December 2, 2023 | Art | casabrutus.com
バンクシーの代表作《花を投げる人》は実はパレスチナ問題を描いた作品です。ガザ地区でイスラエル軍とハマスの戦闘が続く今こそ、バンクシーがパレスチナで活動してきた20年間をおさらいし、作品を通じて訴えてきたメッセージを改めて考えてみたい。2002年にバンクシーに直接インタビューし、『Casa BRUTUS』2020年3月号の特集「バンクシーとは誰か?」では、ともにパレスチナを取材した鈴木沓子さんにご執筆いただきました。
“神出鬼没”で知られるバンクシーだが、その活動初期からもっとも力を入れてきたのは〈パレスチナ問題〉であることは、どれだけの人に知られているのだろうか。英国を拠点とするバンクシーはこれまで約20年間、何度もパレスチナを訪れて現地で作品制作をして直接支援を続けてきた。そして、代表作の多くがパレスチナの地で生まれている。
初期の代表作《花を投げる人》は今から約20年前の2003年頃、パレスチナのベツレヘム郊外に描かれた。そして、2019年に筆者が『Casa BRUTUS』の取材のために現地入りしたときには、まだ現存していた。上書きも上塗りもされず、20年以上も作品が残っているのは奇跡的で、地元の人たちに大切にされていることがわかる。この作品が描かれたのは、英国でもまだバンクシーの存在が一般的には知られていなかった時代で、当時はまだ今現在のように新作が発見されると世界各国が一斉に速報ニュースを流すというような状態ではなかった頃の話だ。
そのバンクシーが国際的に有名になったきっかけもまた、パレスチナだった。バンクシーが再びパレスチナを訪れた2005年、「現代のアパルトヘイト・ウォール」と批判されながらもイスラエル政府が建築を強行する「分離壁」に9点の作品を残したのだった。バンクシーはグラフィティライターとして“世界一危険な壁”をボムしたのだ。「現在のパレスチナは世界最大の野外刑務所であり、グラフティライターにとって究極の活動ができる旅行先だ」と世界中のライターに共闘を呼びかけながら。
この時、バンクシーはイスラエル兵士に銃で威嚇されながら、最終的に9点の作品を描き残した。その様子は英国営放送BBCやアメリカのCNN、日本ではNHKがトップニュースとして報道したことで、バンクシーの名前は世界的に知られることになる。
その後、2010年にはドキュメンタリー映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を監督してアカデミー賞にノミネートされたり、ディズニーランドを揶揄したアートな遊園地『デイズマランド』を期間限定オープンしたり、オークションハウスで落札直後に《風船と少女》を千切りにしてみせた「シュレッダー事件」で世界的に有名になる。その知名度が上がるごとに、作品や活動の規模も拡大されていったが、それでもバンクシーはパレスチナ問題から離れることはなかった。そして、オークションハウスで取引される自身の作品の値段がどれだけ上がっても、ストリートでゲリラ的に作品を発表するスタイルを現在も貫いている。
ちなみにここ数年、世界各国で”バンクシー展”が開催されてきたが、今夏グラスゴーで開催された公式展『CUT&RUN』を除いて全てアーティスト非公認の展覧会で本人には1円もお金が落ちていないことは明記しておきたい。
そんなバンクシーにとって実質的に"唯一の公式常設展"と言えるのが、2017年にパレスチナ西岸地区にオープンした〈ザ・ウォールド・オフ・ホテル〉、通称「世界一眺めの悪いホテル」である。バンクシーが総合プロデュースして、地元のオーナーが運営する同ホテルは文字通り巨大な分離壁と対峙するかのように位置している。
歩いて5分程度の場所には完全武装したイスラエル兵たちが待ち構える検問所があり、宿泊客は厳しいIDチェックと荷物チェックを受けなければホテルに辿り着くことはできない。ホテルの全ての客室からは、目の前にそびえ立つ分離壁を臨むことができる。そこから見える景色は、アスファルトの分厚い壁を隔ててグロテスクなまでに明確に貧富の格差がある世界が広がっている。
つまりこのホテルはパレスチナ市民の日々の暮らしを抑圧する構造的な暴力を知るダークツーリズムのプロジェクトとも言える。
