始休。入場無料。●昭和史に刻まれる歴史的建造物が見られる「防衛省・市ヶ谷台ツアー」。
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市ヶ谷台の丘陵地に庁舎や電波塔が建ち並ぶ防衛省の広大な敷地は、かつて尾張徳川家第2代光友公が、第4代将軍家綱公より5万坪の土地を拝領し、江戸上屋敷を築いた場所。1874年(明治7)年にその土地を利用して陸軍士官学校が開校し、1941年(昭和16)年には大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれた。1945(昭和20)年の終戦後は米軍に接収され、翌年に大講堂で極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷が開設されたことでも知られる。返還後は陸上自衛隊東部方面総監部などに使用されていたが、2000(平成12)年に当時の防衛庁(現・防衛省)が六本木から移転して現在に至る。
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そんな防衛省の敷地内にある歴史的建造物や厚生棟を見学できるのが、平日の午前・午後各1回、2時間ほどかけて実施されるガイド付き「防衛省・市ヶ谷台ツアー」。午後のツアーには戦時中に大本営陸軍部の防空壕として造られた「大本営地下壕跡」(有料)も含まれる。
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コース内の大きな見どころは、かつて庁舎A棟の場所に存在した「1号館」を移築・復元した〈市ヶ谷記念館〉。正面玄関にバルコニーが張り出した鉄筋コンクリート造の外観を、歴史的ニュース映像を通して見覚えがある人も多いのは、そこが1970(昭和45)年に三島由紀夫がクーデターを呼びかける演説をした場所であるから。内部には、士官学校時代に天皇陛下の休憩所だった旧便殿の間、士官学校長室や陸軍大臣室、陸軍自衛隊東部方面総監執務室として使われた旧陸軍大臣室、陸軍士官学校の大講堂として作られ、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷となった大講堂が残されている。激動の昭和史に刻まれる場所に直に立つ得難い時間となった。
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防衛省・市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)
市ヶ谷地区内に所在する庁舎や、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷となった大講堂などを移設・復元した市ヶ谷記念館を案内するツアー。月曜日から金曜日まで(祝日及び年末年始休暇間を除く)の午前(9時30分~11時30分/2時間)、午後(13時30分~15時50分/2時間20分)各1回の定時見学。午後のコースでは、大本営地下壕跡(有料:700円)も訪れることができる。要事前予約。公式サイトで確認を。 ●東京都新宿区市谷本村町5-1 TEL 03 3268 3111。●建築好きにも愛されるモダンな喫茶店。
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建築散歩の最後は四谷駅前の〈珈琲ロン〉へ。現在、2代目マスター・小倉洋明さんのもとで3代目として修業中の娘・真智子さんに、建築を中心とした店の話を聞きながら名物を味わう。
芝生を意味するロンと名付けて、真智子さんの祖父が喫茶店を開いたのは1954(昭和29)年のこと。当初は道路を隔てた向かい側に1号店があり、現在の店舗は上層階に住居機能を持たせた2号店として1969(昭和44)年に完成している。シンプルだけれど洗練されたコンクリート打ち放しの外観。扉を開けると奥に長く続く1階席があり、螺旋階段の先には吹き抜けを隔てて左右に分かれた2階席が。
内装には、合板、コンクリート、レンガ、タイル、ステンレスなど、さまざまな素材が使われている。一見すると無駄な装飾を省いているように映るけれど、じっくりあたりを見回すと、柱のないのびやかな空間や、壁と天井の間にわずかに開いた隙間、丸みを帯びたストックルームの扉、建築家の細やかな意図を感じる細やかなデザインが施されている。
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設計を手がけたのは、大阪芸術大学やマガジンハウスの社屋などを手がけ、〈第一工房〉を設立した建築家・高橋靗一氏に師事した池田勝也氏。手塚建築研究所・手塚由比さんのお父上でもある方だ。もともとロン1号店の内装を高橋靗一氏がおこなっており、第一工房に所属していた池田氏が2号店を引き受けることに。設計から竣工までの間に池田氏は独立し、都心の限られた敷地ながらもゆったり寛げる喫茶店を完成させた。
「池田先生が31歳の時にここを作っていただいて、現在86歳。この間、池田先生と娘の手塚先生がお二人で訪ねてくださいました。設計当時のことをいろいろ質問をしたのですが、55年前のことも全て即答、全部鮮明に覚えていらして。今もほぼそのまま残っていることを喜んでいただきました」と真智子さん。
池田氏は学生時代、茶室建築の第一人者・堀口捨己氏のアシスタントをしていたこともあり、簡素に見えながらも外の世界とつながりを持つ茶室のエッセンスも取り入れたようだ。
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ネルドリップで淹れるコーヒーの味。バターをたっぷり使ったタマゴサンド。シェイカーで仕上げるミルクセーキ。壁に埋め込まれたスピーカーから流れるビートルズの音楽も、ダイヤル式のピンクの電話が鳴る音も。この先も守っていこうと決意を固めて外での仕事を辞めた真智子さん。けれども洋明さんもまだまだ現役、毎日元気に店に立つ。父娘ふたりの愛情をたっぷり受けて、建物ものびやかに輝きを放つ。
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