その「世界一眺めの悪いホテル」は、イスラエル軍によるガザ侵攻を受けて10月12日以降、閉館してしまった。宿泊予約も受け付けておらず、運営再開の見通しも立っていない。ホテルの場所はガザ地区内ではなくヨルダン川西岸地区だが、すでに連日報道されているように、イスラエル軍による空爆や攻撃はガザ地区に限った話ではなく、西岸地区でも死傷者が日に日に増えている。そして、この状況も今に始まったことではなく、イスラエル軍や入植者による暴力は日常化されていたのだ。
何が言いたいかというと、バンクシーがパレスチナで制作活動を始めたのは約20年前のことで、パレスチナの占領と攻撃は今に始まった話ではまったくないということだ。この惨事は10月7日から始まったわけではない。先月の安全保証理事会で、グテーレス国連事務総長がハマスによるイスラエル襲撃を非難した上で「何もない状況から急に起こったわけではない」、「パレスチナの人々は56年間、息のつまる占領下に置かれてきた」と長期間にわたるイスラエルのパレスチナ占領と暴力を明確に非難した。
国連がイスラエルを非難するのもこれが初めてではない。2002年にイスラエル政府が建設を始めた分離壁も国際法違反を繰り返し指摘してきた。全長700キロを超えた今なお建設が続いているが、国連もアメリカもイギリスも誰もイスラエルを止められていない。そして、この悪名高い分離壁に当時からアートで風穴を開けようと作品を描き続けてきたのがバンクシーだ。
2014年のイスラエル軍によるガザ地区の大規模空爆と地上侵攻を受けて、2015年にバンクシーは地下通路からガザ地区に侵入、4点の作品を残した。その中に2点、今またSNSで何度も繰り返し取り上げられている作品がある。ひとつは《子猫》だ。
ガザ侵攻では死者は2300人にも上り、その7割が民間人だった。この地上侵攻は各国のテレビや新聞で大々的に報道されたが、イスラエルの国際法違反や戦争犯罪を追認する動きまでには至らなかった。バンクシーはその爆心地に残した作品について「地元の男性がやって来て“この作品はどういう意味なんだ?” と聞いてきたので、こう答えた。俺は自分のウェブサイトにガザ地区の写真を掲載して、この惨状を訴えたいと思っている。けどインターネットの人間は、子猫の写真ばかりしか見ないんだよ」という皮肉と憤りが入り混じったコメントを発表している。
もうひとつは、ガザ地区の壁に「強者と弱者の対立を傍観するなら、強者の側に立つことになる。それは中立ではない」と走り書きした文字だけのグラフィティ。ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレの言葉を引用し、国際社会の欺瞞と無関心がどんな事態を引き起こしたか、空爆で瓦礫と廃墟の町になったガザ地区から訴えたのだった。パレスチナ・イスラエル問題を報じる報道番組が「難しい問題です」と言葉を濁している最中にも、パレスチナのガザ地区やヨルダン川西岸地区では、赤ちゃんからお年寄りまで無差別に多くの市民が惨殺されている現実は今も変わらない。
バンクシーについてたびたび語られるのは“アートで世界を変える”というような力強いフレーズだが、「世界一眺めの悪いホテル」が閉鎖された今となっては、これまで大々的に報道されてきたバンクシーの作品であっても太刀打ちできない現実を突きつけられる。結局どんなに素晴らしい作品だとしても政治や社会状況に影響を受けざるをえないし、アートは侵略や戦争を前にすれば非常に脆弱な“こわれ物”でしかない。結局、社会や世界を変えていくのは人間に他ならない。もしアートに希望があるとするならば、作品を通じて鑑賞者に現実とは別の景色を切り拓いて見せるイメージの力そのものにあるのだろう。
実際にこの作品が描かれた壁は度重なる空爆を受けて、もう跡形もなくなっているだろう。けれど、たとえ作品自体が壊されて物理的に消え去ったとしても、この作品が訴えたイメージは何度でも鑑賞者の頭の中で想起され、さまざまな形で伝えられていくだろう。そのイメージがつなぐリレーと活動の中で、作品は何度でも甦るはずだ。そして、そのイメージからどんな未来を築くのかは私たち次第であることは確かで、それはわずかだとしても、今、私たちが手にしている希望でもある。その現実を決して矮小化してはならない。